02_空母赤城
(以下画像はwikipediaより転載)

 

 

要約

 天城型は日本帝国海軍が計画した巡洋戦艦で排水量41,000トン、全長253m、最大速度30ノットを発揮する予定であった。八八艦隊計画の一環として建造された巡洋戦艦で装甲以外はほとんどの能力で加賀型戦艦を上回っている。ワシントン軍縮条約により廃艦が決定するが航空母艦への転用が認められたが、関東大震災により天城が被災して修復困難となったため廃艦、赤城のみ空母へと改装された。

 

天城型巡洋戦艦

 

 

性能

 基準排水量 41,000トン
 全長 253.37m
 全幅 30.8m
 機関出力 131,200馬力
 最大速力 30ノット
 航続距離 8,000海里 / 14ノット
 乗員 2,000名
 武装 45口径41cm砲連装5基
    50口径14cm単装砲16基
    40口径12cm高角砲単装4基
    61cm魚雷発射管8門
 装甲 舷側254mm、甲板95mm、砲塔 - mm、司令塔330mm
 竣工(1番艦 天城)  - 年 - 月 - 日
 竣工(2番艦 赤城)  - 年 - 月 - 日
 竣工(3番艦 高雄)  - 年 - 月 - 日
 竣工(4番艦 愛宕)  - 年 - 月 - 日
 同型艦 4隻

 

開発前史

 日本海軍は日露戦争において戦艦6隻、装甲巡洋艦6隻の六六艦隊を編成して戦争に勝利したが、戦後もこの編成が継続された。八八艦隊計画では装甲巡洋艦は巡洋戦艦となり隻数もそれぞれ8隻となったが、この計画のすごいところはそれまでの戦艦は予備戦力として保有、それとは別に戦艦8隻、巡洋戦艦8隻を建造することであった。

 その後ユトランド海戦により巡洋戦艦にも装甲が必要であり、戦艦にも速力が必要なことが分かると戦艦と巡洋戦艦の差は徐々に無くなっていった。八八艦隊計画の第一号の長門型戦艦は戦艦といっても巡洋戦艦金剛型とほぼ同じ26.5ノットという高速であり、その後に計画された戦艦も軒並み27ノット超えという高速戦艦であった。さらに巡洋戦艦も重装甲化されており、八八艦隊といっても実際には高速戦艦16隻から成る大艦隊というものであった。

 八八艦隊計画は長門以降も次々と起工したが、ここで大きな問題があった。それは予算である。八八艦隊が実現した場合、軍事費は海軍だけで当時の日本の国家予算の50%、陸軍を合わせると実に国家予算の70%という膨大な金額であった。これに対抗する列強も同様で米英ともに建艦競争も限界に近づいていた。

 そこでワシントン海軍軍縮条約が発効、海軍艦艇の保有比率が英米10に対して日本は6となった。これにより建艦競争は終了、条約で認められなかった艦艇は廃艦となった。

 

開発

 八八艦隊巡洋戦艦の第一弾として計画されたのが天城型である。1番艦天城は1920年12月16日に横須賀海軍工廠で起工(異説あり)、2番艦赤城は1920年12月6日呉海軍工廠で起工した。天城型は常備排水量41,000トン、全長253.37m、全幅30.8mという長門型戦艦を上回る巨艦であった。

 主砲は長門型と同じ45口径41cm砲連装であるが加賀型と同様に艦首に2基、後檣後方に3基の合計5基10門を装備している。砲数自体は加賀型と同じであるが天城型は3番砲塔を一層上の甲板に設置することで射界を広くとっている。副砲は50口径14cm砲単装16基と長門型、加賀型に比べて4基少ないが高角砲は45口径12cm高角砲単装6基と強力になっている。魚雷は魚雷発射管8門を装備している。

 装甲は巡洋戦艦であるが舷側254mmを傾斜12度で設置しており、加賀型戦艦の傾斜15度よりも緩やかであるがこれは巡洋戦艦の性格上、速度を優先したためである。それでも傾斜がある分、長門型の305mmよりも強化されている。

 甲板装甲は95mmで司令塔は330mmと強力であった。機関出力は131,200馬力で最高速度は30ノット、14ノットで8,000海里の航続力を持つ。当初は2本煙突であったが途中の計画変更により上部で一体化させた集合煙突になっている。

 同時期の巡洋戦艦では米国のレキシントン級があるが、こちらは最高速度33ノットであるので3ノット劣ってしまっているがこれは日米の技術力の差であるので致し方ない。因みに巡洋戦艦レキシントン級も途中で空母に改装されている。

 

 

廃艦

 1番艦天城、2番艦赤城に続き、1921年12月19日には三菱長崎造船所で3番艦高雄、11月22日には神戸川崎造船所で4番艦愛宕が起工したが、1922年12月にワシントン軍縮条約により4隻とも建造中止となった。しかし同条約では航空母艦転用が認められていたため天城、赤城の2艦は空母に改装された。高雄、愛宕は1922年に解体された。

 1923年9月1日の関東大震災により天城が被災、損傷が激しく修復困難と判定されたためそのまま解体された。尚、天城の代艦として戦艦加賀が空母に改装されて航空母艦加賀となっている。赤城はそのまま空母への改装が行われ1927年3月25日に航空母艦赤城として竣工した。

 天城型巡洋戦艦用の資材はすべて空母改装の資材として利用された。主砲は4基が完成していたがこれらは陸軍に譲渡され要塞砲に転用された。赤城の4番砲塔は倉庫に保管されてそのまま終戦を迎えた。

 

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