(画像はwikipediaより転載) 赤松貞明中尉は、太平洋戦争全期間で活躍した主要な搭乗員達が10代後半から20代前半で開戦を迎えていたのに対して、戦闘機搭乗員としては薹(とう)が立った31歳であり、彼らの教官クラスの教官クラスと言っていいほどの搭乗員である。 ...
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【海軍戦闘機隊】『尾関行治 少尉』闘志に溢れた熟練搭乗員
(画像はwikipediaより転載) 略歴 1918年2月2日愛知県に生まれる。1935年呉海兵団入団。1936年1月32期操練に採用。7月大村空に配属。1937年12月12空に配属、中支戦線に出動する。1938年10月内地に帰還、佐伯空、大村空、元山空を経て、1941年9月3空に配属、太平洋戦 ...
【海軍戦闘機隊】『中仮屋国盛 少尉』ポートダーウィン攻撃のベテラン搭乗員
(画像はwikipediaより転載) 略歴 1920年鹿児島県に生まれる。1937年6月乙8期予科練生として入隊、1940年3月飛練課程を卒業し、大分、大村、鹿屋空を経て、1941年4月12空に配属、日中戦争に参加した。9月3空に異動して太平洋戦争開戦を迎えた。1943年5月大村空の教員 ...
【海軍戦闘機隊】『中島文吉 飛曹長』17歳で搭乗員となった律儀なベテラン下士官
(画像はwikipediaより転載) 中島文吉飛曹長の経歴 1918年富山県生まれ。1936年9月33期操練を卒業後、鹿屋空へ配属された。1938年3月13空、7月15空に異動。1941年9月3空に配属され太平洋戦争開戦を迎える。3空隊員として比島・蘭印航空撃滅戦に参加。1942年11月2 ...
【海軍搭乗員】『増山正男 飛曹長』名門横空で活躍したベテラン搭乗員
(画像はwikipediaより転載) 増山正男飛曹長の経歴 1921年長崎県に生まれる。1940年6月に49期操練を修了後、佐世保空を経て14空に配属される。海南島、ハノイ、中国大陸を転戦したのち1941年秋に3空配属となり開戦を迎える。比島蘭印航空撃滅戦に参加したのちチ ...
【海軍戦闘機隊】『杉尾茂雄 中尉』地道な多撃墜パイロット
(画像はwikipediaより転載) 乙飛5期といえば太平洋戦争で中核となった予科練のクラスだ。中瀬正幸(18機撃墜)、吉野 俐(15機撃墜)、山下佐平(13機撃墜)、角田和男(13機撃墜)等、多くのエースを輩出したクラスだ。その分、消耗も激しかった。乙飛5期戦闘機専修 ...
【海軍戦闘機隊】『中瀬正幸 一飛曹』敵飛行場に強行着陸した秀才
(画像はwikipediaより転載) 中瀬正幸は1918年生まれ、乙飛5期予科練を修了したのち戦闘機搭乗員となった。乙飛5期とは太平洋戦争で中堅、ベテランとして活躍するクラスであるが、中瀬が活躍したのは主に日中戦争である。総撃墜数は18機で敵飛行場に強行着陸をして指 ...
【海軍戦闘機隊】『宮野善治郎 中佐』いつまでも部下に慕われ続ける名指揮官
(画像はwikipediaより転載) 宮野善治郎中佐は太平洋戦争開戦後3空分隊長、204空分隊長として比島蘭印航空撃滅戦、その後のラバウル航空戦に参加して素晴らしい統率力を発揮した名指揮官である。同時に自身も16機を撃墜するという戦闘機乗りとしての腕の良さも併せ持 ...
【海軍戦闘機隊】『伊藤 清 飛曹長』ポートダーウィン攻撃の勇者
(画像はwikipediaより転載) 伊藤清は1921年生まれ、3空で活躍した多撃墜のエースである。撃墜数は23機に及ぶ。しかし私にとっては『エース列伝』でしか知らない未知のエースであった。台南空の搭乗員達は坂井三郎氏の著書で有名であったが、同時期に航空撃滅戦を行っ ...
【海軍戦闘機隊】『武藤金義 少尉』すべての人に慕われた空の宮本武蔵
(画像はwikipediaより転載) 武藤金義少尉は、撃墜王の坂井三郎をして「日本海軍で最も強靭な戦闘機乗りだった」と言わしめた男である。横須賀航空隊にいた当時、局地戦闘機紫電改を駆りF6Fヘルキャット12機編隊に単機で突入し、みんなの観ている前で4機を撃墜したと ...