01_M1911A1
(画像はM1911 wikipediaより転載)

 

要約

 サービスエースは45ACP弾という強力なカートリッジを使用するM1911の練習用として設計された22LR弾を使用するハンドガンである。外観はM1911と全く同じである。ストレートブローバック方式を採用、フローティングチャンバーを使用することで22LRでM1911の重いスライドを動かすことができる。この銃の設計者はのちにM1カービンを設計する。

 

コルト サービスエース

 

 

性能

全長 217mm
重量 1,175g
口径 22口径
使用弾薬 22LR弾
装弾数 10発
完成 1931年
設計・開発 デビッド・マーシャル・ウィリアムズ / コルト社

 

開発経緯

 1911年に米陸軍はM1911 45口径ピストルを制式採用した。この銃は45ACP弾という45ロングコルトと同威力の非常に強力なカートリッジを使用するピストルであった。シンプルな構造と高威力のため現在では米陸軍の制式採用ではなくなったものの法執行機関や民間で広く使用されている。

 しかし45ACP弾は非常に高威力であり強力な反動がある。このため銃を撃ったことのない新兵にいきなり撃たせるのは難しい。そこで1913年頃より米軍はこのM1911を22LR弾仕様に改良したピストルの開発を開始した。22LR弾というのは現在においてももっとも一般的なカートリッジでLRは「Long Rifle」の略である。但し、ロングライフルと言っても小型のカートリッジであるためライフルに限らずハンドガンでも使用されている。

 このカートリッジは反動も少なくカートリッジ1発当たりのコストも安いため初級者の練習用にはちょうど良かった。そこで米軍は開発に乗り出したのだが、そこで大きな問題が一つあった。それは45ACP弾と22LR弾の威力があまりにも違いすぎるということだ。

 

フローティングチャンバーという発明

 当然のようにM1911は45ACP弾を撃つために設計されている。高威力のカートリッジで自動装填させるためにはカートリッジの凄まじい威力で後退するスライドのスピードを落とさなければならない。そうしないと薬莢が排莢される前に次弾を装填してスライドが前進してしまうため装填不良を起こしてしまうのだ。このためにコルトはショートリコイルという方式を採用してスライドの後退遅らせている。

 これに対して22LR弾を使用した場合は全く逆だ。22LR弾を使用する自動拳銃の発射方式はほとんどがストレートブローバックと呼ばれるもので前述のようにスライドの後退を遅らせる必要がないため、直接カートリッジの圧力でスライドを動かすのである。しかしM1911の重いスライドはそのままではストレートブローバックで後退させることはできない。火薬の圧力が弱すぎるのだ。

 そこで考案されたのがフローティングチャンバーという独特のメカニズムである。これは通常の45口径の薬室の内側にさらに22口径用の薬室があり、22LR弾を発射すると22口径用の薬室のみが後退してその勢いでスライドを後退させるというものだ。この方法だと通常のストレートブローバックの4倍の圧力をスライドに加えることができるために22LR弾の圧力でもM1911の重いスライドを後退させることが可能となった。

 

デビッド・マーシャル・ウィリアムズ

 さらにすごいのが、通常、45ACP弾から22LR弾への変更をすると後退したスライドを復元させるためにあるリコイルスプリングも弱い物に変更しなければならないが、フローティングチャンバーの場合はその必要もないことである。スライドの質量もリコイルスプリングも45口径のままで使用することができるのだ。これにより銃の操作もスライドを引く時の感触も45口径M1911と全く同じであるため訓練用としては最適であった。

 このシステムを考案したのはデビッド・マーシャル・ウィリアムズという警察官を射殺したために服役していた元囚人であった。彼は出所するとそれまで温めていたアイデアで特許を取得、その一つがフローティングチャンバーであった。彼はその後コルト、レミントン、ウィンチェスター社等で働き様々な銃器の設計をした。有名なM1カービンも彼の設計によるものである。

 

外観

 外観はコルトM1911とほとんど一緒である。戦前のものは全体的にブルーで丹念にポリッシュされておりブルーの美しい表面処理がなされており、サイトはフロントサイトがターゲットタイプでフロントサイトは左右調整可能なアジャスタブルサイトである。ハンマーはスパーハンマーでスライド右または左側面に「COLT ACE」の刻印がある。装弾数は10発、

 この22口径ガバメントは1931年に「コルトサービスエース」として米軍に導入された。1937年には民間市場でも販売が開始、戦後も製造が続けられたが1947年に製造中止となった。この時点での総生産数は13,800挺である。そして1978年になるとコルト社はサービスエースの製造を再開、1982年まで再生産された。初期のモデルは生産数が少なかったこともあり大変なプレミアムが付いている。このため購入するためにはドルが四ケタ必要である。

 

⇒銃一覧へ戻る

 

amazonでコルト サービスエースを探す

楽天でコルト サービスエースを探す

 




 

 

↓良かったらクリックして下さい。


ミリタリーランキング