総評
本書は内容的には非常に読み応えがあり素晴らしいものだった。私は精読派なので読了には時間がかかったが一気に読み終えてしまった。調査には相当の労力が必要だっただろう。巻末の参考文献の量や内容の多彩さからも著者の苦労が分かる。
本書は虚飾に満ちた大本営発表が起こった土壌に軍部とマスコミの癒着、陸軍と海軍の対立を始めとする各組織間の不和があるという。その中で現場の過大な戦果報告を無批判に発表し、損害の隠ぺいが始まる。本書が特に素晴らしいのは最終章である。
著者はこの大本営発表の問題を過去の歴史としては終わらせない。著者にとって歴史とは、あくまで現代の問題を解決するために役立てるものであるようだ。歴史研究者は結構、「自分は歴史を調べるだけの仕事ですから〜ハイ・・・(;´・ω・)」という人が多いが、著者は真正面から現在の問題点に言及している。この視点は特に素晴らしい。
書評
書店で発見してそのまま購入してしまった。本書はあの有名な大本営発表を徹底的に調べ上げたものだ。一般的に大本営発表とは事実と異なるプロパガンダというイメージがある。まあ、実際そうなんだけど・・・。では大本営発表というのは実際どういうものなのか、ということを精緻に調べ上げたものだ。
辻田氏の調査によると大本営発表は日中戦争から始まり、太平洋戦争開戦によりその数を増した。終戦まで続けられた結果、戦時中の大本営発表の彼我の戦艦空母の損失を合計すると、日本軍は大戦中、連合軍空母84隻、戦艦43隻を撃沈し、味方の損害は空母4隻、戦艦3隻という圧倒的勝利であった。もちろんこんなのは嘘である。ではどうしてこのようなことになってしまったのだろうか。
大本営発表の変貌
上記の通り、大本営発表とは当初は事実に即して発表されていた。実際、真珠湾攻撃の戦果などはその後の調査で戦果が過大であったことが分かると訂正されている。しかしミッドウェー海戦の損害が空母4隻撃沈というあまりに激しい損害のために味方の被害を過少に報告することによって嘘の発表が始まった。
因みにこのミッドウェー海戦の損害は一般以外にも陸軍や天皇にまで隠ぺいされた(戸高一成『海戦からみた太平洋戦争』)。世間に情報が漏れないようにミッドウェー海戦から生き残った搭乗員は笠之原基地等に(原田要氏の『わが誇りの零戦』)、列機の岡元高志氏は大湊基地に隔離された(森史朗『零戦 7人のサムライ
』)。
ミッドウェー海戦に参加した杉野計雄氏は著書『撃墜王の素顔』の中で同様に禁足が命じられたと語っている。さらに別にアリューシャン作戦に参加していた谷水竹雄氏は手記「愛機零戦で戦った千二百日」『零戦搭乗員空戦記
』でミッドウェー作戦に参加した蒼龍乗組員の救出の際、会話を禁じられたこと等、現場からすでに隠ぺいが始まっていたことが分る。
大本営発表は味方の損害は過少に報告され、戦果は過大に報告された。これだけをみるとただの嘘情報なのだが、当初正確だった大本営発表がどうしてそのように変貌してしまったのだろうか。細かく分けると損害の隠ぺいと戦果の過大報告というのは理由が異なる。
戦果の過大報告
損害の隠ぺいは大本営発表で意図的に行われたものだが、戦果の過大報告というのは大本営発表が意図的に行ったものではなかった。ではどうして戦果の過大発表というのが起こってしまったのかというと理由は簡単だ。そもそも現場部隊からの戦果報告が実際とはかけ離れた過大なものであったからだ。
海軍の太平洋戦争は航空戦が中心であった。航空戦では戦果の確認は難しい。当初はベテラン搭乗員がある程度正確な戦果報告をしていたが、搭乗員の技量が低下するにつれて報告も事実に反するものになっていった。
当時報道班員として最前線ラバウルにいた吉田一氏は著書『サムライ零戦記者』の中で「大本営発表は信用されないが、戦果報告に嘘は無い」という趣旨のことを書いている。確かに戦果報告に嘘は無かったかもしれないが、そもそも搭乗員自身が戦果を誤認していたようである。実は、吉田氏がラバウルにいた当時のベテラン搭乗員達の戦果報告も実態より過大になる傾向はあった。これは彼我の損害の比較をした梅本弘『ガ島航空戦』に詳しい。
後方の大本営報道部は前線からの過大な報告を無批判に発表してしまったのだ。批判をしようとすれば「現場で命がけで戦っている我々の戦果報告が信用できないのか!」ということになってしまう。そもそも批判しようにも否定する情報がない。
その結果、戦果は過大になり、損害は隠ぺいされた。それはソロモン海域の戦闘が始まるとさらに激しさを増し、大本営発表が事実からかけ離れるに比例して国民からの信用も失っていった。この頃から大本営発表に対する国民の批判的な言論等が目立ち始めるという。
その後、マリアナ沖海戦、幻の大戦果と言われる台湾沖航空戦でも事実と異なる戦果発表が行われた。台湾沖航空戦に関しては海軍は戦果が過大であることを発表前に知っていたにも関わらず陸軍にすらその情報を伝えなかった。結果、陸軍は米機動部隊は壊滅したという前提にフィリピンで積極攻勢に出て壊滅してしまう。
マスコミのスクープ合戦
ただ、大本営発表が虚飾に満ちてしまったのは上記の理由だけではない。そこには新聞社との癒着があった。我々は戦前の日本の言論界というとすでに軍部の言いなりだったと思いがちだが実際は違った。言いなりどころかマスコミは軍部に批判的ですらあった。
それが変わってきたのは日中戦争からだという。日中戦争でのマスコミ各社のスクープ合戦が始まり、スクープを得るために軍部との協力は不可欠であった。軍部としてもマスコミをコントロールすることで軍部に有利な記事を書かせることができるという癒着が始まったのだ。
結果、マスコミの権力への監視機能は発揮されることはなかった。恐ろしいのは戦前の日本というのは決して強圧的に政府がマスコミを支配していたのではなく、マスコミは自ら利益を得るために権力への監視機能を放棄していったということだ。著者は最終章で現在の政府マスコミの関係にも言及し警鐘を鳴らす。
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