
(画像はwikipediaより転載)
要約
戦艦香取級は敷島級の後継にあたる戦艦で1906年に竣工した。排水量約16,000トンで全長約140m、最高速度は18.5ノットで主砲は45口径30.5cm連装砲2基である。同型艦鹿島とは主要項目以外はスペックが異なる。就役が日露戦争後であったためあまり知られていない戦艦であるが、完成当初は世界最強、最新鋭の戦艦であった。第一次世界大戦、シベリア出兵で活躍したが、ワシントン軍縮条約により廃艦となった。
戦艦香取級
性能(香取)
通常排水量 15,950トン(鹿島16,400トン)
最大排水量 -トン
全長 139m(鹿島143.3m)
全幅 23.8m(鹿島)
機関出力 16,000馬力(鹿島15,600馬力)
最大速力 18.5ノット
航続距離 10,000海里/10ノット
乗員 864名
武装 45口径30.5cm砲連装2基
45口径25.4cm単装砲4基
15.2cm単装砲12基
7.6cm単装砲16基
45cm水中発射管5門
装甲 舷側 229mm、甲板76mm、砲塔305mm、司令塔229mm
竣工(1番艦 香取) 1906年5月20日
竣工(2番艦 鹿島) 1906年5月23日
同型艦 2隻
開発前史
日露戦争海戦直前、日本とロシアの緊張が高まる中で日本とロシアの戦艦の保有数が問題となった。当時の日本は戦艦6隻、装甲巡洋艦6隻の「六六艦隊」を完成させていたが、ロシアの戦艦の総数は20隻で排水量10,000トン以上のものだけでも16隻を保有していた。さらにロシアは最新鋭戦艦ボロジノ級5隻を建造中であるので性能面では日本側戦艦が優れていたものの数の劣勢は明らかであった。
そこで1903年5月、日本海軍は第三期海軍拡張計画を策定、戦艦3隻を含む8隻の戦闘艦の建造に着手した。この内2隻が香取級戦艦である。
開発

(画像はwikipediaより転載)
香取級は1番艦香取は1904年4月27日にヴィッカーズ社のバロー・イン・ファーネス造船所で起工、1905年7月4日進水、1906年5月20日に竣工、2番艦鹿島は1904年2月29日エルジック造船所で起工、1905年3月22日進水、1906年5月23日に竣工している。常備排水量は香取が15,950トン、鹿島が16,400トンで全長は香取が139m、鹿島が143.3mであり、若干鹿島の方が大きくなっている。全幅はどちらも23.8mである。
主砲はそれまでの戦艦と同様の30.5cm砲であるが敷島級が40口径であったのに対して香取級は45口径と砲身が延長されている。因みに艦艇の火砲の「口径」というのは小火器の口径とは異なる。小火器の口径が砲の内径を表すのに対して艦艇の口径は砲身の長さを表す。40口径というのは「砲身の長さを砲の内径で割った数値」である。
つまり40口径30.5cm砲というのは砲身が1,220cmあるということになる。香取級の砲身は45口径30.5cm砲であるから砲身の長さは1,373cmと敷島級よりも15cmほど長い砲身を採用していることになる。砲身が長いと砲弾が火薬で押し出す圧力を長く受けるために威力が増し射程距離が延びるので短砲身よりも長砲身の方が高威力である。香取級の主砲は砲弾は同じでも香取級の方が威力が強いことになる。
中間砲は45口径25.4cm砲単装4基、副砲が45口径15.2cm砲単装12基を装備している他、40口径76mm単装砲16基、47mm単装砲3基と強力であった。これは当時の新鋭艦であるエドワード7世級よりも強力で世界最強クラスの火力を装備していたといえる。
装甲は舷側229mm、甲板76mm、主砲305mm、司令塔229mmである。主機関はレシプロ蒸気機関2基2軸で香取が16,000馬力、鹿島が15,600馬力を発揮、最高速度はどちらも18.5ノット、航続力は10ノットで10,000海里である。
2隻揃うまでの期間を短縮するために1番艦香取はヴィッカーズ社、2番艦鹿島はアームストロング社と別々の会社に発注されたため、砲口径等の主要部分以外の仕様はかなり異なっている。
戦歴

(画像はwikipediaより転載)
1906年5月20日に香取、23日に鹿島が竣工、鹿島が8月4日、香取が8月15日に日本に到着した。日露戦争により2隻の主力艦を失った日本海軍にとっては待望の新戦艦であった。竣工した時点で日露戦争は終結していたため戦闘参加はないが、艦隊旗艦を務め、度々御召艦として大正天皇や後の昭和天皇の行啓に活躍した。
1914年、第一次世界大戦が始まると中部太平洋に進出、ドイツ領であったサイパン島を占領した。鹿島は1915年、香取は1916年に大改修が行われている。1921年には皇太子(後の昭和天皇)の欧州訪問の際には香取が御召艦、鹿島が随伴艦として参加している。
1922年にワシントン海軍軍縮条約が締結されると両艦は廃棄の対象となり1923年9月20日に除籍、その後解体された。
まとめ
香取級は日露戦争後に竣工したため目立った戦歴はない。完成後わずか4ヶ月にして革命的戦艦ドレットノート級が完成してしまったため一気に陳腐化してしまった。しかし、日露戦争で主力艦を失った日本海軍にとっては待望の戦艦であり、廃艦までの約20年間日本の海の護りとして活躍した。
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