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特攻隊

西村誠 著
双葉社 (2015/1/23)

 

 以前読んだ、神立尚紀『特攻の真意』に続いて大西瀧治郎中将について書いた本を読んでみた。私が読んだ大西中将に関する本はこの二冊だけだが、どちらもどちらかというと大西中将に対して好意的である。まあ、超ざっくり書くと仕方なく特攻命令を出したということである。

 

大西 瀧治郎 大西 瀧治郎(おおにし たきじろう、明治24年(1891年)6月2日 - 昭和20年(1945年)8月16日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校第40期生。神風特別攻撃隊の創始者。終戦時に自決。最終階級は海軍中将。
(wikipediaより一部転載)

 

 確かに特攻を命令した指揮官でも戦後長寿を保ち、特攻隊の本を出版したりする人物に比べれば自分なりの責任をしっかりとったという点では評価できる。さらに当時の海軍全体が特攻作戦を行う方向で動き出している状況で、大西中将は特攻命令を出さざるを得なかったのもわかる。

 しかし特攻に反対することもできたのではないか。神立氏の著書と本書を読んで大西中将は結局、自主的に特攻を推進したのではないかと逆に思ってしまった。大西中将は豪放磊落であり、まだ安全が十分に保障されていない落下傘で躊躇しているイギリス人教官を後目に平気で飛び降りたりしたことや普段から死を覚悟している言動が多かったことからも大西中将は自分の命を捨てる覚悟というのは相当なものだったのだろう。

 逆に死ぬ覚悟をしている人間というのは人の命を奪うのも躊躇しない。むろんこれは何の根拠もないが、特攻作戦というものに対して心理的な障害は人より少なかったような気がする。それはそうと、本書著者西村氏は、よく必死と決死の違いとして説明される特攻に代表される必死の作戦はダメだが、生還の可能性がわずかでもある決死の作戦であれば許されるというような感覚に対しては批判している。

 僅かな可能性は実際にはないも同然である。開戦劈頭の真珠湾攻撃時の特殊潜航艇も決死であり、必死ではないが、任命された隊員は遺書を書き、敵艦隊が密集する真珠湾内に入って生還できる可能性はまずない。実際、その後に行われた特殊潜航艇での湾内侵入作戦は全て乗員が生還することはなかったという。これも実質的には特攻と同じであるとする。これは卓見であると思う。

 本書は出版年も新しく、それ以前の特攻に関する書籍も十分に研究している。特攻に関することを知りたければ購入しておく必要がある一冊ではあると思う。私としては今ひとつ著者の主張に乗り切れないのだが。

 

 

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林えいだい 著
光人社 (2009/11/30)

 

 特攻に出撃して諸事情により引き返してきた隊員達を隔離した施設に関する記録。一般的には特攻に出撃すれば必ず体当たりが実行されると思われがちだが、実際は天候不良や機体の不調、さらには敵艦隊を発見することが出来ずに帰還することはかなりあった。

 特攻隊員達は生きながら神として食事も特別な物を用意されていた。戦死後は二階級特進という名誉と遺族には軍人恩給が支給される。二階級特進というのは単純に名誉と考えられがちであるが、階級が二階級上がる分、金額も大きくなるという実質も伴っていた。

 そのような至れり尽くせりの状態で特攻出撃した故に生還した場合は悲惨であったようだ。生還した隊員達は「振武寮」に送られ、司令官、参謀に罵倒された挙句、暴行されたりもしたようだ。その結果、自殺した隊員もいたという。

 

概要
 振武寮(しんぶりょう)とは、福岡の旧日本陸軍第6航空軍司令部内におかれた施設。軍司令部のあった福岡高等女学校(現福岡県立福岡中央高等学校)向かいであり、福岡女学院の寄宿舎を接収して設置された。所在地には現在福岡市九電記念体育館が建つ。実質的な管理者は陸軍の特攻を指揮した菅原道大中将部下の倉澤清忠少佐。戦後、長らく知られてこなかったが、映画『月光の夏』の上映以降で近年その存在が明らかにされた。
(wikipediaより一部転載)

 

 特攻出撃から生還した隊員に関しては海軍でも死ぬことが強要されることがあったようだ(角田和男『修羅の翼』)。まさしく日本軍の負の歴史である。因みに特攻というのはフィリピンが最初であると言われている(それ以前でも戦闘中の体当たり等はかなりある)。このフィリピンで行われた特攻はまさしく「奇襲」であり、米軍も想定していなかった攻撃であったことからかなりの戦果を挙げた。

