
(画像はwikipediaより転載)
南部式大型拳銃
性能
全長 230mm
重量 955g
口径 8mm
使用弾薬 8mm南部弾
装弾数 8発
総生産数 -
設計・開発 南部麒次郎
1893年、日本初の軍用リボルバー二十六年式拳銃が制式採用された。このリボルバーは低威力ではあったものの、その分扱いやすく、諸外国のリボルバーと比べても比較的完成度が高いものであった。しかしその後時代は徐々に自動拳銃へと傾斜していく。日本でもその流れに対応して銃器設計者南部麒次郎が自動拳銃を開発した。これが南部式大型自動拳銃である。完成したのは1902年で当時未だルガーP08、コルトガバメントという名銃たちは完成しておらず、かなり早い時期の自動拳銃といえる。
初期に製作された型は甲型と呼ばれ、マウザー(モーゼル)C96等と同様にホルスター兼用の木製ストックが装備されていた。驚くことにトリガーガードは木製でリアサイトは照尺式のアイアンサイトであった。因みに「照尺式リアサイト」とは遠距離を射撃することを目的に開発された照準器でサイトを調整することで遠距離を照準することができるものだ。20世紀初期にはブローニングハイパワーやマウザー(モーゼル)C96等に装備された。しかしそもそもハンドガンで遠距離射撃をする必要はないし、そもそも当たらない。そのため後にはほとんど採用されることはなくなっていった旧世代の照準器である。
海軍、そして陸軍も採用
甲型にも採用されたということはこの甲型はストックと併せて遠距離射撃にも対応していたということであろう。この甲型、1904年には生産設備が整い生産が開始、早くも同年に勃発した日露戦争において実戦仕様されている。当時の価格は25円、二十六年式拳銃の22円に比べ若干であるが高くなっている。しかしリボルバーと自動拳銃という違いを考慮すればむしろ割安といえる。その後、甲型を改良した乙型が完成、これはホルスター兼用ストック、照尺式リアサイトを廃して、トリガーガードもアルミ製としたもので甲型に比べてかなり近代化したものとなった(後期型では照尺式リアサイトが復活している。)。当時制式採用されていた二十六年式拳銃と比べても、重量は同等でありながら自動拳銃で連射は容易になり、威力も増している。純粋に高性能な拳銃であった。
このため1908年には「仮称四一式拳銃」として陸軍で採用試験が行われた結果、採用直前まで行ったが、予算の関係上採用されることはなかったが、本銃の優秀さに目を付けた海軍が1909年(1914年とも)に陸式拳銃として制式採用した。それ以外にも、将校への販売や官吏の護身用に支給されていた他。中国やタイにも輸出されている。1924年になると海軍陸戦隊が制式採用、10,000丁が納入された。そして1925年には乙型を改良した南部十四年式拳銃が陸軍に採用されている。
作動方式など
作動方式はショートリコイル方式と呼ばれる銃身が少しだけ後退して次弾を装填すると前進する方式で銃身と遊底(ボルト)とのロックはプロップアップ式が採用された。撃発方式はハンマーを使用しないストライカー方式で、安全装置はグリップ前面にあるグリップセイフティのみである。全弾発射するとボルトはマガジンに引っかかることでホールドオープン、後退したボルトを戻すボルトストップも装備されていない。生産は東京造兵廠、小倉造兵廠、東京瓦斯電気工業などで行われた。
バリエーションとしてこの乙型を小型化した南部式小型拳銃も開発された。この銃は全長174mm、銃身長74mm、重量548gで口径が乙型が8mmであるのに対して7mm×19mmの小型のカートリッジを採用、装弾数も乙型8発に対して7発になった。生産数も少ない上に仕上げも丁寧にされており、非常に高価であった。このためか恩賜品(天皇からプレゼントされる物)としても使用されている。
南部式拳銃は戦後、米兵によって米国に持ち帰られている。大型拳銃をパパナンブ、小型拳銃をベビーナンブという愛称で呼ばれているが、数が少なく高価で取引されている。因みにこの南部式大型拳銃の美しいシルエットに感動したスタームルガーの創業者は最初の自社製品にそのデザインを採用している。なのでスタームルガーMark1は南部式大型拳銃にビミョーに似ているのだ。
トイガン
トイガンでは1991年にマルシン工業より南部式小型拳銃が発売、1998年には六研から無可動であるが南部式大型拳銃が発売、近年ではCAWより南部式大型拳銃が発売されている。マルシン製南部式小型拳銃は度々再生産されるので比較的入手は容易であるが、CAW製の南部式大型拳銃は入手困難、六研製に至っては入手はほぼ不可能である。
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