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水上偵察機

01_瑞雲
(画像はwikipediaより転載)

 

 水上偵察機瑞雲は偵察機と区分されているものの、急降下爆撃もできる上にフロート付きの水上機としては驚異的は最高速度442km/hを発揮する当時の水上機の性能を凌駕した高性能機であった。太平洋戦争初期に活躍した九九式艦爆11型の最高速度が382km/h、瑞雲と同じ金星54型エンジンを搭載した九九式艦爆22型の最高速度428km/hと比較しても瑞雲の性能の高さが分かるだろう。

 さらに翼内に20mm機銃、旋回銃も13mm機銃と初期の零戦以上の重武装であった。信頼性の高いエンジンを使用したことで信頼性も高い傑作機といえる機体であった。

 

水上偵察機瑞雲〜概要〜

 

 

<性能>

全幅12.8m
全長10.84m
自重2.945トン
全備重量3.9トン
過荷重4.553トン
最大速度442.6km/h
巡航速度351.9km/h
上昇力3000mまで4分52秒
実用上昇限度10180m
武装 九九式2号4型20mm機銃2挺、二式または三式13mm旋回銃1挺。250kg爆弾1発、60kg爆弾2発。

 

開発

 1939年2月7日十四試特殊水上偵察機の開発が一社指定で愛知航空機に内示された。これに対して愛知航空機は松尾喜四郎技師を設計主務者として開発を開始した。当時の愛知航空機は多種の航空機の試作を行っていたため効率化を図るために分担組織方式を採用、航空機の各部をそれぞれ専門の設計者が担当するとしていた。

 1940年11月15日には、第一次モックアップ審査、同年12月24日には第二次モックアップ審査、1941年1月25日には第三次モックアップ審査が完了した。この時点で試作機の名称が十六試水上偵察機と改称されている。5月15日には1号機の製作に着手、1942年3月31日には試作1号機が完成した。初飛行は、5月22日に行われたが安定性、操縦性ともに良好であった。

 7月21日には海軍の領収飛行、その後各種試験が行われた結果、1943年8月10日水上偵察機瑞雲11型として制式採用された。

 

瑞雲の能力

 高速を実現するため、水偵としては高翼面荷重である140kg/屬箸覆襦Nッ綽綫能の低下を防ぐために親子フラップを装備した。子フラップは空戦フラップとして使用することも出来る。さらに水上機としては世界初のエアブレーキを装備していた。

 試作機のエンジンは1300馬力金星51型で武装は翼内に7.7mm固定銃2挺、7.7mm旋回銃1挺であった。固定銃を翼内式にしたのは当初から13mm機銃や20mm機銃の搭載も考慮されていたからであり、実際、量産型では翼内に九九式2号4型20mm機銃2挺、偵察席には二式13mm旋回銃を装備された。

 偵察席の13mm機銃はラインメタル製のMG131を国産化した二式とブローニングをコピーした三式の2種類がある。当初は二式であったが1944年以降は三式13mm旋回銃を装備した機体もあった。爆弾は翼下に60kg爆弾2発、胴体下に爆弾投下器を装備、急降下爆撃で250kg爆弾を投下できるようになっていた。試作機は3機製作された。

 

11型

 前述のように固定武装が九九式2号4型20mm機銃2挺、旋回銃が二式または三式13mm旋回銃1挺、エンジンは1300馬力金星54型であった。爆装に関する諸元は試作機と同じ。量産一号機から自動消火装置も装備された。量産機は実戦配備されたが、実施部隊で空中分解事故発生。フラップの剛性不足によるフラッターまたは制動版による渦流発生が原因。制動版の改良が行われた。1944年末頃から尾翼などの木製化が行われた。

 

12型

1945年にエンジンを金星62型に換装した瑞雲が試作されたが試作のみで量産はされなかった。

 

生産数

 愛知飛行機と日本飛行機で生産され、愛知飛行機で194機、日本飛行機で59機で、生産数は、試作機3機を含むと合計256機である。

 

瑞雲の活躍

 

