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海軍航空機

01_二式水戦
(画像はwikipediaより転載)

 

 二式水上戦闘機は、開発中であった十五試水上戦闘機(のちの強風)の開発に時間がかかるため急遽、海軍の主力戦闘機零戦にフロートを付けた水上戦闘機で、極めてつなぎの色彩の濃い戦闘機であった。しかし最高速度こそ零戦には劣るものの運動性能は零戦に優ったとも言われている最も活躍した水上戦闘機である。

 

二式水上戦闘機 〜概要〜

 

 

性能

全幅 12.5m
全長 10.24m
全備重量 1922kg
最大速度 437km/h
航続距離 1150km
上昇限度 10500m
武装 20mm機銃2挺、7.7mm機銃2挺

 

背景から開発まで

 二式水上戦闘機、略して二式水戦は世界で最初に量産された水上戦闘機である。後継機として強風が量産されるがこの二機種のみが人類史上量産された水上戦闘機である。つまりは水上戦闘機を量産したのは世界で日本のみだ。この背景には計画当時、将来に南方侵攻作戦が予想されていたことがある。南方の飛行場の無い地域でも作戦可能なことから水上機が有用と考えられ、さらに日中戦争で水上機がしばしば敵戦闘機、攻撃機を撃墜している実績があったことから水上戦闘機の生産が決定された。

 この計画によって開発が決まったのが十五試水上戦闘機のちの強風である。しかし計画は始まったものの、この十五試水上戦闘機が近々開始が予想される南方侵攻作戦に間に合う可能性は皆無に近かった。そこで考え出されたのが新鋭戦闘機零戦を水上戦闘機化するという案であった。三菱製である零戦の水上機化ということであれば、本来なら三菱に設計を依頼するところであるが、三菱は零戦や一式陸攻の生産に忙殺されていた。そこで小型水上機開発の経験が豊富な中島飛行機に命じて零戦11型をベースに水上戦闘機化させたのが二式水上戦闘機である。

 

開発

 

 以上の経緯から1941年初頭に仮称一号水上戦闘機として中島飛行機に試作が命ぜられた。中島飛行機では三竹忍技師を設計主務者として作業を開始。1941年12月に試作1号機を完成させた。零戦からの主な改良点は主脚、尾輪、着艦フックとこれらに関係する装置の廃止、同時に各収納穴を廃止して平滑に整形した。さらに胴体下面に全金属製のフロートを取り付け、両翼端下面に補助フロートを取り付けた。フロートの影響により尾部を再設計し、垂直尾翼の大型化、方向舵下方に安定鰭を追加した。

 これにより全長が8.1cm増大し10.131mとなり、全高が4.305m(零戦は3.509m)となった。自重は226kg増大したが脚や着艦フック関係の装備を廃止したために増大量は比較的少なかった。初飛行は1941年12月8日、初飛行するが、すでに正式採用されている機体がベースとなっているためテストは順調に進められた。最高速度が零戦11型の533kmから435km、航続距離が2222kmから1782kmと大幅に低下したが、巡航速度、上昇力共に零戦と大きくは異ならなかった。

 1942年7月6日、二式水上戦闘機として正式採用され、1943年9月に生産が終了するまで327機が製作された。当初は重整備のために還納されてくる零戦を改造する方針であったが水上機として設計されていない零戦の機体は開口部が多く無理であることが判明したために新造することになったという。二式水戦の実用化のめどがついたことにより、1942年5月下旬、海軍初の飛行艇専門部隊横浜航空隊に水戦隊が編成された。さらに東港空の水戦隊が7月9日に編制され、8月には特設水上機母艦神川丸水戦隊、14空水戦隊が編成された。

 

実戦参加

 編成を終えた横浜空水戦隊12機は1942年5月26日、特設水上機母艦聖川丸で横須賀を出港、6月3日にラバウルに到着した。水戦隊の初の実戦は6月5日のラバウル上空哨戒である。初の戦闘は1942年6月10日、5機の二式水戦が5機の敵機と空戦になったが戦果は不明である。7月4日、佐藤理一郎大尉に率いられた先遣隊7機がツラギに進出、23日さらに4機が進出した。先遣隊7機は、7月10日に来襲したB-24を迎撃、1機を撃墜、水戦隊の初戦果を記録するが、最近の研究によると実際はこの地域にB-24は進出していなかったようだ。

 

生産数

 その後も二式水戦は北方、中部太平洋、本土防空に活躍し続ける。前述のように総生産数は327機であるが、終戦時に残存していた二式水戦は合計24機のみである。内訳は、河和に11機、天草に3機、香取に2機、ペナンに2機、鹿島、北浦、館山、大津、今宿、佐世保に各1機であった。現存する機体はない。

 

まとめ

 

 二式水上戦闘機は世界で初めて量産され実戦で使用された水上戦闘機である。速力こそ零戦に及ばなかったものの、低速になった分、空戦性能はオリジナルの零戦すら上回ったという。中には38機を撃墜したという河口猛飛曹長というエースパイロットもいたというが詳しくは分からない。水上戦闘機という特殊な機種は、島嶼の奪還戦となった太平洋戦争では日本軍の飛行場設営能力の不足と相まって重宝された。しかし新鋭の連合国軍戦闘機と互する性能はなかった。二式水戦は、零戦以上に日本の限界を可視化した機体であったのかもしれない。

 

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ミリタリーランキング

隼況
(画像はwikipediaより転載)

 

 最近、私は陸軍戦闘機隊の記録を読むのが楽しみだ。記録といっても梅本弘氏の著作なのだけど、この梅本氏の著作は、日本と連合国の記録を照合して空戦をリアルに再現しているのが特徴だ。私は外国語は「からっきし」なので、どうしても日本の記録に偏ってしまう。ここで私が昔から気になっていた問題がある。

 

撃墜王ってホントは何機落としているの?

