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米海軍

01_ドーントレス
(画像はwikipediaより転載)

 

SBDドーントレス爆撃機

 

 

開発

 SBD-1ドーントレスとは米国の艦上爆撃機で名称のdauntlessとは「恐れを知らない。不屈の」という意味で、SBDとは(scout(偵察) bomber(爆撃) douglas(ダグラス))の略である。設計は1935年に開始され、1940年後半に初期型のSBD-1が初めて海兵隊に配備された。続いて改良型のSBD-2が海軍に引き渡されている。

 速度は若干遅いものの、機動性、操縦性に優れ、爆弾搭載量も多く、頑丈で防御性能も高い爆撃機であった。全長10.09m、全幅12.66m、全高3.94m、戦闘重量4,492kg、プロペラは3翅3.30m、エンジンはライトR-1820-60エンジン(1,200馬力)、最高速度410km/h(高度4,785m)、実用上昇限度7,650m、航続距離1,794kmで武装は12.7mm機銃2門(各360発)、後席に7.62mm機銃2門(各1,000発)、爆弾倉に最大725kgの爆弾を1発、翼下には45kg爆弾2発を搭載可能である(データはSBD-5)。フラップは穴あき式でダイブブレーキも兼ねており、母艦搭載機であるが翼は折り畳むことができない。

 バリエーションは主にSBD-1からSBD-6までの6種類あり、SBD-2は海軍用で燃料搭載量が増加している。1941年初頭に製造が開始されたSBD-3は機首の機銃を12.7mm2挺へ変更、防弾タンクと防弾鋼板を装備してエンジンをライトR-1820-52(1,000馬力)に変更している。SBD-4は陸軍モデルの海軍呼称で、SBD-5はエンジンをライトR-1820-60(1,200馬力)に変更したものである。このSBD-5が最も量産されたモデルで約2,400機が生産されている。最終型のSBD-6はエンジンをライトR-1820-66(1,350馬力)に変更したモデルである。

 

実戦参加とその後

 初の実戦参加は1941年12月10日で、空母エンタープライズ搭載機が日本の潜水艦伊70を攻撃、撃沈している。その後も様々な作戦において使用されているが、ミッドウェー海戦では日本の機動部隊に致命傷を与えている。このため当時はSBDの頭文字に因んで「Slow But Deadly」(遅いが致命的)というニックネームで呼ばれていたという。

 海軍・海兵隊のみならず陸軍でも採用され、A-24バンシー爆撃機として第二次世界大戦全般を戦っている他、イギリス海軍、ニュージーランド空軍、自由フランス空軍、メキシコ軍でも使用された。海軍では1944年後半から後継機ヘルダイバーに変更されていったが、ドーントレスはヘルダイバーに比べ速度や爆弾搭載量では劣るものの、逆に低速、軽量で着艦時の操作性に優れていたためドーントレスを使用し続ける部隊が多かった。海兵隊は終戦間際までドーントレスを使用し続けている。

 1940年から1944年7月まで製造され、総生産数は5,936機で内、SBD-5が約2,400機、陸軍モデルのA-24が953機(または948機)である。陸軍では戦後も使用され続け、1947年の空軍創設時にも存続、戦闘機として分類されF-24と改称された。この最後のF-24が廃棄されたのは1950年であるが、メキシコ軍ではその9年後の1959年まで使用し続けられた。

 

 

 

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BB-55戦艦ノースカロライナ
(画像はwikipediaより転載)

 

 ノースカロライナ級はアメリカがロンドン海軍軍縮条約が無効になった後、最初に建造した戦艦である。太平洋戦争では新鋭戦艦として参加、ソロモン海戦では戦艦同士の砲撃戦を行い戦艦霧島を撃沈する戦果を挙げた名艦である。

 

戦艦ノースカロライナ級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 35000トン
 最大排水量 44638トン
 全長 222.3m
 全幅 33m
 吃水 10m
 機関出力 12万1000馬力
 最大速力 28ノット
 航続距離 15000海里/15ノット
 乗員 1880名
 武装 45口径40.6cm砲3連装3基
    12.7cm両用砲2連装10基
    28mm機関砲4連装4基
 装甲 舷側30.5cm
    甲板14cm
    主砲30.5cm
 同型艦 2隻

 

 

