01_B-36
(画像はwikipediaより転載)

 

要約

 B-36 ピースメーカーはコンソリデーテッド社が開発した戦略爆撃機で世界最大の爆撃機である。全幅70m、自重63,790kg、20mm機関砲16門、39,000kgの爆弾を搭載できる。初飛行は1946年8月8日で最高速度は613km/h、航続距離は13,145km、爆弾搭載量は39,000kgで武装は20mm機関砲16門である。対ドイツ爆撃用に計画された機体であったがのち対日用に変更。終戦後は対ソ用の核搭載戦略爆撃機として運用された。B-52の登場により1959年までに退役。総生産数384機。

 

B-36 ピースメーカー

 

 

性能(B-36B)

全長 49.4m
全幅 70m
全高 14.3m
自重 63,790kg
最大速度 613km/h(高度10,500m)
上昇力 7.7m / 秒
上昇限度 13,000m
エンジン出力 3,500馬力(P&W R4360-41 エンジン)6基
       推力2,656kg(GE-J47ターボジェットエンジン)4基
航続距離 13,145km
乗員 15名
武装 20mm機関砲16門(携行弾数9,200発)
爆装 最大39,000kg爆弾
初飛行 1946年8月8日
総生産数 384機
設計・開発 コンソリデーテッド社

 

超長距離戦略爆撃機

 B-36ピースメーカーはそもそも対ドイツ用の戦略爆撃機として計画された。この戦略爆撃機でドイツを攻撃するというのは第二次世界大戦以前からあった計画で、これによってB-29スーパーフォートレスが開発されている。しかしこの計画よりもさらに悪い状況、つまりは英国も降伏した場合を想定して計画された爆撃機製造計画があった。この計画の結果誕生したのがB-36ピースメーカーである。

 1941年8月19日に米陸軍航空軍が出した性能要求では最高速度390〜480km/h、運用高度12,000m、最大航続距離が16,000km、爆弾搭載量4,500kgというものであった。高度12,000mの成層圏を飛行して米国本土からドイツを爆撃することを目的とした爆撃機であった。

 このコンペにはボーイング社、ノースロップ社、コンソリデーテッド社が計画を提案、コンソリデーテッド社の案が採用された。その後、第二次世界大戦に米国も参戦したためにこの計画はスローダウン、設計中にドイツが降伏、ハワイから日本本土を攻撃するという対日戦用爆撃機と目的を変更された。しかしその日本も1945年8月15日にポツダム宣言を受諾、降伏してしまった。しかし試作機の開発は続けられ完成したのは1945年8月20日と日本がポツダム宣言を受諾した後となってしまった。

 

性能

 完成した機体は全長49.4m、全幅70m、自重63,790kgという巨大なものでエンジンは3,500馬力のR&W社製R-4360-41エンジン6基であった。超空の要塞と呼ばれたB-29が全長31.18m、全幅43.05m、自重33,793kgと比較するとその大きさが分かる。

 P&W R-4360エンジンはF4UF6FP-47に搭載されたR-2800エンジンの改良型でR-2800が18気筒なのに対して航空機用レシプロエンジンの限界ともいえる28気筒になっている。これらの気筒を冷却するため気筒はらせん状に配置されているが気筒の冷却は不十分である上に構造は精緻を極めており頻繁なメンテナンスを必要とするが、それでも信頼性は低く問題が頻発した。

 機内は与圧室となっており、B-29同様、前部区画と後部区画は連絡用トンネルによってつながっており、長時間飛行を前提としているためトイレ、キッチン等も装備されていた。武装も強力で20mm連装砲8基を装備、全て遠隔操作で射撃するようになっている。この砲塔は通常は機体内部に格納されており使用時に外部に展開させる方式であったが速度の低下や射撃時の振動で電子機器が故障する等の問題があったため1954年に尾部砲塔を除いて廃止されている。

 初飛行は1946年8月8日であった。3,500馬力を発揮するR-4360エンジン6基に直径5.8mの巨大なプロペラを装備したB-36でさえもこの巨体を安定して飛行させることは難しくB-36D型ではさらに4基のターボジェットエンジンが追加された。このエンジンはゼネラル・エレクトリックJ47-19エンジンで推力2,656kgを発揮する。さらにF型ではメインエンジンもR-4360/41から3,800馬力を発揮するR-4360/53に変更されている。

