01_M1878
(画像はM1878 wikipediaより転載)

 

要約

 コルト社初のDAリボルバーM1877の口径をウィンチェスターM1873と互換性のある44-40弾を使用できるようにしたモデル。大口径化したことによりフレームを大型化して各部を強化している。メインスプリングが弱かったため不発がしばしば発生した。シリンダーラッチはない。射手がシングルアクションと勘違いしてファニングする事例もあったようだ。

 

コルトM1878

 

 

性能(44-40弾仕様7.5インチモデル)

全長 190mm
重量 1,190g
口径 44口径
使用弾薬 44-40弾
装弾数 6発
完成 1878年
設計・開発 ウィリアム・メイソン、チャールズ・B・リチャード / コルト社

 

前史

 M1878とは、コルト社初の大型ダブルアクション(DA)リボルバーであった。この当時、それ以前から世界の趨勢はDAリボルバーの方向へと流れていった。しかしコルト社が頑なにシングルアクショ(SA)に拘ったのには理由がある。これは創業者サミュエル・コルトの哲学によるものだ。

 サミュエル・コルトはDAリボルバーに対して否定的であった。理由はDAにすることによりSAに比べ部品点数が多くなり構造が複雑になる。このため信頼性が低くなり、逆に故障率は高くなる。当時の銃というのは今以上に護身用、戦闘用に使うもので万が一でも作動しなければ命にかかわるのだ。サミュエル・コルトは自身の経験も含めてこのような理由でDAリボルバーの開発をしなかった。

 しかし時代は引き金を引くだけで連射できるDAへと向かっていく。SAを作り続けてきたコルト社であったが、英国製ブリティッシュ・ブルドッグ・リボルバーの成功によりDAリボルバーの開発をせざるを得なくなった。サミュエル・コルトもすでに1862年に他界していることからもコルト社はようやく重い腰を上げ、DAリボルバーの開発に乗り出す。

 

開発

 1877年、コルト社初のDAリボルバーが完成する。これがM1877で口径によりライトニング、サンダーラー、レインメーカー等の愛称で呼ばれているモデルで、口径は主に38口径、41口径であった。この時代のコルト社のDAメカニズムは構造が複雑であり故障も多かったが、やはり連射できるというのはユーザーにとって魅力でそれなりのセールスを記録する。

 しかしこのM1877は、小型軽量で携行性が高かったものの口径が小さく野外での使用には不便が多かった。特にウィンチェスター社の大ヒットライフルであるM73が使用する44-40弾との互換性が無いのが致命的であった。このため大口径DAリボルバーを求める声が強く、これに応えてコルト社は翌年の1878年にM1878を発売する。

 この別名「フロンティア」「ダブルアクションアーミー」と呼ばれるM1878の設計者はM1873(SAA。いわゆるピースメーカー)の設計者であるウィリアム・メイソンとチャールズ・B・リチャードでベースとなったのは1877である。1877は基本的にSAAの構造をDA化したものなのでこのM1878もSAAの構造の影響を受けていることになる。

 

構造

 大口径弾を発射できるようにするためにフレームを大型化、M1877に比べて頑丈な銃となった。バレル、シリンダー、エジェクターロッドはSAAと共用であるが、シリンダーストップはSAAがシリンダー側面にあるのに対してM1878はシリンダー後方に位置している。DAであるためにトリガーは大型化しており、ハンマーはDAでの照準の妨げにならないように低めに設計されている。

 グリップはバードヘッドグリップで基本的に硬質ゴム、一部クルミ材のグリップがあり、グリップ下部にはランヤードリングが装備されている。この時代のDAリボルバーはスイングアウト機構を持たないため、カートリッジは右側面から装填する。このため右側面のフレームには装弾を妨げないようにカートリッジの大きさの窪みが付いている。

 シリンダーより先はSAAと同じパーツを使用しているためSAAと形状は似ているが、シリンダー側面にラッチがないのとトリガーがDA仕様のため一目で違いが分かる。この時代のコルト社のDAメカニズムは未だ完成度が低く、トリガーリーチは長く重い。

 

バリエーション

02_M1902
(画像はM1902 wikipediaより転載)

 

 バレル長は主に3、3.5、4、4.75、5.5、7インチの6種類であるが、極少数1.5インチモデル、2.5インチモデル、12インチモデルなども存在するようだ。4.75インチ以上のモデルにはSAAと同じエジェクターロッドが装備されているが、4インチ以下のモデルにはエジェクターは存在しないものの、極稀に2.5インチでエジェクターロッドが装備されているモデルもあるらしく、どうも少数生産モデルが結構あったようだ。当時は現在と違って手作業が主であるためある程度の融通が効いたのかもしれない。

 口径は32-20、38-40、41コルト、44-40、45ロングコルトの5種類が基本であるが、これも22リムファイア、450ボクサー、38ロングコルト、455ウェブリー、476イーリー等の口径のモデルが少数存在する。これらの口径の中で一番人気があったのはもちろん44-40弾と45ロングコルト弾仕様であった。

 M1878もM1877同様、ユーザーには比較的評判の良い銃であったが、メインスプリングが弱く、不発がしばしば発生したようだ。さらに1877と同様にロッキングボルトスプリングが壊れやすいという問題点もあった。因みに初期のDAの問題点としては、射手が未だDAでの操作に慣れておらず、トリガーを戻さずにハンマーを起こしてファニングをしようとする事例もあったようだ。

 

米軍仕様M1902

 1902年には米軍向けのM1902が生産される。これは別名フィリピンモデル、アラスカモデルなどと呼ばれるもので、使用弾薬は45口径ロングコルト、確実に発火させるためにメインスプリングを強化している。これによりトリガーがさらに重くなることを回避するために長いトリガーを採用している。これに合わせてトリガーガードも大型化しているため外観からの識別は容易である。

 6インチモデルのみで、硬質ゴムグリップ仕様。4,600挺が生産され、フィリピンでの戦闘に投入されているためフィリピンモデルと呼ばれている。アラスカとの直接の関係はないが、アラスカモデルとも呼ばれているのは、トリガーガードが大型化している理由を寒冷地で使用するため手袋を付けて操作できるようにしたという誤った理解をしたコレクターや歴史家が命名したそうである。

 1878年から1907年まで30年弱にわたって製造され、総生産数は51,210挺。この中にはM1902の4,600挺も含まれている。不発も起こりトリガーリーチも長く重いがDAで連射ができるというメリットは大きく、米軍人やその他のユーザーには比較的人気のある銃であった。

 

⇒銃一覧へ戻る

 

amazonでM1878を探す


楽天でM1878を探す

 




 

 

↓良かったらクリックして下さい。

ミリタリーランキング