特徴

 ロンドン海軍軍縮条約の無効により最初にアメリカで建造されたのがこのノースカロライナ級戦艦である。全長は前級よりも32mも長くなり、米戦艦独特の籠マストが廃止されている。主砲は当初は35.6cm(14インチ)4連装砲の搭載を予定していたが、より強力なマーク45口径40.6cm(16インチ)3連装砲に変更され、砲塔の配置も従来の前後均等ではなく前部に2基、後部に1基の配置となった。

 これはロンドン海軍軍縮条約に定められたエスカレーター条項によるもので、仮に1937年4月1日までに第二次ロンドン海軍軍縮条約に調印しない国があれば、諸々の制限を緩和するというもので、戦艦に関しては排水量45,000トン以下、主砲16インチ(40.6cm)以下に緩和される規定であった。次級のサウスダコタ級戦艦でも本級と同じマーク困鯏觝椶靴討い襪、こちらは当初からマーク困鯏觝椶垢詬縦蠅農澤廚気譴討い襦戦争後期には対空防御用として40mm4連装砲が15基追加された。

 本級の特徴としては主機に蒸気タービンを採用したことで前級であるコロラド級の2万8900馬力を大幅に上回る12万1000馬力を出すことが可能となった。これにより速力が前級の21ノットから28ノットへと大幅に向上している。本級の問題点としては主砲が変更になったため装甲が35.6cm砲用のものであり、ある程度の余裕を持たせた設計ではあったものの、40.6cm砲に対しての防御力は十分とは言えなかった。

 

建造

 1番艦ノースカロライナは1937年8月に発注され、1937年10月に起工、1940年6月に進水、1941年4月に就役している。2番艦ワシントンは1937年8月に1番艦と共に発注され、1938年6月に起工、1940年6月に進水、1941年5月15日に就役している。

 

戦艦ノースカロライナ級の活躍

 

1番艦ノースカロライナ

BB-55戦艦ノースカロライナ01
(画像はwikipediaより転載)

 

 1番艦ノースカロライナは1937年10月に起工され、1941年4月に就役したが、試運転の際、推進器の振動による不具合が発生、実戦投入可能な状態になるまでに数年を要した。1942年3月、姉妹艦ワシントンと共に大西洋に配備され、イギリス艦隊の支援及び、対ソ物資輸送船団の護衛に当たった。6月にはパナマ運河を通過し太平洋に転戦、8月にガダルカナル島上陸支援、第二次ソロモン海戦に参加する。

 1942年9月には日本海軍の潜水艦伊号19潜の発射した魚雷が命中爆発するが、被弾後も24ノットでの航行が可能であり、米軍のダメージコントロールの巧みさと本級の堅牢さが証明された。その後自力で真珠湾に寄港修理を受けた。11月には戦列に復帰、空母の直衛を行う。

 1943年3月、真珠湾に寄港、新型の射撃管制装置及びレーダーが装備された。以後、ギルバート諸島、マーシャル諸島、クェゼリン環礁、サイパン島攻撃等に参加。1944年6月にはマリアナ沖海戦に参加する。その後、フィリピン、硫黄島、沖縄攻撃に参加の後、終戦を迎える。

 戦後は兵員の輸送任務に従事した。1945年10月には米本土に帰還し、オーバーホールを受ける。その後は練習艦として活躍するが、1947年6月退役、予備役に編入される。1961年6月除籍。1962年より記念館として保存された。1986年にはアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定された。

 

2番艦ワシントン

BB-56戦艦ワシントン
(画像はwikipediaより転載)

 

 2番艦ワシントンは、1938年6月に起工、1941年5月に就役した。本艦も1番艦ノースカロライナと同様、振動問題に悩まされ、スクリューの修理、交換、乗組員の訓練を行っているうちに太平洋戦争開戦を迎えた。開戦後は1番艦ノースカロライナと共に第6戦艦戦隊を編成し、1942年3月には大西洋に向かった。

 大西洋ではイギリス艦隊の支援及び、対ソ物資輸送船団の護衛に当たった。7月にはワシントンは米本土に帰還、オーバーホールを受ける。1942年8月ワシントンは太平洋に転戦、12月には第三次ソロモン海戦では日本艦隊に単艦で突入、戦艦霧島を撃沈した。

