01_晴嵐
(画像はwikipediaより転載)

 

要約

 晴嵐は太平洋戦争後期に開発された日本海軍で唯一の水上攻撃機である。攻撃機とは水平爆撃と共に雷撃ができる機種のことで、爆撃のみの機種は爆撃機と呼称された。水上攻撃機とは水上、すなわちフロートを持つ水上機であり、なおかつ雷撃が可能な航空機ということである。最高速度は474km/hで800kg爆弾搭載可能なこの機は一般に「潜水空母」と呼ばれる伊400型潜水艦用に開発された機体であった。

 

水上攻撃機晴嵐

 

 

性能

全幅 12.26m
全長 10.64m
全高 4.58m
全備重量 4,250kg
最大速度 474km/h(高度5,200m)
     ※フロート投棄時559km/h(推定値)
上昇力 3,000mまで5分48秒
上昇限度 9,900m
エンジン出力 1,400馬力(熱田32型エンジン)1基
航続距離 1,189km
乗員 2名
武装 13mm旋回機銃1門、800kg爆弾1、または45cm魚雷1、または250kg爆弾4発
初飛行 1943年
総生産数 28機
設計・開発 尾崎紀男 / 愛知航空機

 

背景から開発まで

 潜水艦に水上機を搭載するという考えは以前からあり世界中で研究されていた。日本でも大正時代から研究が続けられていたが、実戦に使用したのは世界で唯一日本のみである。各種実験機の後、最初に制式採用されたのは九六式小型水上偵察機であった。その後、1940年になると零式小型水偵が制式採用、順次新水偵に更新されていった。

 また日本は、1942年になると伊400型超大型潜水艦の開発を開始、この潜水艦に搭載するための高性能水上機の開発が志向された。潜偵の技術、さらには瑞雲等にみられるような水上攻撃機、爆撃機の技術、これらの結晶として誕生したのが晴嵐である。

 

開発

 1942年5月15日、海軍は、極秘裏に愛知航空機に十七試攻撃機の開発を指示した。愛知航空機は尾崎紀男技師を設計主務者として基礎研究を開始、1943年5月初めに試作設計に着手。1943年11月1号機が完成する。この晴嵐も数百機単位での量産化が計画されており、計画では、1944年度に100機、1945年度に120機生産する計画だったという。しかし、実際完成したのは、試作機・増加試作機8機、生産機が20機の合計28機のみであった。この中の2機(試作6号機と7号機といわれている)は、陸上機型に改修されている。これは試製晴嵐改と呼ばれる。

 

晴嵐と南山

02_南山

 

 一般には、この陸上機型晴嵐は南山と呼ばれているがこれにはいくつか説があるようだ。一つが晴嵐を「南山」として陸上攻撃機として使用する計画であった説。もう一つはそもそも十七試攻撃機は「南山」と呼ばれるはずであったが、「南山」は「難産」に通じるため晴嵐と改めた説。さらに、フロート付きの機体を晴嵐、陸上機型と車輪なしでカタパルト射出式のものを南山と呼んだ説などがある。

 

晴嵐の性能

 燃料タンクは翼内に8個のタンクを持ち、さらに74Lの集合タンクを持つ。総容量は962L。エンジンは初期のものは、1,100馬力液冷式熱田21型エンジン。それ以外は1,400馬力液冷式熱田32型エンジンを装備する。熱田21型エンジンを装備した機体は初期の極少数のみであるという。何機が熱田21型エンジンを装備した機体なのかは不明。

 最高速度は熱田21型エンジンを装備した機体が時速380km(フロート装着時)、4,000mまでの上昇時間が8分36秒、航続距離2,000km、熱田32型エンジンを搭載した機体は、最高速度486km(フロート装着時)、3,000mまでの上昇時間が5分55秒、航続距離1,111kmである。このスペックは愛知航空機側と海軍側の資料で若干異なっている。

 因みに晴嵐はフロートは投棄することも可能であり、250kg爆弾の場合はフロートを装着したままでも搭載可能であったが、魚雷や800kg、250kg爆弾を搭載した場合は、フロートを外す予定であった。投棄した場合は速度が85km増大し、最高速度559kmに達する見込みであり、武装は250kg爆弾2発または800kg爆弾1発、または91式改三強航空魚雷1本が搭載できた。さらに固定武装としては後席に二式13mm旋回機銃1挺を搭載している。

 潜水艦が浮上してから射出するまでは3分程度であったといわれている。伊400に搭載されている3機全部を射出するには10数分を要した。射出した3機を回収するのには30分以上が必要であった。 終戦により伊400、伊401に搭載されていた晴嵐は海中に投棄された。戦後、1機が米軍に接収された。その1機のみが現存している。

 

晴嵐の配属部隊と実戦

 

 1943年11月に試作1号機が完成、その後の量産化の目途も付いた1944年2月15日、晴嵐を運用する部隊として631空が編成された。母艦である伊400型も1944年12月に伊400潜が完成、1945年3月までに伊401潜、伊400型の不足を補うために改造された伊14潜も完成した。1945年4月には631空とこれら伊号潜で編成された第一潜水隊との合同訓練を開始、当初はパナマ運河の破壊を目的としていたものの戦局の悪化により米機動部隊の拠点、ウルシー環礁攻撃を実施することが決定した。

 1945年6月25日、これら部隊にウルシー環礁攻撃が下令された。事前準備として伊13潜、伊14潜がトラック泊地に艦上偵察機彩雲を輸送、事前偵察が行われた結果、8月17日に作戦決行が決定された。7月24日、準備が完了した伊400潜、伊401潜は大湊を出航、搭乗員は神龍特別攻撃隊を編成、決死の覚悟で出撃したが、出撃直前に終戦となり本土に帰還した。

 

晴嵐の生産数

 晴嵐は試作機8機、量産機20機が製造され、内2機が陸上機型に改修された。

 

水上攻撃機晴嵐の書籍

 

高橋一雄『神龍特別攻撃隊』

神龍特別攻撃隊―潜水空母搭載「晴嵐」操縦員の手記 (光人社NF文庫)

 

 恐らくほんの数人しかいないだろうと思われる水上攻撃機晴嵐搭乗員の手記。著者は潜偵乗りで選抜され伊400型潜水艦の潜偵隊員に選ばれる。パナマ運河爆破作戦が特攻を前提に作戦を立てていたことなどが書かれている。著者は実際に伊400型に乗艦して洋上で終戦を迎えている。その緊迫した描写も貴重だ。

 

伊四〇〇と晴嵐 全記録 改訂増補版

伊四〇〇と晴嵐 全記録 改訂増補版

 

 晴嵐は伊400に搭載されるために製作された水上攻撃機である。この伊400と晴嵐の双方を綿密に取材して完成させたのが本書だ。当時の最強の潜水艦伊400と時代を超えた超高性能水上攻撃機晴嵐の全貌が分かる。

 

まとめ

 

 晴嵐は山本五十六発案と言われているパナマ運河爆破作戦の一環として潜水空母伊400と共に潜水艦からの発進を前提として開発された水上攻撃機であった。この組み合わせは、世界初の戦略潜水艦であり時代を先取りしてはいたが、日本の国力と技術力、経済力の全てがそれを許さなかった。結局、伊400型潜水艦で完成したのは3隻、晴嵐は28機ととても戦略を大きく動かすものではなかったが、晴嵐の高性能は日本の航空技術者の水準の高さを証明したといえる。

 

⇒航空機一覧へ戻る

 

amazonで晴嵐を探す

楽天で攻撃機 晴嵐を探す

 




 

 

↓良かったらクリックして下さい。


ミリタリーランキング