
(画像はwikipediaより転載)
要約
P-59 エアラコメットはロバート・A・ウルフ、ハーバート・L・バウワーが設計、ベル社が開発したジェット戦闘機である。初飛行は1942年10月1日で全幅13.87m、自重3,600kg、最大速度665km/h、航続距離1,530kmで武装は37mm機関砲1門、12.7mm機銃3挺である。ベル社初のジェット戦闘機で開発を秘匿するために古い試作機の番号であるXP-59を使用している。性能は当時の現用レシプロ機に及ばずエンジンの信頼性も低く運動性能も悪かった。このためロッキード社製P-80が米軍初の実用ジェット戦闘機となり、P-59は練習機として使用された。総生産数66機。
ベル P-59 エアラコメット
性能(P-59B)
全幅 13.87m
全長 11.63m
全高 3.76m
自重 3,600kg
全備重量 5,008kg
最大離陸重量 6,214kg
最大速度 665km/h(高度9,144m)
上昇力 9,144mまで15分30秒
上昇限度 14,100m
エンジン出力 推力908kg(GE-J-31-5)×2基
航続距離 1,530km
乗員 1名
武装 37mm機関砲1門(携行弾数44発)、12.7mm機銃3挺(携行弾数各200発)
爆装 450kg爆弾2発
初飛行 1942年10月1日
総生産数 66機
設計・開発 ロバート・A・ウルフ、ハーバート・L・バウワー / ベル社
開発前史
P-59Aは、ベル社初のジェット戦闘機である。1940年頃になると欧州各国では新しい航空機であるジェット機の開発が行われていた。ジェット機とはそれまでのプロペラ推進式エンジンではなく、熱を後方に噴き出すことで発生する推力を利用するエンジンでレシプロ機よりも高速での飛行が可能であった。米国も英国からジェットエンジンの図面を入手するとジェネラルエレクトリック社にジェットエンジンを製作させ、ベル社にジェット戦闘機の設計を指示した。
この計画は極秘計画であったため計画を秘匿するために新型ジェット機の名称はかつての試作機の名称であるXP-59の改良型を連想させるXP-59Aを使用して試作機の開発を行わせている。
開発
XP-59Aの試作機は1942年1月9日に完成している。完成した機体は胴体が前方から見ると楕円形になっており、エンジンは推力750kgのGE-J-31-3ジェットエンジンを2基装備、胴体主翼付け根に左右1基ずつ取り付けられており、エアインテイクや排気口も胴体脇に設置された。垂直尾翼と水平尾翼はジェットエンジンの後流を避けるために機体上部に位置しておりファストバック型コックピットの延長線上に垂直尾翼と水平尾翼がある。
主翼は中翼で直翼、やや上方に反り上がっている。車輪は前輪を持つ三車輪でコックピットは与圧式である。機銃は機首に37mmM10機関砲1門(携行弾数44発)、12.7mm機銃3挺(携行弾数各200発)を装備、翼下に増槽の取付が可能(B型ではさらに2個の増槽が取付可)であった。この計画に期待した米軍は試作機の完成前に試験用YP-59Aを13機発注している。
性能
初飛行は1942年10月1日に行われた。最高速度は665km/h(GE-J-31-5(推力908kg)の数値)、上昇限度は14,100m、航続距離は1,530kmを発揮した。しかし同時期の米陸軍現用機でああるP-38ライトニングやP-47サンダーボルトと比較すると、1942年に実戦配備されたP-38Fは最高速度が650km/hとP-38Fよりも15km/h速い程度であった。しかしこれを1942年9月14日に完成したP-47Cと比較してみるとP-47Cの最高速度は697km/hとP-59に比べて32km/hも高速であり、航続距離もP-59の1,530kmはP-47Cの2,012kmに対して500km近く短い。
さらにはエンジンの性能の影響で飛行方向が安定せずに蛇行するという問題がある上にエンジン自体の信頼性も低かった。さらに運動性能も悪く戦闘機としては凡庸な上に信頼性が低いという今ひとつの機体となってしまった。
それでも初期量産型であるP-59Aが20機完成、1944年にはエンジンをGE-J-31-3(推力750kg)からより強力なGE-J-31-5(推力908kg)に変更したP-59Bが30機完成した(当初は80機の注文であったが50機がキャンセルされた)。しかし当時すでにロッキードP-80シューティングスターの成功が確実視されていたため実戦に投入されることはなくジェット機の訓練用として使用された。総生産数は試作機3機、YP-59Aが13機、P-59Aが20機、P-59Bが30機の合計66機である。因みに試作機16機は翼端が丸く成形されており、量産機50機は翼端が四角と形状が異なる。
戦歴
期待した性能を発揮しなかったため米陸軍は100機発注していたものの半分をキャンセルした。製造された半分の50機は、1944年秋に米陸軍に引き渡されたものの米軍初の実用ジェット戦闘機の栄冠はロッキード社製P-80のものとなり、このP-59は練習機として運用されることとなった。
この他、米海軍にも5機、英空軍にも1機が引き渡されたが性能評価はどちらも芳しくなくこちらも練習機または試験機として使用している。
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