01_北方領土
(画像はwikipediaより転載)

 

プーチンの温情を期待しちゃダメよ

 

はじめに

 どうも。中の人です。つまりはブログの管理人、そして執筆者であります。このブログでは出来るだけ自分の意見や個人的なことを書くのは止めようと思っていたのだが、最近、何となくこれらのことを書てみたくなったのだ。今後もたまに書くつもりではあるが、私は比較的(かなり)飽きっぽい性格なのでまたやめてしまうかもしれないが、今回は少し自分の意見というのを書いてみたいと思う(以前は書いていた)。

 

ロシア擁護発言

 今年の2月24日以降、ウクライナ戦争のことが話題に上らない日はない。それはそうであろう。21世紀の現在において大国が隣国に軍事侵攻するという思ってもみないことが起こったのだ。もちろん今までも戦争はあった。しかし今回の戦争はどうみても純粋な侵略戦争である。それも20世紀型というのか、戦車を先頭に軍隊が侵攻して来るというかなりステレオタイプの軍事侵攻であった。これは世界中大騒ぎになるに決まっている。

 もちろん国際法に違反しているのはロシアであって、ロシアが批判されなければならないのは当然のことである。現にマスコミの論調もロシア批判、ウクライナ擁護でほぼ統一されている。とはいってもウクライナが「正義」であるとは思えない私であるが、そんな私ですら奇異に感じるのがひたすらロシア擁護ともとれる発言を繰り返す鈴木宗男氏、そして最近、同氏のパーティーでウクライナ批判ともとれる発言をした森喜朗氏に対してである。

 意見とは人それぞれであってよいので、その発言自体を批判するつもりも否定するつもりもないのであるが、私は何故そのような発言が出て来るのかが理解できないのである。ウクライナという主権国家にロシア軍が大挙して侵攻、さらには占領地での虐殺を始め多くの戦争犯罪を行っている。これは国際法上の明確な違反であり、人道上も非難されるべきものだ。しかし鈴木、森両氏はそれらについてロシアを擁護、ウクライナを批判するような発言をしている。この原因はなんなのだろうか。

 

原因ななんなのさ

 鈴木宗男氏、森喜朗氏の経歴を考えるとどちらもプーチン氏との面識があることが窺える。特に森氏とプーチン氏は非常に信頼し合っている関係であるとも言われおり、鈴木氏もプーチン氏が最初に会った国外の政治家であるということを度々喋っている。つまりは両氏がロシア寄りの発言を行う理由は、単にプーチン氏に対して好意を持っているからなのだろうか。そうであればそれは全く個人の自由であるので、正直、私としては特に興味もない。

 しかし、私が以前からどうしても疑っているのは、鈴木氏や森氏等がロシア寄りの発言を、特に鈴木氏が繰り返すのは、プーチン氏におもねることによって北方領土が返還されることを期待しているのではないかということだ。以前から森氏とプーチン氏はそれぞれ「ヨシ」「ウラジミール」と呼び合っており、二人の友情物語のようなものが作家の佐藤優氏によって語られており、鈴木氏もプーチン氏が義理人情にあつい人物であると語っている。仮に両氏が、そのような人間関係からプーチンの義理人情によって北方領土の返還を狙っているのだとすれば、はっきり言って無駄である。可能性は99.9%ないと言ってよい。

 

権力って意外と複雑

 軍事オタク、歴史オタクでしかない私が偉そうに言えたことではないが、この理由について少し私見を書いてみたい。そもそも国家の意思決定というものはどういうものなのか。まず、そこから考えなくてはならない。例えばロシアの場合、国外の私達からみると元首であるプーチン氏が全て一人で決断しているように見える。しかし恐らく実際はそうではない。人口が1億3,000万人もいるロシア、それらを円滑に統治するためには政治家がおり、官僚機構が存在する。さらに軍隊に警察を始めとする治安機関、情報機関、さらにはオリガルヒ等も存在する。

 これらはそれぞれに職権がある以上、そこには権力が存在する。当然、上に上がれば上がるほど強くなる。特に武力を背景にした軍や警察、情報機関の権力というのは馬鹿にできないだろう。これらの官僚組織やオリガルヒ等は単なる人形ではなく、それぞれに意思を持っている。それは思想かもしれないし組織保存の意思かもしれないし、権力者の個人的な欲望かもしれない。これらの意思をある程度満足させなければ権力というのは維持できない。不満が高まれば求心力を無くしてしまうし、最悪反乱を起こされてしまう。