 その後、タラワ、クェゼリン環礁、メジュロ珊瑚礁、サイパン島攻撃に参加、1944年6月にはマリアナ沖海戦に参加、日本艦隊を追撃するも戦闘をする機会はなかった。1944年9月にはパラオ攻撃、フィリピン攻撃に参加した後、レイテ沖海戦に参加する。1945年2月には硫黄島攻略に参加、4月には沖縄への艦砲射撃を行う。1945年6月には米本土に帰還する。1947年6月に予備役に編入、1960年6月除籍、1961年5月に解隊処分された。

 

戦艦ノースカロライナ級(模型)

 

 

青島文化教材社 1/700 ウォーターラインシリーズ アメリカ海軍 戦艦 ノースカロライナ

 ノースカロライナ級戦艦の1番艦。大西洋、太平洋と暴れまわった。太平洋戦争では第二次ソロモン海戦に参加する。魚雷により被弾するも堅牢な艦体のため撃沈は免れた。歴戦の艦。

 

青島文化教材社 1/700 ウォーターラインシリーズ アメリカ海軍 戦艦 ワシントン

 ノースカロライナ級戦艦2番艦。第三次ソロモン海戦で日本艦隊に単艦で突入、戦艦霧島を撃沈した殊勲艦。その後の戦闘も生き抜いたが、戦後は残念ながら解体されてしまう。

 

まとめ

 

 戦艦ノースカロライナ級は、太平洋戦争初期から中期の日米の戦力が比較的拮抗している時期に投入された新鋭戦艦であった。そのため日本艦隊の攻撃による被弾も多かったが2隻とも無事に終戦を迎えた。2番艦ワシントンは解体されてしまったが、1番艦ノースカロライナは現在記念館として保存されている。

 

関連リンク

次級サウスダコタ級戦艦

 

 

 

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01_F8Fベアキャット
(画像はwikipediaより転載)

 

F8Fベアキャット

 

 小型機に大馬力エンジンを装備するという新しいコンセプトのもとに開発されたレシプロ機である。F8F設計当時の第一線機であったF6Fヘルキャットは堅実な設計によりまとめられた高性能機であった。しかし機体は大型化してしまったため、小型の護衛空母からはカタパルトを使用しないと発艦できなくなってしまった。このためエンジンはF6Fヘルキャットと同じP&W R-2800エンジンを使用したが、機体はF6Fよりも小型化したのがF8Fである。

 この結果、完成したF8F-1は全長8.43m、全幅10.82m、全高4.17m、戦闘重量4,387kg、翼面荷重193.5kg/屐▲┘鵐献鵑P&W R-2800-34W最大2,750馬力で最高速度は689km/h(高度5,730m)に達する。F6F-3の全長10.24m、全幅13.06mと比べると全長で1.81m、全幅2.24mも短縮され、プロペラもF6Fの3.99m3翅に対して3.84m4翅と小型化された。このため日本海軍の零戦よりも小型の機体となった。上昇力は6,096mまで4分54秒と圧倒的であったが、上昇限度は10,607m、武装は12.7mm機銃4挺(各300発)に爆弾搭載量最大1,633kgと少ない。他にも軽量化のために燃料搭載量を減らしたため航続距離は1,778kmとなっている。主翼の折畳方法はF6Fのように複雑な方式ではなく、主翼の外側1/3を上方に跳ね上げるというシンプルな形式となった。

 1943年11月には機体設計が完了、1944年8月21日に初飛行をした。翌年1945年2月に米海軍に納入、VF-19に配備されたが実戦に参加する前に終戦となった。総生産数は1,265機で米海軍と一部の海兵隊航空隊に配備された。しかしこの時期になると戦闘機の趨勢はジェット機に代わりつつあり、これまでの主力戦闘機は戦闘爆撃機に任務を変えて運用されていったのに対して燃料や爆弾の搭載量が少ない本機には戦爆への道はなくジェット戦闘機に道を譲った。

 F8Fの初めての実戦参加は第一次インドシナ戦争で米軍からフランス軍に引き渡された約200機のF8Fが実戦で使用されている。さらにこの200機の内にインドシナ戦争を生き残った28機が南ベトナム空軍に提供された他、タイ空軍に129機供与されている。軽量化と小型化というコンセプトで設計された本機はジェット機の登場によって一気に陳腐化したもの、エアレースではその特性を生かして活躍している。850km/hというレシプロ機最速記録を持っているのも本機である。バリエーションとしては夜戦仕様を始め、機体細部を再設計したF8F-2等がある。