 1944年5月航空戦艦となった戦艦伊勢、日向で第4航空戦隊を編成、搭載部隊として634空が編成された。この部隊に初めて彗星艦爆と共に瑞雲が配備されている。瑞雲隊は呉基地で訓練を開始、翌月には16機の瑞雲が実働状態であったが、634空は米機動部隊の台湾来襲により第4航空戦隊から離れ基地航空隊となった。

 1944年7月になると瑞雲装備の部隊として偵察301飛行隊が編成された。この部隊はT攻撃部隊に編入された。この部隊も捷号作戦の発動に伴って10月23日、634空と共に比島に進出、11月15日には634空の瑞雲隊と偵察301飛行隊が合流、新たに偵察301飛行隊として634空に所属するという形式となった。つまりは指揮系統をシンプルにしたのである。この634空は、その後も夜間攻撃や魚雷艇狩りに活躍、体当たり攻撃を行わず地道に戦い続けたものの1945年1月上旬にはほぼ壊滅、再建のため台湾東港に後退した。

 1944年12月15日には偵察301飛行隊に代わり比島に進出することを目的に偵察302飛行隊が新たに編成、訓練を開始したもののこの時点では比島戦の敗北は確実であり、偵察302飛行隊は801空から海上護衛総隊、詫間空と移った。1945年3月になると634空が瑞雲7〜8機、零式水偵7機という少数であったが一応再建が終わり再び作戦行動を開始している。

 再建された634空、偵察302飛行隊は沖縄戦に参加、特攻によらず地味な正攻法攻撃を続行した。7月には偵察302飛行隊が634空所属となり8月にはとうとう特攻隊が編成されたものの出撃前に終戦となった。

 

水上偵察機瑞雲の模型

 

フジミ模型 1/72 Cシリーズ No.15 愛知水上偵察機 瑞雲 11型

 1/72スケールの瑞雲の模型。太平洋戦争末期に登場した万能水上偵察機をモデルアップ。戦争後期にも地味ながら活躍している瑞雲。あまり人気のある機種ではないのでモデルアップしているメーカーも少ない。

 

フジミ模型 1/700 グレードアップシリーズ No.47 日本海軍艦艇搭載機セット

 1/700スケールの瑞雲。基本的には航空戦艦伊勢、日向などの艦船模型に載せてリアリティをアップさせるための小道具だが、最近のこの手のキットの完成度は高い。いろいろな航空機が同スケールで発売されているのでコレクションするのも一興。

 

水上偵察機瑞雲の書籍

 

日本海軍水上偵察機 (世界の傑作機47[アンコール版])

 水上偵察機全般について書かれた本。瑞雲も登場する。

 

まとめ

 瑞雲は急降下爆撃可能な水上偵察機であり、さらには対戦闘機戦闘も可能な機体という大変過酷な要求の下に開発された機体であった。こうした要求の下に開発された機体は二式陸偵のように失敗作になっしまうことも多いが、この瑞雲は最高傑作と言って良い機体だった。フロート付きにもかかわらず最高速度は99式艦爆を超え、太平洋戦争後期には魚雷艇攻撃などの「正統派攻撃」に活躍した。日本航空技術の一つの到達点といっていい。

 

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01_零式水上偵察機
(画像はwikipediaより転載)

 

 零式水上偵察機(零式三座水偵)とは、愛知時計電機(のちの愛知航空機)が開発した三座水上偵察機で、当時としては快速で安定性が良い傑作機で、日中戦争から太平洋戦争全般にわたって偵察任務だけでなく、船団護衛、哨戒、魚雷艇攻撃等に活躍した。

 

零式水上偵察機 〜概要〜

 

 

性能

全幅 14.50m
全長 11.49m
全高 4.70m
自重 2,524kg
最大速度 367km/h
上昇力 3,000mまで5分27秒
上昇限度 7,950m
エンジン出力 1,080馬力(金星43型)1基
航続距離 3,326km(14.9時間)
乗員 3名
武装 7.7mm機銃1挺(弾数582発。97発弾倉6個)
爆装 250kg爆弾1発または
   60kg爆弾4発または
設計・開発 松尾喜四郎 / 愛知航空機

 