 「そんなもの弾圧してしまえばいい」と思うかもしれないが、仮にそうだとしても弾圧する組織の権力者の意思は少なくとも満足させなければならない。そうでなければ弾圧すらできないのだ。そういった組織も一つでは力を持ちすぎてしまう。なので安定して権力を掌握したければ複数の組織の権力者の意思を満たす必要がある。簡単に弾圧といっても弾圧する組織を維持するのも大変なのだ。何にしろ、トップに立つ人間というのはこれらの意思を持った権力者達の中でバランスを取りながら権力を維持しているに過ぎない。これはロシアに限った話ではなく、人類の全てのトップに対して言えることだ。「生殺与奪は思いのまま」というような絶対的な強権を持った権力者などというものは空想上の産物に過ぎないのだ。

 

国家という人格

 さらに国家というのは多くの国民が存在する。彼らの思想というのはその国のおかれた地理的条件、歴史によってある程度決定されている。例えば日本だと、日本というのは海に囲まれており、隣国には中国、ロシア、北朝鮮、韓国等の国があり、反対側には米国がある。中国、ロシア、北朝鮮という旧共産圏の国々と海を挟んで対峙しているという地理的条件がある。歴史的には日本は共産主義思想を受け入れなかった上に第二次世界大戦によって米国に完敗、米国の進駐を許した。この結果、同じ価値観を共有するようになった日本と米国は強力な同盟関係を構築、旧共産圏と対峙するようになったという歴史がある。米国は米国で海に囲まれた地理的条件で海の両端の国(英国、日本)と強力な同盟関係を持つことで自国の安全保障としている。

 つまりそれぞれ国家には地理的、歴史的に制約された「意思」と呼べるようなものが存在しており、それらは歴史の積み重ねで生まれた国家の大きな方向性である。さらには上述のように国家内には様々な権力が存在する。それらの複雑な関係によって意思決定がなされているのが国家であり、たった一人のトップの意向によってひっくり返すことは難しい。最高権力者といってもこれら複雑な力関係の中で「裁量権の大きな人」という程度でしかないのだ。仮にプーチン氏が北方領土の返還を義理人情によって決定したとしたらどうなるのか。恐らく国内右翼からは猛攻撃を受ける。それ以外にも戦争で手に入れた領土を何の理由もなく日本に譲渡するというのは多くのロシア人にとって納得できるものではないであろう。少なくともロシアにとってメリットはあまりにも少ない。

 

本人もそんな気がないのでは?

 では、プーチン氏にそんな意向があるのかといえばそれは全くないであろう。プーチン氏が権力を掌握した2000年以降、2014年にはクリミア半島を併合、今年に入ってはウクライナに軍事侵攻を行い、ウクライナ東部地域を併合してしまっている。客観的にみればプーチン氏が権力を掌握して以降、領土は拡張されている。この流れの中で北方領土のみを日本に返還するという可能性というのは非常に低い。プーチン氏自身にとっても何も得るものはないのだ。ただ、唯一得られるものがあるといえば、自身の政治生命と生命そのものを失うリスクのみであろう。

 そんな状況の中でプーチン氏が森喜朗氏との「友情」や鈴木氏のロシア擁護に感銘を受けて北方領土を日本に返還する等ということは理屈から考えるとほぼない。実際、プーチン氏が権力を掌握してから22年が経つが、森氏の「友情」や鈴木氏の活躍があったにもかかわらず北方領土は返還されていない。結局はそういうことなのだ。

 

おわりに

 とまあ、私が思っていることを適当に書いてみたが、実際どうなのかは誰にも分からない。ロシア寄りの発言をしている人は、単純にプーチンが好き、ロシアが好きだったり、自身の分析の結果であるのかもしれない。ただ、仮にプーチンを擁護することで北方領土が返ってくると考えているのであれば、その可能性は非常に低いというよりほぼほぼ無理であろう。ある日突然、「ヨシ(喜朗)、北方領土を日本に返すよ!」となるかもしれないがそんな日は当分来ないだろう。

 

北方領土交渉史 (ちくま新書)
鈴木美勝
筑摩書房
2021-09-17


イチから分かる北方領土
北海道新聞社
2019-06-01

 

 

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