(画像はwikipediaより転載)
戦艦ペトロパブロフスク級は速力こそ若干遅かったものの、それ以外の性能面では当時の一流戦艦と比べても遜色のないものであった。同型艦3隻とも日露戦争に参加、3隻とも撃沈されるが、戦艦ポルタワは後に日本軍により浮揚、戦艦丹後となったのち再びロシア軍に編入、さらにイギリス軍に鹵獲、ソビエト連邦海軍に編入という数奇な運命を辿る。
戦艦ペトロパブロフスク級 〜概要〜
性能
通常排水量 11354トン
最大排水量 -トン
全長 112.38m
全幅 21.31m
吃水 7.77m
機関出力 1万1250馬力
最大速力 16.5ノット
航続距離 4000海里/10ノット
乗員 632名
武装 40口径30.5cm砲連装2基
45口径15.2cm砲連装4基
45口径15.2cm砲単装4基
4.7cm砲単装12基
3.7cm砲単装28基
45.7cm水上発射管2門
同水中発射管4門
装甲 舷側 40.6cm
甲板 7.6cm
主砲 35.6cm
同型艦 3隻
特徴
(画像はwikipediaより転載)
本級は当時の世界の戦艦の水準からしても速力が若干劣る以外は(16.5ノット。同時期に竣工したイギリス戦艦カノーパス級は18ノット)、遜色のない性能を有していた。艦形は艦首、艦尾は著しく突出、かつ水線部分から上部に上がるにつれて絞られていくといういわば「ピラミッド型」のような形状をしていた。これは備砲の視界を確保するためにも有効であった。主砲は40口径30.5cm砲で当時の平均的なもので1発/分の発射性能を持つ。
同型艦
戦艦ペトロパブロフスク(起工1892年5月、竣工1899年)
戦艦ポルタワ(起工1892年5月、竣工1899年)
戦艦セヴァストポリ(起工1892年5月、竣工1899年)
戦歴
(画像はwikipediaより転載)
戦艦ペトロパブロフスクは1899年に就役すると太平洋艦隊に所属。1900年5月に旅順口に到着し、太平洋艦隊の旗艦となった。日露戦争時、旅順港外で触雷して沈没。乗艦していたロシア太平洋艦隊司令官ステパン・マカロフ中将も戦死した。戦艦ポルタワは1900年に就役、黄海海戦に参加したが、日本軍による旅順口砲撃により大破着底した。後に日本軍により浮揚鹵獲され戦艦丹後となる。この戦艦ポルタワは数奇な運命をたどるがそれは後述する。戦艦セヴァストポリは黄海海戦に参加、旅順港外において駆逐艦、水雷艇の攻撃により着底、日本軍による鹵獲を避けるために1905年1月に沖合で自沈した。
戦艦丹後(戦艦ポルタワ)
1905年5月日本軍により浮揚鹵獲された戦艦ポルタワは戦艦丹後と命名され一等戦艦として日本海軍に編入された。編入された後、ボイラーは日本製に変更され、さらに兵装などが変更された。1912年には一等海防艦へ類別変更、第一次世界大戦では日本とロシアは同盟国となったため1916年にロシアに返還された。この際、艦名ポルタワは既に使用されていたために戦艦チェスマと変更された。
戦艦チェスマ(戦艦ポルタワ)
戦艦チェスマとなったポルタワは白海艦隊に編入、ロシア内戦ではソビエト軍に参加した。このためロシア内戦に介入した連合軍により鹵獲された。イギリス軍では刑務所として使用されていたが、イギリス軍の撤退により白海艦隊に復帰、1923年廃棄処分が決定、翌年に解体された。
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