(画像はヘンダーソン飛行場 wikipediaより転載)
要約
ヘンダーソン基地艦砲射撃とは、日本海軍の戦艦金剛、榛名以下12隻の艦艇が一晩中ガダルカナル島ヘンダーソン基地を艦砲射撃した戦闘。砲撃は大成功でヘンダーソン基地に合計966発の砲弾を撃ち込むことに成功、全艦無事に帰還した。ヘンダーソン基地は航空機54機を喪失、第一飛行場が一時的に使用不可能となったが、第二飛行場が完成していたため致命傷とはならなかった。
概要
(画像は金剛型戦艦右から金剛・榛名・霧島・比叡 wikipediaより転載)
1942年10月11日、日本海軍の拠点トラック島を栗田健男中将が指揮する日本海軍の戦艦金剛、榛名、軽巡五十鈴他駆逐艦9隻が出撃、直掩機6機の護衛の下にソロモン海域に侵入した。10月13日夕方より全力でガダルカナル島に侵入、23時より14日1時まで2時間ほど、ヘンダーソン基地に対して砲撃を開始、基地攻撃に有効であると考えられた対空用の零式弾、三式弾、ついには副砲や徹甲弾等ありとあらゆる砲弾を撃ち込みまくった。当時の航空機は夜間攻撃が出来なかったため、栗田艦隊は夜陰に乗じて侵入、砲撃終了後は、最大戦速の29ノットで脱出した。その間、米軍魚雷艇の攻撃を受けたものの撃退、全艦が無事に帰還した。
米軍側は海兵隊が反撃するも砲弾が届かず、ヘンダーソン基地所属航空機96機の内、54機が撃破された他、第一飛行場が一時的に使用不可能となった。しかし日本軍に知られていなかった第二飛行場は無傷であり、被害を免れた航空機が翌日には出撃、日本軍を攻撃している。
艦砲射撃の威力
「一度成功すると何度でも同じことをやる」と米軍高官に言わしめた日本軍、翌14日夜にも重巡鳥海、衣笠と駆逐艦2隻がガダルカナル島に侵入、ヘンダーソン基地に対して752発の砲弾を撃ち込んでいる。さらに15日夜には重巡妙高、摩耶以下9隻が主砲926発を撃ち込んでいる。これらの前後も含めてヘンダーソン基地に対する砲撃は何と13回にも及んでいる。結構な確率で砲撃は成功しているものの、ヘンダーソン基地に対しては致命傷となるような損害を与えることは出来なかった。これに対して日本軍は待ち構えていた米艦隊の攻撃により戦艦比叡、霧島を失っている。
戦艦の砲弾は対艦攻撃用には徹甲弾を使用するが、日本海軍は対空戦闘用に空中で爆発する零式通常弾、三式弾を開発していた。これらの砲弾は時限信管を持っており、時間になると爆発、内部にあるマグネシウムや金属片を周囲に飛散させる仕組みになっていた。ヘンダーソン基地砲撃にはこれらの砲弾が使用され、一定の効果を発揮したが、撃ち尽くした後は通常の徹甲弾を撃ち込んでいる。何もしないよりはマシだが地上目標に対しては地面にめり込むだけなのでほとんど効果はない。
この艦砲射撃を受けた米軍は早速この戦法を応用、戦争後半の太平洋の島嶼攻撃、沖縄本島への攻撃等を行った。米軍の艦砲射撃は航空機による制空権の確保、地上爆撃を行った上で、圧倒的な火力に正確な着弾観測を行い、目標をエリアで区切り一つずつ徹底して潰していくというものであった。この砲撃の凄まじさは当時の日本軍兵士の手記等により知ることが出来る。この艦砲射撃は1991年の湾岸戦争においても戦艦ミズーリ、ウィスコンシンによってイラク軍陣地に対して行われている。
因みに日本海軍は1944年に最後の艦隊戦力を投入してレイテ島に上陸した米軍への艦砲射撃を企図して進撃、レイテ沖海戦が起こった。結局突入には失敗したが、仮に成功していたとしてもヘンダーソン基地艦砲射撃の時よりもさらに条件が悪かったために失敗していた可能性は高い。
まとめ
ヘンダーソン基地艦砲射撃は、一定の戦果は上がったが、米軍のように一点に全戦力を投入して徹底して行うというものではなく、戦力を小出しにしている感が否めない。だが、仮に全戦力を集中して投入したところでガダルカナル島を再占領維持するのは日本の国力、特にロジスティクスの観点から考えると難しかった。ここは内地からは遠すぎるのだ。
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