トイレで読む向けブログ

ちゃんとトイレで読んでるんだろうなー(怒) 〜 since 2005 〜

田中三也

01_彩雲
(画像は彩雲 wikipediaより転載)

 

「じゃない」人達の戦い

 

偵察員とは

 偵察員とは、斥候として敵地奥深くに潜入して敵情を掴んで帰ってくるという斥候兵。。。ではなく、海軍航空機搭乗員の区分の一つである。海軍の航空機搭乗員には操縦と偵察という二種類があって操縦とは当然、機体の操縦を担当する人、要するに操縦員。そして偵察とは搭乗員でありながら、誰もが憧れる航空機操縦員「じゃない」搭乗員のことをさすのだ。

 

やはりみんな操縦員になりたい?

02_零観
(画像は零観 wikipediaより転載)

 

 日本海軍の航空機には、大きく、戦闘機、艦上攻撃機、艦上爆撃機、艦上・陸上偵察機、陸上攻撃機、水上偵察機等々、多彩な航空機があるが、この中で戦闘機以外の航空機はほとんどの場合2人以上が登場している。2人の内、1人はもちろん操縦員だ。では、操縦員「じゃない」人達は一体何をしているのだろうか。この記事では、これら花形でない裏方搭乗員についてチャラっと書いてみたいと思う。

 上記の機種の内、まずは二人乗りの艦上爆撃機と艦上偵察機・陸上偵察機について考えてみよう。二人乗りの場合、基本どちらかが操縦員だ。どちらも操縦員でない場合何らかのトラブルが発生していると思っていい。そこで、二人乗りの場合、一人が操縦員だとするともう一人は海軍では偵察員と呼ばれている。この偵察員の仕事は基本的に「航法」である。

 「航法」とは何かというと、これはGPSなどという便利なものが無かった当時、船乗りがコンパス片手に大海原を進んだように航空機も目的地に着くには自分の機位を測定して目的地までの方向を示さなければならない。これが航法だ。偵察員の主な任務はこの航法を行うことであったのだ。まあ、普通に考えれば分かるだろうが、この偵察員という仕事、相当に地味な仕事である。大空を飛翔することを夢見て難関の搭乗員養成コースを突破した挙句、「はい、お前偵察員ね」ではたまらない。乙種予科練9期で偵察員に振り分けられた藤代氏はトイレの中でガチで泣いたそうだ(藤代P60)。

 

泣く理由も分かるさ。。。

03_予科練
(画像は予科練生 wikipediaより転載)

 

 「いやいや、その程度で泣くなよ〜」と思うあなたに当時の海軍で航空機搭乗員になる方法を説明しよう。まず、海軍兵学校を出て士官として航空機搭乗員になること、そして予科練、さらには操縦・偵察練習生というものがある。まず海軍兵学校、予科練であるが、これは全国のトップクラスの中学生が受験した挙句の競争率が数十倍の超難関。そして現役の海軍兵が志願する操縦・偵察練習生にしても競争率は同程度の凄まじいものであった。つまり、どのコースを選ぶにしても航空兵になるのは相当な狭き門であったのだ。

 その狭き門を自由自在に大空を飛び回ることを夢見て猛勉強して突破。その挙句に誰かに操縦してもらって後ろで機体の位置を何だか分かんない機材で測定してる偵察員に振り分けられては、前述の藤代氏の気持ちも分からないではない。そもそも機体の位置の測定なんて要するに座学なのだ。「何なら俺にも出来んじゃねぇ?ふふん!」と思ったあなた。そんなに簡単なものではないのだ。

 

三種類の航法

04_六分儀
(画像は六分儀 wikipediaより転載)

 

 航法には基本的に地文航法、天測航法、推測航法という3種類の航法がある。地文航法とは名前の通り、地上の地形を目印に飛ぶ航法で陸地上空を飛ぶ陸軍機は主にこの航法を使用した。そして天測航法。これは六分儀という特殊な機器を使用して天体と水平線の角度を計算、現在位置を割り出すというものだ。しかしこれは星が出ていないと使えないので主に大型機の偵察員が行っていたという。そして最も難解なのは推測航法である。

 この推測航法とは要するにデータのみで現在地を測定するという方法である。地上からは分からないかもしれないが、航空機というのは絶えず風に流されている。その風に逆らって目的の方向に進んでいくのだ。風は正面からも吹くし、横からも斜めからも吹く。そのたびに機体は少しずつ位置がずれていく。偵察員はその風の方向と風速を計算しながら機体を目的地に誘導するのだ。仮にこの計算を間違えると目標物の無い洋上、そのまま海中にドッボーン!である。

 

偵察員とはスペシャリストなのだ!

