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操練38期

坂井三郎 著
潮書房光人新社 (2003/5/14)

 

 私が零戦の搭乗員に興味を持つきっかけになった本!。。。ではない。私が零戦搭乗員に興味を持ったのは中学二年生の時に岩本徹三『零戦撃墜王』を西友の古本市で見つけたのがきっかけだ。学校にある図鑑に胴体に桜の撃墜マークをたくさん描いた零戦の絵があり、「撃墜200機以上」の〇×△の機体と書いてあった。古本市でたまたま岩本徹三『零戦撃墜王』を発見して、図鑑にそんな絵が描いてあったなーなんかこの人っぽい(著者〇×△氏。もちろん1回図鑑を観ただけで名前を記憶できる能力は私にはない)と思い、購入。これが零戦搭乗員に興味を持ったきっかけだ。

 その後、徐々に興味が広がり、他の搭乗員の本も読むようになった。まあ、これは高校を卒業してからなのでだいぶ後だ。タイミングが悪かった。ちょうどその時は戦後50周年ということで多くの搭乗員が本を出版していた。搭乗員自体もまだ70〜80代で健在だった。私はどんどんはまり込んでいったのだ。

 その中に坂井氏の著作もあった。『零戦の運命』『零戦の真実』『零戦の最期』の三部作は全てリアルタイムで読んでいる。しかし何故か『大空のサムライ』は読まなかった。当時の私は正直言って零戦搭乗員の撃墜数を知りたかったのだ。坂井三郎氏の撃墜数は64機というのは有名だ(まあ創作なのだが。。。)。なので敢て記録を読み解いてみる必要もないという訳だ。

 まあ、そうはいっても著名な搭乗員、一度は読んでみなければなるまいと思い、結構後になって読んだのが『大空のサムライ』だ。恐らく2000年代に入ってからだと思う。感想としてはまあ、想像通り。当たり前だ。それ以前に私は坂井氏の著作というのは沢山読んでいる。書いてあることは知っていることばかりだ。

 ただ、私は今一つ他の著作と比べて面白くは感じなかった。理由は全体的に文章がきれいでスマートなのだ。登場する搭乗員も他の著者のものだとそれぞれ戦後、本を上梓している搭乗員が同じ部隊にいてそれぞれ名前が確認できたりとそれなりに関係があるのだが、『大空のサムライ』に至ってはほとんどそれがなかった。

 何か別の世界の話のような気がした。これも私が興味を持てなかった理由の一つだった。最近になって本書はゴーストライターが書いたものだと知った(神立尚紀『祖父たちの零戦』)。ただ、内容はフィクションを多少含むがほとんどは事実のようだ。ただ、有名な敵基地上空での編隊宙返りはどうも眉唾物だという。しかし比島で一時的に捕虜になった陸攻搭乗員達が司令部の命令で敵基地に体当たりさせられるというエピソードがあったがこれは事実であったようだ。

 これは戦史家の森史朗氏が『攻防―ラバウル航空隊 発進篇』という著書の中で詳しく調べている。ゴーストライターが書いたとはいえ、坂井氏に無断で書いている訳ではないので坂井氏の著書と考えていいと私は思っている。零戦搭乗員にあまり興味はないが、零戦に興味があったり戦史に興味があったりする人の入門書としては良いと思う。まず藤岡弘主演『大空のサムライ』から入ってそれから原作という順番がいいかな。

 

 


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岡部健二
(画像はwikipediaより転載)

 

 著名なエース坂井三郎と同期の母艦戦闘機隊のエースである。戦争後半の同調圧力の中で特攻作戦に強硬に反対した気骨のある搭乗員だ。撃墜数は15機とも、また50機ともいわれる。実際のところは不明であるが、操練38期出身で、日中戦争に参加、太平洋戦争では優秀者が選抜される母艦戦闘機隊に配属されていた優秀な搭乗員であった。

 

岡部健二少尉の経歴

 

概要

 岡部は、大正4年5月福岡県に生まれる。海軍に入団後、航空兵を目指し、第38期操縦練習生として採用される。昭和12年11月38期操練を卒業。佐伯空、大村空を経て、昭和13年7月12空に転属。中国戦線に出動したが空戦を経験することはなかった。その後、空母翔鶴乗組となり、太平洋戦争開戦を迎える。真珠湾攻撃では母艦の上空直衛任務に就く。