 

 「撃墜王」やら「エース」と言われている人の記録、特に岩本徹三氏等の著作を読むと、日本軍は来襲する敵機をバッタバッタと端から撃墜しているような印象を受ける。しかし、『日本海軍戦闘機隊』巻末の彼我の戦果報告と損害報告を見ると実はかなりの誤認戦果があったことが分る。当然といえば当然だが、ほとんどの場合、実数よりも戦果は大きくなる。これは空戦という極限状態での戦果確認となるので仕方が無いことだ。ラバウル航空戦を例にとれば部隊に報告された戦果と実数の差は大きい時で10倍にまで膨れ上がったりする。

 「撃墜王オタク」だった私としては、憧れの撃墜王が「本当は何機撃墜しているのだろうか」というのがとても気になるところ。そこを出来る限り資料を突き合わせて調べたのが梅本氏の著書だ。梅本氏の著作は値段は割高に感じてしまうが調べる手間を考えるとむしろ割安といってもいいと思う。興味のある人は是非購入してほしい。それはともかく、梅本氏の著作を読んでいて気になったことがあったのでちょっと書いてみたい。

 

ブラックドラゴン飛行隊と零戦ナゴヤタイプ

 

 みなさんは「ブラックドラゴン飛行隊」というのをご存じだろうか。これは日本軍がビルマ方面の航空戦に投入したエース部隊だ。隊長機は黒塗りのメッサーシュミットBf-109で、6機の零戦を従えている。この部隊はガダルカナルの戦場からビルマに展開した部隊でとんでもなく練度の高い部隊だ。このように書くと、よくある架空戦記物かと思われがちだが、実際に米軍の公式記録に記載されているもののようだ。

 さらにその「ブラックドラゴン飛行隊」が活躍したガダルカナルでは、昭和17年にしばしば新型の零戦「ナゴヤタイプ」が目撃されている。この「ナゴヤタイプ」は零戦の徹底的な軽量化を行い、他の零戦に比べて信じられないような機動性を発揮する。さらに速度はグラマン(F4Fか?)に比して111kmは速いという。要するにナゴヤタイプは650kmくらいは出せるということだ。しかし、軽量化のために防弾性能や自動消火装置を排除してしまったので機体としての性能はグラマンの方がいいというのが対戦したパイロットの報告であった。

 

結局は、航空戦も人間同士の戦い。

 

 もちろん、これらの情報は全て誤認だ。Bf-109がビルマ戦線で活躍したという事実はないし、確かその当時、零戦隊はビルマ方面には展開していなかったはずだ。そもそも隊長機だけが機種が違うというのはアニメの世界だけの話だ。実際は補給やらメンテナンスの関係で飛行隊は基本的には同一機種となる。「ナゴヤタイプ」に関しては周知のようにそのような機体は存在しない。そもそもただでさえ強度の弱い零戦をさらに軽量化してしまったらあっという間に空中分解してしまう。

 面白いのはこれらの情報が出た時は日米の戦力が日本優勢、若しくは拮抗していたということだ。「ブラックドラゴン飛行隊」も零戦「ナゴヤタイプ」も人の恐怖心が見せた幻想だったようだ。逆に日本空軍の搭乗員からこのような怪情報が出たというのをあまり聞かない。日本の搭乗員の間でもこのような伝説はあったのだろうか。誰か知っている人がいれば教えて欲しい。ともかくも、近代戦というと機械と機械のぶつかり合いという印象が強くなってしまうが、このような事例を知るにつけ、戦争とは人間同士が戦っているということを実感する。

 

関係書籍

 

 「ブラックドラゴン飛行隊」について書いてあるのはこれ。
  ↓↓↓

第二次大戦の隼のエース

 航空史家梅本弘氏の著作。第二次世界大戦時の陸軍戦闘機隊の活躍を描く。特に本書では隼に登場した「エースパイロット」について詳しく描いている。彼我の戦果報告書を丹念に読み解くという精緻な研究で知られている梅本氏であるが、本書では連合軍パイロットや陸軍戦闘機隊員の人柄までもがわかる。戦闘といってもどちらも同じ人と人なのだ。

 

 「ナゴヤタイプ」について書いているのはこれ。
  ↓↓↓

梅本弘『ガ島航空戦』上

 本書は私にとっての名著『海軍零戦隊撃墜戦記』を上梓した梅本氏の新刊である。本書の特徴は著者が日米豪英等のあらゆる史料から航空戦の実態を再現していることだ。これは想像通りかなりのハードな作業だ。相当な時間がかかったと推測される。

 『海軍零戦隊撃墜戦記』は宮崎駿氏おススメの本で、有名なラバウル航空戦の後半部分を史料を元にして再現したものだ。後半部分というのは私の憧れ、岩本徹三飛曹長が活躍した時期の前後だ。本書はそのラバウル航空戦の初期の戦いについて記している。

 興味があれば読んでみると面白いですよ。撃墜数云々という話はともかく、彼我の記録を辿ることでどちらの搭乗員も苦しんだり悩んだりする普通の人であることが分る。梅本氏の著作はこういう面も分かることがよい。

 

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