最近、飛行艇物に首ったけな私である。今度は北出大太『奇跡の飛行艇』を読んでみた。北出氏は海軍の飛行艇乗りで操縦練習生21期という開戦時にはすでにベテラン搭乗員であった凄腕の飛行艇乗りだ。操縦練習生21期というのがどれくらいすごいのか分からない方も多いと思う。伝説のエース坂井三郎氏は操縦練習生38期である。操練21期は昭和8年に修了で操練38期は昭和12年。坂井氏より4年も多くの飛行経験を積んでいるということだ。
『二式大艇空戦記』の著者である長峯五郎氏もそうだったが、本書の著者北出大太氏も向こう気が強い。私の飛行艇乗りは温和という価値観を木端微塵に粉砕してくれた。しかし北出氏は単なる向こう見ずな性格ではなく、戦争中に戦争とは経済の余裕があって初めて勝利できると考える合理的な人である。
本書で私が一番気になったのは水戦搭乗員の河口猛飛曹長の活躍であった。河口飛曹長は戦死してしまうがそれまでに二式水戦で38機を撃墜したという。昭和18年の時点で飛曹長ということは操練でいえば20期台後半から30期台前半、甲飛でいえば2、3期、乙飛では3〜5期くらいだろうか。著者は地上から河口飛曹長の空戦を見ているのだが、かなり詳細に書いている。その戦い方は圧巻だ。その河口飛曹長も戦死してしまうのだが。。。
それ以外にもフィリピンから金塊やダイヤ等を大量に運んだ話、内部が二階建てになっている二式大型飛行艇よりも九七式大型飛行艇の方が操縦しやすいこと、日本では1機で双発6機分相当の予算がかかる4発重爆は技術的にはもちろん可能であったが、コストの関係で作れなかったことなどが面白い。それと著者が大阪川西飛行機でみたという6発の大型飛行艇というのは何なのだろうか。木製のモックアップが存在したという可能性はあるようなので著者はこれをみたのだろうか。それにしても実際に飛行できる機体があるかのような書き方だ。
それにしても飛行艇戦記は面白い。
|
|
|
コメント
コメント一覧 (3)
実際に出撃事例があったのですね。
ゲームでは有効な攻撃方法でしたが、実際に行われたとすると、おっしゃるとおり悲惨な結果になるでしょうね。
御紹介いただいた「最後の飛行艇」も読んでみたいと思います。ありがとうございました。
さて、質問の件ですが、大艇による雷撃は戦争初期の頃にはしばしば行われていたようです。
そもそも大型で動きの鈍い飛行艇は雷撃には不向きであり、雷撃をかけるとむしろフルボッコにされるので徐々に行われなくなっていったと記憶しています。
飛行艇の雷撃については日辻常雄『最後の飛行艇』に詳しいです。飛行艇雷撃時に著者が実際戦闘に参加しています。
現在鹿屋にある二式大艇の実機が船の科学館にあった頃、見に行ったことがあります。その大きさに圧倒されると共に、大戦機なのに現代にも通じる完成度の高さを感じました。
さて当方、大昔にアバロンヒル社のウォーゲーム(FLATTOPだったか?)を嗜んでいた時に、九七大艇&二式大艇に雷装して敵艦隊に奇襲攻撃をかけていました。
実機も雷装できるようですが、実際に雷装して出撃・攻撃した実例はあるのでしょうか?。
ご存知であればご教授ください。