 昭和17年4月9日のトリンコマリ上空に空戦が初陣。2機を撃墜する。昭和17年5月8日の珊瑚海海戦では空母上空直衛中に、急降下点で米艦爆群を待ちうけてSBD3機、F4F3機撃墜確実、F4F2機不確実の合計8機の撃墜戦果を報告した。昭和18年7月再び翔鶴乗組、「ろ」号作戦で11月ラバウル進出する。その後大村空に異動、昭和19年7月634空に配属され、レイテ作戦に参加する。11月に本土に戻り601空に転属して終戦を迎える。

 

母艦戦闘機隊員としての戦い

 太平洋戦争は新鋭空母翔鶴の戦闘機隊として迎えた。真珠湾攻撃では上空直掩である。この時、上空直掩を行った搭乗員には20機以上を撃墜したと言われる菊池哲生、216機撃墜を自称する岩本徹三、撃墜18機の小町定、10機以上撃墜の原田要などがいる。珊瑚海海戦では、岡部健二はまたもや上空直掩となり、攻撃してきた米空母艦載機を次々と8機を撃墜する。この海戦には瑞鶴の上空直掩として岩本徹三が参加していた。その後、「ろ」作戦で岡部健二もまたラバウルに派遣されることとなる。しかし期間は短かったようだ。

 

特攻には絶対反対

その後フィリピンに進出するが、ここで元台南空飛行隊長中島正少佐に対し、特攻反対を唱える。中島少佐からは不穏分子と睨まれ迫害されたようである(杉野計雄『撃墜王の素顔』光人社1997年)。岡部は同僚の角田和男少尉に対しても「戦闘機乗りは死んだら負けだよ」と特攻を思いとどまらせようとしていた。岡部は妻へのお土産の靴や香水、化粧品をみんなに見せびらかし絶対に持って帰ると言っていたという。

 特攻推進派で後から行くと多数の特攻隊員を送り出した中島少佐は戦後、特攻隊員達をネタに本を出版、航空自衛官として昇進を重ね、空将補となり位人臣を極める。晩年は陶器作りに精を出すという悠々自適な生活を送り1996年、86歳で天寿を全うした。確かに後から行くというのは嘘ではなかったようだ。それはそうと岡部少尉、やっとのことで内地に戻ったが最後に所属した航空隊も601空という母艦戦闘機隊であった。

 岡部健二はこの激しい太平洋戦争を生き抜いた。撃墜数に関しては、エース列伝では15機ということになっている。しかしヘンリーサカイダ『日本海軍航空隊のエース』大日本絵画1998年によると撃墜スコア50機ということになっているが、この50機という数字は岡部本人の記憶によるものだという。

 

岡部健二関係書籍

 

ヘンリーサカイダ『日本海軍航空隊のエース1937‐1945』

当時の搭乗員に直接インタビューもしてたり、独自取材もしている。大原亮治飛曹長のことを「ラバウルの殺し屋」と書いて抗議されたのも本書だったはず。航空機のカラー絵も多い。岡部健二少尉にはインタビューしているようで項目を立てて解説している。

 

日本海軍戦闘機隊―付・エース列伝

伊沢 保穂 秦郁彦 著
酣燈社 改訂増補版 (1975)

 1975年初版の海軍のパイロット好きには必携の本。撃墜王、エースの一覧表、主要搭乗員の経歴、さらには航空隊史、航空戦史まで網羅している。2000年代に再販されているが、その際にエース列伝と航空隊史・航空戦史が分冊となってしまった。古くてもいいから1冊で読みたいという方にはこちらがおススメ。こちらも岡部健二少尉は項目を立てて解説している。

 

杉野計雄『撃墜王の素顔』

 総撃墜数32機といわれている杉野計雄氏の著書。当初はミッドウェー島航空隊になる予定だった6空隊員としてミッドウェー海戦に参加。乗艦が撃沈され内地帰還後は、母艦戦闘機隊隊員として活躍する。この時期のパイロットとしては幸運にも十分な訓練期間を与えられたようだ。ラバウル航空戦、比島、本土防空戦に参加する。フィリピン戦のくだりで岡部健二少尉が特攻に反対していることが記されている。

 