 そしてその成功は以後、特攻作戦の常態化へと進んでいく。しかしレイテ以降は米軍の迎撃態勢も整ったことに加え、ほとんど飛行経験のない搭乗員と機材の性能不足により目立った戦果を挙げることはなくなった。

 実は特攻というのはかなり難易度が高い。機体は落ちるようには設計されていない。特に戦闘機等の軽い飛行機は急降下しても自然と浮いてしまう。それを抑えながら命中させるというのはかなりの技量が必要だという。

 その上、末期には航空機の工作精度も落ちた上に、速度の遅い旧式機や練習機まで動員された。対する米軍はレーダーを装備して最新鋭戦闘機を何重にも配備して待ち構えていた。それを突破したとしてもVT信管を内蔵した対空砲火が数百門待っている。

 本書を読んでいると、著者、林えいだい氏の主観が随分入り込んでいると感じる。内容が内容なだけに怒りを感じるのも自然ではあるが、もう少し突き放した視点が欲しかった。全体的に「高級軍人=悪」「現場の軍人=善」というような単純な二項対立的視点があるように感じてしまった。

 但し、振武寮という今まで知られていなかったことを世に問うた功績は大きい。著者は戦中派だけに戦争を憎む気持ちが行間にあふれている。読んでいるとかなり気が重くなる。特攻作戦というのを立体的に知りたければ読んだ方がいい。

 

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神立尚紀 著
潮書房光人新社 (2020/7/21)

 

 特攻隊の生みの親と言われる日本海軍の提督、大西瀧治郎。太平洋戦争末期、フィリピン決戦が叫ばれる中、大西瀧治郎の発案により特攻隊は生まれた。それ以前にも個人的に敵に体当たりをしたり、小規模の特攻は命令されていたようだが、大々的に特攻隊が編成されたのはフィリピンが最初である。本書は特攻隊生みの親、大西瀧治郎がなぜ特攻を命令したのかを調査した本だ。ことの始まりは零戦搭乗員、角田和男氏が聴いた大西瀧治郎の特攻の真意から始まる。それは

 

「特攻をすることによって天皇陛下に戦争終結の聖断を仰ぎ、講和のための手段とする」

 

 ことであったという。この角田氏が聴いた話を当時、大西瀧治郎の副官であった門司親徳氏にぶつける。基本的にこの二人の知った情報により話は展開する。結論は上記のものになるのだが、本書は特攻隊に編成された若者、海軍上層部等をうまく描き出している。中には海軍乙事件と呼ばれる連合艦隊の参謀長、福留繁以下がフィリピンで捕虜になり、後日、救出される事件についても言及している。福留参謀長は、本来なら軍法会議にかけられるところを不問に付し、その後栄転することになる。

 これと比較して興味深いのは坂井三郎『大空のサムライ』に登場する下士官陸攻搭乗員達である。彼らは開戦初頭、同じくフィリピンで現地人の捕虜となるが、その後進出してきた日本軍に救出される。その後、日本海軍軍人が捕虜になったという事実を消すため戦死させようと最前線に送られる。編隊ではカモ小隊カモ番機といわれる第三小隊三番機のさらに後ろ四番機の位置に付けられ出撃させられる。しかし練度の高い彼らは生き残ってしまう。司令部はさらにポートモレスビーへの単機偵察を命じるが、それでも生き残ってしまう。そしてとうとう敵飛行場に体当たりを命じられ戦死する。高級軍人と下士官兵への対応から当時の日本海軍の体質が分かって興味深い。ここらへんの顛末は森史朗『攻防―ラバウル航空隊 発進篇』に詳しい。

 それはそうと私が印象に残ったのは大西瀧治郎の死に方である。特攻を命令した士官の多くは戦後、何事もなかったかのように平和な生活を楽しむのだが、大西瀧治郎は違った。特攻を命じた責任をとるために割腹自殺する。それも腹を十文字に切り裂き、さらに首と胸を突いたのち介錯も拒み半日以上も苦しんで死ぬという壮絶なものだった。その後、大西自決を知った中澤佑中将の「俺は死ぬ係じゃないから」や戦後、元特攻隊員になぜ自決をしないのかを問われた猪口力平参謀の「残された者にもいろいろ役目があるんだよ」と苦笑して答えた姿と比較すると何ともいえない。

 本書は戦後、大西の妻が坂井三郎の印刷店の名目上の取締役に就任したことやその裏事情等にも触れていて面白い。大西の副官門司親徳氏の聡明さも私としては印象が強かった。本書は大著ではあるが、本書の解説にもあるように推理小説のように話が展開するのでついつい引き込まれてしまう。本書を読むと著者がどれだけ調査したのかが分かる。良書だ。

 

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