05_零式水偵
(画像は零式水偵 wikipediaより転載)

 

 これらからも分かるように偵察員というのは、相当高度な知識と経験が必要であり、一朝一夕に出来上がるものではない。前述のトイレで号泣した藤代氏は300海里で誤差1海里程度であったという。これはkmに直すと555.6kmを飛行してその誤差が僅か2km弱であったということだ。555.6kmとは東京、青森間に匹敵する距離だ。これを何の目標物のない洋上を方位と風向、風速のみで飛行するというのはどれだけ困難なのか分かるというものだ。さらに偵察員はモールス信号等にも精通していなければならない。

 さらに急降下爆撃機の偵察員ともなると、敵艦めがけて急降下している最中にもその角度と速度を冷静に計算して操縦員に伝える。この情報に誤差があると当然爆弾は命中しない。45°や60°位の角度で急降下している機内で角度と風向、風速等を計算するというのは頭脳と共に相当な冷静さも必要だろう(山川P46)。敵機に追尾されながらも敵機の銃口の方向を操縦員に伝え射撃の瞬間に操縦員に機体を「滑らせる」方向を指示、低速の水偵でありながらF6Fヘルキャットの追撃を振り切った凄腕偵察員もいる(本間P187)さらに艦上・陸上攻撃機ともなると偵察員が爆撃手でもあるのでこれらの爆撃手兼偵察員は爆撃技術も必要であった。

 

 

プロ偵察員

06_二式艦偵
(画像は二式艦偵 wikipediaより転載)

 

 この偵察員の中でも「ザ・偵察員」とも呼べるのが田中三也氏である。著者は生粋の偵察員と言って良いだろう。高度な航法技術と共に特修科偵察術練習生を修了、偵察員としてのエリート教育を受けた隊員である。この特修科偵察術練習生とは海軍の技術教育の三段階、普通科、高等科、特修科の最上位に位置する課程で、本来は偵察術課程というのは存在しなかったが、ミッドウェー海戦での偵察の重要性から新たに設置された課程であった。この課程は二期のみで終了となったため田中氏は数少ない卒業者といえる。

 この課程に選ばれたのは実戦経験豊富なベテランばかりで、これら優秀な実戦経験者をさらに鍛えて戦力を向上させようという海軍の方針であった。田中氏も南太平洋海戦で米機動部隊を最初に発見したという殊勲者であった。この課程でさらに技術を学んだ田中氏は、偵察においても敵戦闘機の網を突破するために高高度で侵入して目標上空で急降下、写真撮影をしてそのまま飛び去ってしまうという荒業をやってのけたり、同士討ちを避ける敵の心理を利用して敵艦隊の真ん中を低空で飛行して切り抜ける等、強烈である。戦争後半には傑作偵察機彩雲を駆って偵察任務に活躍している。とにかくスゲーのだ。

 

 

参考文献

  1. 藤代護『海軍下駄ばき空戦記』光人社NF文庫2001年
  2. 山川新作『空母艦爆隊 艦爆搭乗員死闘の記録』光人社NF文庫1994年
  3. 本間猛『予科練の空』光人社NF文庫2002年
  4. 田中三也『彩雲のかなたへ』光人社NF文庫2016年

 

 


ミリタリーランキング

田中三也 著
潮書房光人新社 (2020/5/23)

 

 本書は数少ない偵察機搭乗員の戦記である。著者田中氏は甲種予科練5期生として採用され、戦中はほぼ戦場で過ごした。戦後は海上自衛隊に入隊し、搭乗員としての人生を歩み続けた。2017年現在、田中氏は恐らくご健在であろう。本書の内容はまさに衝撃的だ。田中氏は水偵偵察員として実戦に参加、その後艦偵偵察員として数々の危険な偵察を遂行する。

 フィリピンでは航空機を失い、逃げのびた挙句に特攻隊に志願し、それも偶然が重なって内地に帰還できた。本当に命からがらという表現がぴったりだ。その後は有名な三四三航空隊の偵察員として数多くの空戦を生き延びた。搭乗員の戦記というとどうしても戦闘機搭乗員の戦記が人気だが、偵察機搭乗員の記録というのは貴重だし、その経験はもっと貴重だ。

 本書を読んで感じるのは本当に良く生き残ったものだということだ。読んでみればわかるが著者の参加した作戦は本当に生還率の低いものだ。そして戦争の末期にはタイトルの彩雲に登場することとなる。彩雲はやはりかなりの俊足だったようで戦闘機に追跡されても振り切って逃げている。

 最近は戦闘機搭乗員の戦記を読みつくしてしまい、その他航空機搭乗員の戦記を読み漁っているが、戦闘機搭乗員と違い、華はないが、凄まじい修羅場をくぐり抜けていることは同じであった。一般に戦記を読む人はかなりの少数派であるが、戦争を知るために戦記を読むことは重要だと感じた。私はもちろん戦争経験者ではないが、本を通して何分の一かでも体験を知ることができる。

 

 

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