 

 

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01_F4U
(画像はF4U wikipediaより転載)

 

F4Uコルセア

 

 

 F4Uは太平洋戦争開戦前に開発された米海軍艦上戦闘機であまりの高性能から戦前に開発された機体でありながら1950年代まで米軍で使用され続けた。当時の戦闘機は3年ほどで旧式機とされていたことを考えると驚異的である。むろん最後は戦闘機としての運用ではなかったものの設計の優秀さが良く分かる。このF4Uは、当時の米海軍の主力戦闘機F2A(通称バッファロー)の後継機として開発が開始、計画当初から2,000馬力エンジンであるプラット&ホイットニーR-2800エンジンを使用する予定であった。

 初飛行は1940年5月29日で量産機の初飛行が1942年6月25日、量産機の初飛行まで2年以上かかったことになる。最初の型であるF4U-1は、全長10.16m、全幅12.49m、全高4.48m、全備重量5,461kg、翼面荷重187kg屐∈嚢眤度671km/h、上昇力は高度6,066mまで7分42秒、実用上昇限度11,278m、航続距離1,633km、武装は12.7mm機銃6挺、胴体下、翼下合計で907kg分の爆弾を搭載できる。高出力のエンジンに直径約4.06mの大型プロペラを装備したことにより主脚が長くなることが問題視された。この対策として逆ガル翼を採用する。結果、主脚が短くなり同時にパイロットからの視界が良好となった。高速の艦上戦闘機であるためか戦闘機には珍しくダイブブレーキを装備している。

 外観から分かる通り機体は頑丈で、コックピットは防弾版で囲まれており、燃料タンクには自動消火装置が装備されていた。しかし母艦機としては当初の型は致命的で、着陸時に液漏れや失速等の不具合があったため空母での運用は不適とされた。この結果、ほとんどが海兵隊に引き渡されることとなった。実戦配備は1943年からで、1943年2月12日、最初のF4U12機がガダルカナル島ヘンダーソン飛行場に到着、二日後の2月14日に初空戦を行った。初戦では日本の海軍航空隊に酷い目に遭ったものの、その後は運用方法を改善、その高性能振りを発揮することとなった。F4Uは、その後も陸上基地での運用を行い、ラバウル航空戦を戦い抜いた。そして1945年になると前述の着艦の問題も解決、空母でも運用されるようになっていった。大戦機としてはP51と並んで最強のレシプロ機の一つと言われている。

 戦後は、主力戦闘機の座はジェット機に譲ったものの、何と1953年まで戦闘爆撃機として運用され続けた。1940年に初飛行をした戦闘機としては驚異的な寿命であろう。国外では英軍、フランス軍など数か国で運用された。米国同様、戦後も運用され続け、1979年にホンジュラス空軍から退役したことによりF4Uは全機退役した。長期間使用されたため、F4U-1からF4U-7まで数多くのバリエーションがある。総生産数12,571機。

 

 

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01_F6F
(画像はwikipediaより転載)

 

F6Fヘルキャット

 

 

 グラマン社製米海軍の艦上戦闘機で、開発は1938年3月から開始。1941年6月30日にはXF6F-1として海軍と正式に契約をした。同社製F4Fの後継機で、全長10.24m、全幅13.06m、全高4.39m、エンジンはプラット&ホイットニー(以下P&W)R-2800-10Wで最大で2,110馬力を発揮する。最高速度は599km/h(高度5,486m)で2,000馬力級エンジンの割には低速である。上昇力は6,096mまで7分、上昇限度は11,826m、航続距離2,157kmである。

 武装は12.7mm機関銃6挺(各400発)、2,000ポンド(907kg)爆弾1発、または翼下に1,000ポンド(454kg)爆弾2発を搭載できる。最大で1,800kgの搭載が可能で魚雷も搭載が可能である。F4Fの後継機として奇をてらわない設計であり、強固な構造と生産性を重視している。F4Fが中翼で主脚を胴体に収納したのに対してF6Fは低翼で翼内格納式である。このため前方視界は良好であるが、F4F同様後方視界は悪い。「グラマン鉄工所」と言われるほど頑強であり、防弾装備は総重量96kgにも達する。艦載機として空母内に大量に格納できるようにするためにF4Fと同様に翼を根元から折り畳むことができる。

