トイレで読む向けブログ

全国のトイレ人よ立ち上がれ! 〜 since 2005 〜

江戸時代

深谷克己 著
吉川弘文館 (2006/10/1)

 

 本書は、江戸時代の身分願望について総合的に書いたもの。武士から被差別民まで各階層の身分の上昇意識、努力、逆に上昇意識を意識的に持たなかった者等を実例を挙げながら詳述している。本書の著者は1939年生まれで本書を上梓した時は67歳でありその道の重鎮ということになるだろう。年齢的にも60年安保闘争時には大学生であり、身分制という視点に注目したというのも時代的必然といえなくもない。

 それはともかく、江戸時代は身分が完全に固定した社会ではなく、時と場合によっては上昇することも降下することも可能であったようだ。ただ基本的に固定されているため特に上昇のためには多大な労力を必要とした。同時に平等化圧力もあったようでその点についても言及している。

 全体的に深い知識と考察の上に成り立っており、江戸時代全体の広い範囲を網羅している。時代を知る上では当時の制度に関する理解は欠かせないものであるが、本書はその点において大変優れている。江戸時代を理解したい方にとって本書は必読の書となるだろう。私も座右に置きたいがもう絶版であった…。

 かなりの良書だが、前述のようにもう絶版なので古本屋を回って探すしかないようだ。因みにアマゾンの中古に数点あるようだがお値段もそれなりである。

 

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宮崎克則 著
中央公論新社 (2002/2/25)

 

 本書は、「走り者」「牢人百姓」と呼ばれた逃亡する百姓に焦点を当てた異色の本。九州の史料に基づき検討されている。内容は通常考えられているように江戸時代の百姓は農地に縛りつけられていたのではなく、その土地の大名の条件が厳しければ逃亡し他領で耕作を営んだ。

 領地から逃亡された大名は、当然呼び戻そうとし、他領から百姓が来た大名は歓迎するどころか誘致することすらあったようだ。この背景には農地の拡大と百姓の不足があった。耕作地が多すぎた(年貢は土地に対してかけられる)百姓たちは、流れてきた他領の百姓に対し好意的であったという。

 後半は、百姓が逃亡する原因となった大名の台所事情に焦点を当てている。大名が為替の変動等を気にしながら米を売却していることや大名に金を貸す商人たちの存在等。この時代に暗い私にとっては勉強になった。逃亡する百姓の逃亡範囲は領地を超えた昔からの生活圏で親戚等を頼ったようだ。領地と庶民の生活圏が一致していないというのは考えてみれば当たり前の話だが目から鱗だった。

 全体的に史料が列挙されている等、学術的な要素が強く、一般書と学術書の中間位という感じだろうか。読後感としては史料が九州の一部地域にに限られており、時代も江戸時代初期から中期位までの範囲に限られていることから(後期についても触れている部分も少しある)、全国について同様のことがあったのか、また時代と共にどのように変遷していったのかは不明である。そこらへんも言及していればより良かった。

 

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01_長崎の出島
(画像はwikipediaより転載)

 

 江戸幕府の「鎖国」とは、江戸幕府が200年以上にわたって行ってきた対外政策であるが、現在ではあまり「鎖国」とは言わない。何故ならオランダや清国、琉球とは交易しており、別に世界から孤立している訳ではないからだ。現在では、海禁政策と書くのが自然ではあるが、ここは分かりやすく「鎖国」として話を進めていきたい。

 

江戸幕府の「鎖国」 〜概要〜

 

徳川家康は貿易大好きだった!

 1604年9月19日、海外と交易をする商人や大名等に初めて徳川家康による朱印状が発給された。朱印状とは簡単にいえば許可証である。この朱印状を携行した船は朱印船といいこの貿易形態を朱印船貿易と呼びる。朱印状を発給するようになった目的は幕府による海外交易の管理統制と倭寇を禁圧するためのものであった。

 江戸時代というとずっと鎖国していたと思われがちであるが、徳川家康は海外との交易に熱心な人物であった。1603年に征夷大将軍に任ぜられると翌年には朱印状を発給して海外との貿易の許可を与えており、その後も30年ほどは鎖国の「さ」の字もないほど海外交易がさかんに行われる。戦国時代の終焉によって食い詰めた牢人が海外に傭兵として出ていったのはこの頃である。

 山田長政などが有名だが、山田長政が活躍した時代というのは実は江戸時代なのである。「江戸幕府=鎖国」という感覚からすると意外な感じもする。1620年代になると朱印船が東アジアの紛争に巻き込まれる事件が多発する。さらに宣教師は布教の拠点を東アジア各地にあった日本町に移すようになり朱印船を利用して宣教師を日本に送り込もうとするようになる。

 

奉書船以外の交易禁止

 宣教師は当時、キリスト教の布教と同時に植民地支配の先兵として活躍していた。これらの影響を防ぐために江戸幕府は対外政策を徐々に鎖国へと舵を切っていく。まず1631年に奉書船制度が始まる。海外交易を行うには朱印状の他に老中が発行する奉書が必要となった。要するに朱印状と奉書の2通が必要となった訳である。

 「奉書だけでいいじゃないか」と思うかもしれない。しかし朱印状は今や「ネ申」である家康が発給したものである。簡単に無効になんて出来ない。仕方ないので「奉書も必要でーす」ということにした。これで実質的には奉書がないと交易が出来ないようにしたのである。官僚が考えそうなことである。

 

一気に鎖国へ。。。

 そして1633年、奉書船以外の渡航が禁止される。奉書船制度が始まってからここまでの2年間は猶予期間だった。同時に5年以上海外に在住している日本人の帰国を禁止している。1635年には奉書船も含めて日本人の海外渡航、帰国を全面的に禁止している。1633年には日本人の渡航や交易に制限を付けて1635年に全面禁止という流れである。おまけに1639年にはポルトガル船の来航も禁止する。これによって以降、江戸時代の交易相手国はオランダ、清国、李氏朝鮮、琉球等に固定化されることとなった。

 

まとめ

 

 受験用知識であるが、この江戸時代の鎖国の流れを暗記するのは1633年、1635年、1639年の末尾の「3、5、9」で「さこく」と覚える。今考えると下らないであるね。受験はともかく(いわゆる)鎖国は以降の日本に重大な影響を与える。現代の日本人的な価値観の成立にも大きく影響していきる。

 

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