(画像はwikipediaより転載)
要約
コルトシングルアクションアーミー(SAA)はそれまでのコルト製品がオープントップ方式であったのに対してソリッドフレームを採用した。これによってフレームの強度が高くなり高威力の45口径ロングコルト弾を発射出来るようになった。さらにフレーム後部に照準器を設置することができるようになり射撃精度を高めることに成功している。1873年の発売以来、中断はあるものの現在でも販売されている。
コルトシングルアクションアーミー
性能(キャバルリー)
全長 317mm
重量 1,048g
口径 45口径
使用弾薬 45口径ロングコルト
装弾数 6発
完成 1873年
設計・開発 ウィリアム・メイソン チャールズ・リチャーズ / コルト社
オープントップの雪辱
S&Wに金属カートリッジに関する特許を独占されてしまったコルト社はその特許が切れるまで金属カートリッジのリボルバーを生産することが出来なかった。そして1871年、S&Wの特許が失効したためコルト社も金属カートリッジのリボルバーを発売するのだが、そこで生まれたのが1871-1872オープントップである。これは44口径ヘンリー弾使用するもので発火方式はリムファイアであった。
リムファイアとはカートリッジ後部のでっぱり(シリンダーに入れると引っかかる部分)に発火薬が入っており、これをハンマーで潰すことで火薬に引火、発射するというものだ。これに対して現在主流の方式はセンターファイア方式でこれはカートリッジ後部中央に発火薬が詰まったプライマー(雷管)があり、これをハンマーで潰すことで火薬に引火するというものだ。
満を持して発売したオープントップであったが、低威力であったため期待していた米軍採用とはならなかった。このため生産数も少なく商業的にも成功したとは言えなかった。このためコルト社は米軍採用となるために強力なカートリッジを使用する軍用リボルバーの開発を開始、1873年に誕生したのがコルトシングルアクションアーミー(SAA)である。
今までのコルト社製品と何が違うのか?
SAAはそれまでのコルトリボルバーのほとんどがオープントップ式というシリンダーが上部に露出している型であった。これは軽量ではあるが、フレームに強度を持たせにくいために強力なカートリッジを使用するには向いていない。このためSAAはソリッドフレームというシリンダーがフレームに埋め込まれている方式を採用した。
このため強力なカートリッジを発射することが可能となり、フレーム上部にリアサイトを設置することも可能となった。カートリッジも45口径コルトという新規のカートリッジを開発、コルト社が長年培ったメカニズムに強力な威力を持つカートリッジという組み合わせは高性能を発揮した。このSAAは、その後断絶がありながらも以降現在に至るまで生産されている傑作リボルバーとなった。
第一世代モデル
(画像はwikipediaより転載)
1873年には早速米軍が制式採用、1874年末までに12,500挺が納入された。同時に民間にも販売され、同期間に民間向け3,500挺が生産された。シングルアクションで装弾数は6発、銃身右斜め下方にエジェクターロッドハウジングが設置された。これは使用済みの空薬莢を排出するためで、シリンダー後方には装填排莢を行うためのローディングゲートがある。フレームは強度を上げるためにケースハードゥン処理がされ、バレル、グリップストラップはブルー処理されている。
内部メカニズムはコルト社伝統のシングルアクション方式で銃身長4.75インチの通称シビリアン、またはガンファイター、5.5インチのアーティラリー(砲兵モデル)、7.5インチのキャバルリー(騎兵モデル)、さらに長銃身のバントラインスペシャルや逆に短銃身にしてエジェクターロッドハウジングを省略したシェリブスモデル、バンカーモデルがある。
1875年からは1871-1872オープントップと同じカートリッジを使用する44ヘンリー弾モデルが発売、1880年に生産終了するまで1,863挺が製造された。1877年にはウインチェスターM1877と同じカートリッジを使用する44-40弾仕様モデル「フロンディア・シックスシューター」を発売、1894年にはワイドハンマー、ワイドトリガー、長いグリップ、左右調整可能なリアサイト、交換可能なフロントサイトを装備したビスリーモデルが発売された。ビズリーとはイギリスの有名な射撃場に因んだ名前で1912年まで製造、総生産数は44,350挺である。
1941年には米国が第二次世界大戦に参戦したことによりコルト社も戦時体制に移行したためSAAは製造を中止した。この間の生産数は357,879挺に達している。この期間に製造されたモデルは第一世代モデルと呼ばれている。
第二世代
(画像はwikipediaより転載)
戦争が終結したのちもコルト社はSAAを再生産することはなかった。長期間製造したために製造機械は古くなっている上にシングルアクションの銃の用途も少なくなっていた。コルト社はどうも近代的な銃を中心に製造することにしてSAAは廃止しようとしていたようだ。しかし米国でテレビや映画による西部劇ブームが到来すると、1956年にはコルト社は再びSAAの生産を開始した。
構造は基本的に第一世代モデルと同じで1961年にはアジャスタブルリアサイトを装備したニューフロンティアモデル等が登場したものの1974年には西部劇ブームも沈静化したためか再び製造を中止した。因みにニューフロンティアの名称は、当時の大統領ジョン・ケネディの有名なスローガン、ニューフロンティアから取っている。このモデルのみは1975年まで製造されたようだ。総生産数は4,200挺。
第三世代
1976年、再びSAAの生産が始まる。この構造に大きな変更は無いが、バレル内のライフリングのピッチがここから変更されている。1982年に生産が終了するが、1994年、カウボーイアクションシューティングの人気に伴い再生産される。これらのモデルは構造的にはほとんど同じだが、厳密にいうと、1982年までに製造されたモデルはそれまで取り外し可能であったシリンダーブッシュが固定されていたが、1994年以降のモデルでは再び取り外し可能となっている。このため1994年以降のモデルを第三世代後期型、第四世代と呼ぶこともある。
コルト・カウボーイ
通常のリボルバーはハンマーに強い衝撃が加わってもカートリッジのプライマーを叩くことがないようにハンマーブロックやトランスファー・バーといった安全装置が組み込まれているが、SAAは生産開始以来、それらの安全装置を持たなかった。このためハンマーが打撃する可能性のあるシリンダー内のチャンバーにはカートリッジを装填せずに5連発で携行することが当然であった。
1999年、これに対してコルト社はトランスファー・バーを装備したSAAであるコルト・カウボーイを発売した。このトランスファー・バーとはハンマーとファイアリングピンの間に射撃の直前に挟まる板でハンマーの打撃をこの板がファイアリングピンに伝えることでプライマーを打撃する構造のものである。通常携行している状態ではハンマーとファイアリングピンの間にはトランスファー・バーが無く、ハンマーの打撃をファイアリングピンに伝えることができないため、仮に外からハンマーに強い打撃があったとしても暴発することがないというものである。
4.75インチモデル、5.5インチモデル、7.5インチモデルが発売されたが、2003年には製造が中止されている。
最後にこのSAAはピースメーカーという名称で親しまれているが、このピースメーカーという名称は米軍が最初に制式採用した7.5インチモデルであるキャバルリーに対してのみの名称であるらしく、全モデルには該当しないということだ。
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