 試作機はXF6F-1で1942年6月26日初飛行。さらにエンジンをターボチャージャー付R-2600-16に換装したXF6F-2が試作されたものの、1941年には米海軍はP&WR-2800エンジンを使用した試作機の設計を要求したため、同仕様に変更したXF6F-3の試作を開始、フラッター等の不具合はあったものの改善されF6F-3として制式採用された。夜間偵察機仕様、写真偵察機仕様等、多くの派生型があるが、最も多く生産されたのがF6F-5で、これは機体形状や防弾装備を変更したもので7,868機生産された。最後に開発されたのがXF6F-6で、これは最高速度671km/hを記録したものの、後継機F8Fベアキャットがすでに完成していたため量産されることはなかった。太平洋戦争終戦の年の1945年11月に生産終了、総生産数は12,257機である。

 初空戦は対日戦で1943年9月1日である。それ以降、運動性能の良さと頑強な機体、防御装備で日本空軍を圧倒していく。しかし太平洋戦争末期になると同じく米海軍で運用されていた戦闘機であるF4Uコルセアに更新されていった。基本性能の良さでF6Fを上回ると判断された結果であった。戦後は初代ブルーエンジェルスの乗機としても使用されている。第二次世界大戦で米軍が失ったF6Fは合計2,462機で、内訳は、空中戦で失われたのが270機、対空砲火によって撃墜されたのが553機、その他作戦行動中に341機、訓練等で1298機が失われている。米国以外では英国が1,263機を受領している他、フランス軍、ウルグアイ海軍でも使用されている。最後まで使用していたのはウルグアイ海軍で1960年まで使用されていた。

 

 

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01_F4F-3
(画像はF4F-3 wikipediaより転載)

 

グラマンF4Fワイルドキャット

 

 

  F4Fはグラマン社が開発した艦上戦闘機で、第二次世界大戦では前半は主力艦上戦闘機として、後半は護衛空母艦載機として全期間にわたって運用された傑作艦上戦闘機である。

 1935年、米海軍はグラマンF3F複葉機に代わる次期艦上戦闘機トライアルを行った。グラマン社は複葉機XF4F-1でこのトライアルに挑戦したものの、ライバルであるブルースター社は、全金属製単葉機F2Aを開発していた。これに対してグラマン社は複葉機であるF4F-1ではF2Aに勝てないと考え、完全に再設計、単葉のXF4F-2を開発した。初飛行は1937年9月2日で、トライアルの結果は速度ではわずかにXF4F-2が優っていたが機動性ではF2Aには及ばなかったため次期艦上戦闘機はF2Aに決定したものの、グラマン社は海軍の許可の下、継続してXF4-2の開発を続けた。そしてエンジンを新たにプラット&ホイットニーR-1830ツインワスプ二段二速過給機付きエンジンに変更、主翼のサイズも拡大するなどしたXF4-3を開発、性能でF2Aを上回ることに成功した。初飛行は1939年2月12日である。

 この時、次期艦上戦闘機に採用されたF2Aはブルースター社初の全金属戦闘機ということで生産が上手くいかず米軍への納入が滞っていたこともあり、1939年8月に海軍はXF4-3、78機の購入を決定した。1940年2月には米海軍に納入開始。1941年10月1日、F4F-3ワイルドキャットとして米海軍に制式採用された。このF4F-3は、全長8.76m、全幅11.58m、全高3.61mで離陸重量3,367kg、エンジンは1,200馬力プラット&ホイットニーR-1830-76 14気筒星型エンジンでプロペラは3翅定速プロペラであった。最高速度は533km/h、航続距離は1,360km、実用上昇限度は12,000m、翼面荷重139kgであった。武装は12.7mm機銃4挺で(1挺あたり450発)、45.4kg(100ポンド)爆弾2発、または燃料タンク2個を翼下に搭載可能であった。

 しかし空母艦載機として考えた場合、F4F-3はあまりにも大型であったため主翼を折り畳める機能を求める声が大きかった。このためF4F-3に主翼を折り畳める機能を搭載、エンジンもR-1830-86ツインワスプエンジン(1,200馬力)に変更、機銃も4挺から6挺(1挺あたり240発)に変更したF4F-4を開発。この機体は1941年4月14日に初飛行に成功している。しかし主翼の折畳装置に加え、機銃を2挺増設したために重量が増加、最高速度は512km/hに低下、上昇力も低下してしまった。さらに機銃の装弾数が1挺あたり450発から240発に減少、射撃の振動も酷くなったことからパイロットからは嫌われたようである。

