01_満州事変
(画像はwikipediaより転載)

 

要約

 満州事変とは、1931年9月の柳条湖事件から始まる関東軍による一連の軍事行動である。関東軍は謀略により満州の軍閥張学良軍に対して戦闘行動を開始、各地を制圧する。その後朝鮮軍が投入され満州全土をほぼ制圧した。軍部の暴走であったが、政府も満州国を承認したものの国際連盟はこれを認めなかったため日本は国際連盟を脱退する。

 

満州事変

 

02_あじあ号
(画像はwikipediaより転載)

 

 1906年、日露戦争終結により、日本はロシアから遼東半島先端部分の関東州の租借権と旅順から長春までの南満州鉄道と付属地の権益を継承、これらの権益を守るために関東軍を配置した。当時、日本は満州全土を支配していた訳でなく、それ以外の満州の多くの部分は、中国の軍閥である張学良が支配していた。

 アヘン戦争後、列強国に食い物にされていた中国であるが、徐々に国権回復の機運が高まりつつあり、満州を支配する張学良はその一環として南満州鉄道に並行する鉄道を開設、運賃を低価格に設定して南満州鉄道の経営を圧迫、さらに付属地からの商品に高い関税をかけることで日本に対抗していた。同時に日本人への殺害事件等が相次ぎ、中国国内で反日世論が高まるのと同時に、日本国内でも反中国世論が高まっていた。

 

柳条湖事件から満州占領へ

03_満州事変
(画像はwikipediaより転載)

 

 当時、関東軍の参謀達の間では、満州を占領することによりソ連の南下に対して朝鮮を守るという目的から満州の占領が計画されていた。1931年9月、南満州鉄道の線路が何者かによって爆破される。これは関東軍の自作自演であったが、関東軍はこれを張学良の軍によるものと断定、即座に作戦行動を開始、奉天、長春、営口の各都市を占領する。

 これらの作戦は計画通りに無事完了したものの、関東軍はわずか1万、対する張学良の軍は45万という圧倒的な兵力差があった。このため関東軍は当時朝鮮に駐屯していた精鋭部隊朝鮮軍の派遣を要請する。当時の若槻礼次郎内閣はこれを拒否するも、世論と陸軍の圧力により認めることとなる。これにより1932年初頭には、日本軍は万里の長城の線を境界線とした満州全土を制圧、3月には清朝の最後の皇帝愛新覚羅溥儀を皇帝とした満州国を成立させた。

 辞任した若槻礼次郎内閣に代わり組閣した犬養毅内閣はこの満州国承認を渋っていたが、1932年、犬養首相が五・一五事件により殺害、9月には次に組閣した斎藤実内閣が満州国との間で日満議定書を締結、満州国を承認した。これら一連の軍事行動は、中華民国政府の提訴により国際連盟の調査対象となり、リットン卿を団長とする調査団が派遣された。調査団の結果は、日本の経済的利益は擁護しているものの満州国は認めないというものであった。

 

熱河作戦と国際連盟脱退

 

04_リットン調査団
(画像はwikipediaより転載)

 

 ここで少しややこしい話をしたい。満州事変に対して中華民国政府は国際連盟に第11条を根拠に提訴した。この11条とは、「戦争になりそうな事案が発生した時には理事会を開く」という程度の内容であったが、1932年1月に第一次上海事変が発生、海軍陸戦隊と中華民国軍の戦闘状態が発生すると中華民国政府は提訴を11条から15条に切り替える。15条とは「国交断絶する可能性がある戦争」という11条よりも一段と深刻な状況に対応する条文で、国際連盟に提訴された段階で双方戦闘を終始しなければならない。もしも違反した場合は、国際連盟加盟国全部に対して戦争を起こしたとみなされ、16条を根拠に経済制裁、除名の対象になった。この状態で起こったのが熱河作戦である。

 熱河作戦とは、1933年1月に起こった日本軍による熱河省での抗日兵力への掃討作戦である。熱河省とは、日本が主張する万里の長城以東の満州国内にあった省で、ここで抗日軍が育成されていたため日本軍は掃討作戦を計画する。満州国内の掃討として天皇の正式な裁可を得た作戦ではあったが、満州国を承認しているのは日本のみであり、国際的には明確に中国領であった。国際連盟に預けられている最中の案件であるにも関わらず、中国国内で日本軍が戦闘行動を起こしたとすれば前述の16条が発動され、経済制裁、除名の対象となってしまう。

 これに気付いた斎藤実首相は天皇に中止を進言。天皇も同意するが、「一度裁可したものを中止すれば天皇の権威が失墜、軍部の暴走が止められなくなる」と考えた重臣や側近達によって天皇は説得され中止されることはなかった。結局、経済制裁、除名という不名誉を被らないために斎藤内閣は国際連盟の脱退を決意、連盟脱退に強く反対していた日本全権松岡洋右は皮肉にも国際連盟で脱退を宣言して退出することになった。

 

まとめ

 

 満州事変により日本は国際連盟を脱退、1936年にはロンドン海軍軍縮条約も失効、日本は世界から孤立していく。軍拡時代にはいった海軍は条約に縛られない軍艦の建造を開始、陸軍は満州の防衛用として華北分離工作を開始した。中国では抗日運動が激化、日中戦争へと進んでいく。

 

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