開発

02_零式水上偵察機
(画像はwikipediaより転載)

 

 1937年初頭、海軍は中島飛行機に対しては十二試二座水偵、愛知時計電機(のちの愛知航空機)と川西航空機に対しては十二試二座水偵と十二試三座水偵の2機種の開発を命じた。この指示を受けた愛知は当時、十一試艦爆(のちの九九式艦爆)、十一試特種偵察機(のちの九八式水上偵察機)を開発中であり、さらに2機種の水上機の開発に力を割く余裕はなかった。

 このため二座水偵の開発を先行、その成果を三座水偵に反映させるという方法で対応した。設計主務者は松尾喜四郎技師で開発を開始した。設計は順調に進んだものの開発中の航空機が多数あったため艤装関係の設計や試作機の製作が遅々として進まなかったため期日に間に合わず失格となってしまった。

 しかし愛知の上層部は研究資料とするために開発の継続を指示、1939年1月1日に試作1号機が完成、4月には初飛行に成功した。飛行試験では小さな問題は発見されたものの大きな問題はなく、最高速度も要求値に達しており安定した素直な機体であった。

 競合していた川西航空機の試作機は期日には間に合ったものの全体的に性能要求には達しておらず、さらにはテスト中に事故が続いたため審査は中止となっていた。このため海軍は愛知の試作機に注目、1939年7月、空技廠から担当者を派遣してテストを行った。その結果、愛知の試作機は直ちに海軍に領収された。

 海軍での試験でも好成績を発揮、12月には制式採用が内定、1940年12月17日、零式水上偵察機として制式採用された。生産は制式採用前から始まっており、1940年9月30日には量産一号機が完成している。因みに生産は愛知では上記の理由で生産能力が限界を超えていたため、広海軍工廠、九州飛行機で主に生産が行われた。

 機体は全金属製セミモノコック構造で主翼は金属製で一部が木製・羽布張り、格納時は主翼の中程から折り畳めるようになっていた。乗員は操縦員、偵察員、電信員の3名で偵察員は爆撃手も兼ねている。風防は完全密閉式である。

 エンジンは三菱製金星43型(1,080馬力)でプロペラは直径3.1m3翅定速プロペラであった。武装は九二式7.7mm旋回機関銃で97発入りドラムマガジンを6個搭載していた。爆撃兵装は60kg爆弾4発、または250kg爆弾1発で60kg爆弾の内2発は翼下、2発は胴体内に搭載することが可能であった。

 

二号

 初期の生産型と大きな変更点はないが、フロートの支持方式が張線から支柱に変更された他、初期生産型ではスピナ無しの機体が多かったが、スピナが標準装備となった。後期生産型からは排気管が推力式単排気管に変更された。

 

その他バリエーション

 11甲型は、1944年11月に制式採用された三式空六号無線電信機4型(レーダー)を装備した機体で、同じく1944年11月に制式採用された11乙型は、磁気探知機装備型である。他には、1944年3月に制式採用された複操縦式の零式練習用水上偵察機、魚雷艇攻撃用に偵察席に20mm機銃1挺を搭載した魚雷艇攻撃機型、戦争末期に魚雷を搭載できるように改造された雷撃機型があった。

 

生産数

 愛知時計電機で1938年から1942年までに133機、1942年から1945年までに九州飛行機で1,200機、広海軍工廠で90機が生産された。合計1,423機である。終戦時には約200機が残存していた。

 

まとめ

 

 零式水上偵察機は、戦艦や巡洋艦にも搭載された他、水上機母艦や基地航空隊にも配属された。有名なR方面部隊にも零式三座水偵は配備されていた。四方を海に囲まれた日本にとって水上機の必要性は高く、日本海軍は他の海軍とは比較にならない程水上機の開発に熱心であった。このため多くの名機が生まれた。特に初期のソロモン方面での戦闘では、滑走路が不要な水上機は重宝されたが、艦上機、陸上機には性能面では太刀打ちできず多くの損害を出した。

 

 

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01_九四式水偵
(画像はwikipediaより転載)

 