 

フェザーウェイト計画

 ジェットエンジンの導入により飛行性能は向上したものの燃料消費量が増大したため航続距離は減少した。同時にこの時期には空対空ミサイルの登場により機銃座の必要性は薄れていた。1954年、これらの事情によりB-36の重量を軽減する計画、フェザーウェイト計画が実行された。

 この計画により後部銃座以外の銃座は防御装備も併せて撤去された他(一時期は後部銃座も撤去された)、後部コンパートメントの軽量化、寄生戦闘機XF-85の収容装置が全撤去された。さらに乗員もそれまでの15名から9名に減少した。

 この改修の結果、レシプロエンジン6基、ジェットエンジン4基となり、それらが発揮する出力は合計40,000馬力に達し、最高速度は681km/hに向上、運用高度も14,000mにまで上昇した。さらに大きな翼面積とこの高出力により高高度での機動性は向上、ジェット戦闘機でも機動性が落ちる高度12,000m以上でも高い機動性を発揮した。

 

爆弾倉

 爆弾倉は4個あり、それらの合計搭載量は39,600kgに達する。これはB-17爆撃機の10倍、B-29の4倍に相当する。通常爆弾以外にも核爆弾、水素爆弾を搭載することも可能で、B-52が登場するまで米国最大の水素爆弾であるマーク17水素爆弾を運用することができる唯一の機体であった。但し、B-36が設計された当時は核兵器の存在は秘匿されていたため当初から核兵器を搭載するように設計されていた訳ではない。このため初期のB-36Aには核兵器搭載能力はない。

 

バリエーション

 XB-36は3,000馬力のR-4360/25エンジンを搭載した試作機で1機が製造されている。YB-36は増加試作機で1機製造された。コックピットの形状が変更されている。B-36Aは初期生産型で22機が製造された。主に訓練用に使用された。後に1機を除き偵察型R-36Eに改修されている。核爆弾搭載能力はない。

 B-36BはR-4360/41エンジンを搭載した量産型で62機製造された。B-36DはJ47-GE-19ジェットエンジン4基を追加した型で26機が製造された他、59機がB-36Bから改造した。B-36FはエンジンをR-4360/53エンジンに変更した型で34機製造された。B-36HはF型のコックピット周りを改良した型で83機が製造された。B-36J型は着陸装置の強化、燃料の増加、武装が尾部機銃のみとなった型で33機が製造された。

 

運用

 1948年に最初の21機が米陸軍に導入された。これらは搭乗員の訓練用で機銃等も装備されていなかった。あまりにも高価な機体であったため空軍と海軍の対立の種となり1950年に勃発した朝鮮戦争においてもその価格がネックとなり実戦に投入できなかった。

 しかし生産は1954年まで続けられ、第二次世界大戦後はソビエトの脅威に備えるための戦略爆撃機として約10年間運用された。しかし時代がジェット機主流になるとレシプロ機であるB-36は陳腐化、さらに高速、高高度を飛行することが出来るジェット爆撃機B-52にその地位を譲り退役していった。退役は1956年から始まり1959年に完了した。総生産数384機で5機が博物館展示用に現存している。

 あまりにも長大な航続距離で護衛戦闘機を随伴することができないため機体内に搭載するXF-85ゴブリンのような寄生戦闘機も開発された。もっとも通常戦闘機に比べて設計上の制約が多い寄生戦闘機が通常戦闘機に優るはずもなく、母機が発生させる気流のため着機が困難であったこともあり実用化されることはなかった。

 

 

まとめ

 B-36は対ドイツ用戦略爆撃機として計画、その後対日用に変更されたのち対ソ用として運用され退役した。就役当時は世界最大の爆撃機で爆弾搭載量はB-17の自重を超えるというとんでもないバケモノ爆撃機であった。正式名称ではないが「ピースメーカー(平和をもたらす者)」と呼ばれる。拳銃でもコルトSAAがピースメーカーの愛称で呼ばれる。圧倒的な能力を持った兵器にピースメーカーという名称を付けるのがいかにもアメリカンではある。

 

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