01_1877_lightning
(画像はwikipediaより転載)

 

コルトM1877

 

 

性能(サンダーラー2.5インチ)

全長 215mm
重量 420g
口径 41口径
使用弾薬 41ロングコルト弾
装弾数 6発
完成 1877年
設計・開発 ウィリアム・メイソン / コルト社

 

開発

 1872年にイギリスでブリティッシュ・ブルドッグ・リボルバーという銃が開発された。この銃は44口径ショート弾を使用するダブルアクション(DA)リボルバーで低威力ながら連射が出来ることから人気があった。この銃に対抗するためにコルト社が開発したのがM1877である。コルト社初のDAリボルバーで1877年に発売されている。

 この時期、世界の趨勢は実はDAリボルバーになりつつあった。コルト社も当然この流れは把握していたもののDAリボルバーの開発に遅れてしまったのには理由がある。最大の理由は創業者のサミュエル・コルトがDAリボルバーに対して非常に否定的な考えを持っていたことであった。

 これはどうも自身の経験からのようで強硬に反対していたようだ。このためM1877を発売したのはサミュエル・コルトが亡くなって12年後のことであった。サミュエル・コルトがDAに反対した理由は、DAはSAに比べて構造が複雑になり、それによって信頼性が低下すること、故障のリスクが高まることが理由であったが、他にもDAリボルバーの弱点としてはトリガーが非常に重くなるということがある。シングルアクション(SA)でのトリガーの役割はハンマーを落とすだけのものであるためにトリガーは非常に軽い。

 これに対してDAでのトリガーの役割は、ハンマーを起こすこと、シリンダーを回すことと二つの役割を担うことになる。このため必然的にトリガーは重くなってしまう。このリボルバーのトリガー、エアガンでは軽く設定されているのであまり分からないかもしれないが、実銃では現在でもDAリボルバーのトリガーはSAリボルバーに比べて非常に重い。連射ができるDAもこのようなデメリットがある。

 

ニックネーム

 設計者はSAAの設計で有名なウィリアム・メイソンで1876年には完成、同年中に生産が行われ1877年から販売されている。口径は32口径、38口径、41口径で、極少数38S&W、38-40ウィンチェスター仕様のモデルがあるらしい。この中で最も生産されたのは38口径モデルで41口径がそれに次ぐ。32口径は生産数が非常に少なくわずか200挺程度だと言われている。

 これらのモデルには一般的に38口径がライトニング、32口径がレインメーカー、41口径がサンダーラーと呼ばれているが、これはコルト社の制式の名称ではなく、当時のコルト社製品の販売店であったベンジャミン・キットレッジ&カンパニーが付けたニックネームである。

 

 

構造・外観

 38口径、41口径弾を発射することが出来る割に大きさは小さく、SAAを二回りほど小さくした大きさである。重量も700g程度と軽かった。外装は主にニッケルメッキであったがブルーモデルもあった。装弾数は6発でグリップはバードヘッドグリップでこれはDAでの操作性を意識したものであろう。初期モデルはローズウッドであったが途中から硬質ゴムに変更されている。

 銃身長は1.5インチから10インチまで13種類があり、エジェクターロッドが装備されているモデルとエジェクターが無いエジェクターレスモデルがあった。正確には分からないが、どうも短銃身モデルはエジェクターレスであったようだ。

 1877の欠点としては構造が複雑すぎることが挙げられる。特にトリガー周りのスプリングが弱くDAが機能しなくなることもあった。さらにシリンダーストップノッチがシリンダー後方にあるためカートリッジのリムがシリンダーストップに干渉してしまい作動不良の原因ともなった。つまりはリムがシリンダーストップに引っかかってしまいシリンダーが回らなくなってしまうのだ。このため壊れやすく史上最悪のDAリボルバーとの悪名まで付けられたほどである。

 

生産終了

 しかし小型でグリップが小さいために人気があり、41口径のサンダーラーはビリーザキッドも愛用した。1909年まで製造され、総生産数は166,849挺とかなり人気があった。同時期に生産されたSAAが261,000挺であったことを考えるとそれなりの数である。1909年に生産が終了するが、1900年には販売数が急増、原因は不明であるが、終わりゆくフロンティア時代への郷愁のようなものであったと言われている。

 

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