 九四式水上偵察機とは、複葉布張りの3人乗り水上偵察機であるがあまりの高性能にドイツからライセンス生産の要求があったと伝えらえているほどである。また海軍関係者をして「本機の出現は航空作戦に寄与すること大なり」と言わしめたほどであった。1933年に初飛行した本機は換装して使用され続け太平洋戦争終戦まで実戦で活躍し続けた。

 

九四式水上偵察機 〜概要〜

 

 

性能

全幅 14.00m
全長 10.50m
全高 4.73m
自重 2,000kg
最大速度 239km/h(高度 - m)
上昇力 3,000mまで10分45秒
上昇限度 7,520m
エンジン出力 600馬力(九一式水冷)
航続距離 12時間
武装 7.7mm機銃1挺、7.7mm旋回機銃1挺
爆装 60kg爆弾2発または
   30kg爆弾4発
設計・開発 関口英二 / 川西航空機

 

背景から開発まで

 国の四面を海に囲まれた日本では他国以上に水上機が発達した。これは偶然ではなく、日本海軍は確かに水上機の開発に力を入れていたのだ。世界を探してもここまで水上機に力を入れた海軍は他にない。水上機の種類も豊富で偵察機はもちろん、世界で唯一量産化された水上戦闘機、水上攻撃機、急降下爆撃可能な水上爆撃機等多彩な機種を開発・実戦配備した。これらの機体の多くは、世界有数の高性能機であった。

 零戦や一式戦闘機隼、四式戦闘機疾風は有名であるが、実は日本の航空機で「掛け値なし」で世界最高の高性能を実現していた機種は水上機なのである。余談であるが、ブログ管理者は、飛行艇が非常に好きだということだけは付け加えておこう。それは海と空が汚れた心を洗い流すからである。

 

開発

02_九四式水偵
(画像はwikipediaより転載)

 

 1932年、海軍は七試水上偵察機の開発を指向する。これを受けた川西航空機では関口英二技師を設計主務者として開発を開始、1932年3月から設計開始、1933年2月には試作1号機が完成、2月6日からテストが行われた。機体は保守的な複葉布張りであったが、従来機に比べ木製部品の使用割合は大幅に下がり、胴体、主翼の桁はジェラルミン製、小骨は木製という一歩進んだ機体であった。

 エンジンは広島海軍工廠で開発された国産の水冷式九一式500馬力エンジン(後期型では九一式600馬力エンジンに換装)で、最高速度は237.1km/hで性能要求の240.8km/hには及ばなかったものの現用の九〇式3号水偵を上回っており、安定性、航続距離に関しては極めて優秀であった。この七試水偵の高性能は、海軍関係者をして「本機の出現は航空作戦に寄与すること大なり」と言わしめたほどでドイツが本機のライセンス生産を要求したとも言われている。1934年5月26日、九四式水上偵察機として制式採用された。

 

12型

 九四式水偵のエンジンは、1937年からはより高性能で信頼性の高い瑞星11型(870馬力)エンジンに換装された。この換装は水冷エンジンから空冷への換装であったが、九四式水偵はそもそも余裕のある設計であったため換装は比較的容易であった。これにより最高速度は278km/hに増大、航続距離も2,463km、時間に換算すると11.36時間の長時間飛行が可能であった。この長時間飛行に対応するために本機では前後席どちらでも操縦することが可能となっている。この瑞星搭載型は1938年11月24日に九四式2号水偵(のち12型と改称)として制式採用、それまでの九四式水偵は1号水偵(のち11型と改称)となった。1941年まで生産された。

 

生産数

 生産は川西航空機で試作機2機、1号(11型)が183機、2号(12型)が288機の合計373機、日本飛行機で両型合計で57機製造されている。総生産数は530機。

 

まとめ

 

 九四式水偵は、1933年の初飛行から1945年の終戦まで12年間も使用され続けた名機である。この時期に初飛行した航空機で終戦まで使用されたものも無くはないが、ほとんどが練習機としてであった。これに対して九四式水偵は、偵察、哨戒、輸送等、終戦まで実戦で使用され続けたという稀有な航空機である。これは水上機という特性とともに本機の設計の優秀さ、信頼性の高さを物語っている。

 

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