 1943年になると、グラマンはF4Fの後継機であるF6Fヘルキャットの生産に専念するためにF4Fの生産を終了したが、F4F自体は小型の護衛空母に搭載するための艦載機としては十分な性能を持っていると判断されたため生産は継続されることとなった。但し、生産はグラマン社ではなく、ゼネラルモータース/イースタンエアクラフトで行われることとなり、その際に仕様も変更、評判の悪かった機銃も4挺に戻し、翼下にはロケット弾6発を搭載可能にした。これはFM-1と呼ばれるが、さらにその後、エンジンも1,350馬力R-1820-56に変更、それに合わせて機体も設計を変更したFM-2が開発された。FM-1/2の総生産数は5,280機である。

 F4Fは総生産数が7,860機に達した傑作機あったため、写真偵察用F4F-3P、F4F-7、水上機モデルのF4F-3S、エンジンを換装したF4F-5等多くのバリエーションがある。さらに米国以外でも英国海軍航空隊がマートレットとして採用している他、カナダ海軍も少数機を採用している。

 

 

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01_F2A
(画像はF2A wikipediaより転載)

 

F2Aバッファロー戦闘機

 

 F2A戦闘機とは米国ブルースター社によって製造された全金属単葉戦闘機であった。一般に「バッファロー戦闘機」と呼ばれる。1936年6月に米海軍により発注、1937年12月2日初飛行。1938年6月11日、F2A-1として米海軍に制式採用された。1939年7月には爆撃能力が付与されたエンジン出力増加の改良型のF2A-2が海軍に制式採用、1941年7月には操縦席の防弾版と自動防漏燃料タンクを装備したF2A-3が制式採用されたものの、重量の増加によって運動性能が大きく低下している。

 性能は、最終型のF2A-3で全長8.03m、全高3.66m、全幅10.67m、全備重量3,200kg、翼面荷重164.9kg/屐∈嚢眤度が517km/h、航続距離1,553km、上昇限度10,100m、エンジンは1,200馬力のライトXR-1820-40サイクロンエンジンを搭載している。武装は機首と翼内にそれぞれ12.7mm機銃2挺を装備している。1939年12月8日には、空母サラトガに所属する海軍第3戦闘航空隊(VF-3)に10機が初めて配備された他、1941年12月には第221海兵航空団(VMF-221)にF2A-3 20機が配備、ミッドウェー島防衛に活躍している。しかし全金属製戦闘機の製造経験を持たないブルースター社の製造は遅れ、その間に製造遅延対策のために採用されたグラマン社のF4Fの実戦配備方が進んでしまい、実質的にはF4Fが主力戦闘機となってしまった。さらに敵対国である日本の零戦や一式戦闘機隼に対してほぼ全ての性能で劣っていたこともあり、1942年以降は前線から引き揚げられているために米軍では目立った活躍はしていない。

 米軍以外では、英国や英連邦を構成するオーストラリア軍、ニュージーランド軍、さらにオランダがF2A陸上型をB-339、B-439の名称で購入した。英国では1939年に制式採用、クレタ島に配備されたものの、ドイツ機に太刀打ちできず極東に配備、さらにオーストラリア、ニュージーランド、オランダでも同じく極東地域に配備されている。太平洋戦争開戦後は、当初こそは善戦したものの、低性能、低稼働率から被害が続出、開戦早々に壊滅的な打撃を受けたため第一線からは引退したが、1943年11月まで一部地域の後方で運用された。

 このような中で、唯一活躍したのがフィンランドに輸出された44機で、1940年春にフィンランドに到着。旧式装備ばかりのフィンランド軍にとってはB-239(F2A-1)でも十分に高性能であり、ソビエト空軍に対してB-239 19機の損失に対して477機を撃墜、さらに別の部隊では15機の損失に対して459機を撃墜するという圧倒的な戦果を挙げている。このB-239も第二次世界大戦終了までには消耗を続け、終戦時にはわずか8機のB-239が残っているのみであった。しかし内5機は戦後も運用を続け、1948年9月まで現役であった。総生産数は517機である。現存している機体はフィンランドの中央航空博物館にある1機のみである。

 

 

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