神立尚紀『祖父たちの零戦』

 神立尚紀氏が零戦搭乗員とのインタビューで書き上げた本。戦後の人間としての搭乗員の生き様が描かれている。岡部健二少尉の話もフィリピン戦のくだりで登場する。人物が生き生きと描かれていてよい。その他、坂井三郎少尉の戦後の話等も面白い。この部分に関しては坂井スマート道子氏の著書で違う視点から本書に対して意見を書いているのでどちらも読むことをおすすめする。

 

まとめ

 

 岡部健二少尉は操練38期。著名なエースである坂井三郎少尉と同期である。母艦戦闘機搭乗員として有名を馳せた彼は周囲の圧力にも屈せず自説を主張した勇敢な男であった。総撃墜数は15機といわれているが本人の記憶では50機撃墜したという。

 

 

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坂井三郎01 (画像はwikipediaより転載)

 

 日本でもっとも有名な撃墜王。大空のサムライこと坂井三郎である。坂井は海兵団から操縦練習生を経て最終階級は少尉、戦後に何だか分らない昇進で中尉となったという正真正銘の叩き上げ軍人で、昭和18年、大村航空隊教員時代に多撃墜搭乗員として杉田庄一と共に表彰されている熟練搭乗員である。

 

坂井三郎の経歴

 

 大正5年8月26日佐賀県に生まれる。昭和8年5月佐世保海兵団入団。9月戦艦霧島乗組となる。昭和10年海軍砲術学校入校。昭和11年5月戦艦榛名乗組。昭和12年3月、第38期操縦練習生として霞ヶ浦空に入隊する。同年11月30日第38期操縦練習生を首席で卒業。昭和13年4月大村空に配属される。同9月第12空配属される。昭和15年大村空で教員配置。昭和16年4月、再び第12空に配属され、同10月台南空に配属される。昭和17年4月ラバウル進出、連日の航空戦に参加。同8月、ガダルカナル上空の空戦で負傷。内地送還。横須賀海軍病院、佐世保病院での療養を経て、昭和18年4月大村空配属。昭和19年4月横空配属。7月横空戦闘701飛行隊配属。11月203空配属。12月343空配属。昭和20年再び横空配属で終戦を迎える。平成12年9月22日逝去。84歳。

 坂井三郎を有名にしたのは戦後に書かれた坂井三郎空戦記録、そしてそれを元にした『大空のサムライ』であろう。さらに90年代まで執筆を続けた。主な著書は『大空のサムライ』『零戦の真実』『零戦の運命』『零戦の最期』等がある。  坂井は上記のように操縦練習生38期を首席で卒業、恩賜の銀時計を下賜されている。38期の同期には撃墜50機と言われる岡部健二がいる。坂井は日中戦争に参加するも実戦に参加することはほとんどなかったようであるが、1機を撃墜している。太平洋戦争が始まると台湾の台南航空隊に配属され、開戦と同時にフィリピンから始まる東南アジアの航空撃滅戦に参加している。

 航空撃滅戦を行ったのは台南航空隊と第3航空隊であるが、第3航空隊はチモール島クーパン基地へ、台南航空隊は17年4月、ニューブリテン島ラバウル基地へ展開した。当初はニューギニア東部のラエ基地に展開してポートモレスビー攻撃に参加した。1942年8月にガダルカナルに米軍が上陸すると台南空はすぐさま攻撃に向かうがここで坂井は負傷してしまう。記録によるとここまでで少なくとも33機は撃墜しているようである。因みに1942年8月7日のガダルカナル攻撃では坂井は4機撃墜を報告している。ヘンリーサカイダ氏の調査でも4機は誤認だとしても1機は確実に撃墜しているとのことだ。

 トップエースである西沢広義は6機を撃墜しており、日本軍の総撃墜数は48機、損害は12機となっている。しかし米軍の損害は実際には12機であり、ベテラン搭乗員で編成されたこの時期の零戦隊であっても4倍の誤認戦果を出してしまっている。因みに日本軍の損害は陸攻5機、艦爆5機、戦闘機2機である。撃墜した米軍機のほとんどが戦闘機であったとすれば日本軍は相当優勢であったといえるが、損害の数だけを比較するのであれば互角の戦いであり、搭乗員の死亡者で比較すれば惨敗である。

 坂井は目を負傷してしまったためその後はほとんど前線に出ることは無かったようである。内地帰還後は大村航空隊で教員勤務が続いた。1944年5月横須賀航空隊へ転勤し、6月には八幡空襲部隊として硫黄島に進出する。そこで迎撃戦に参加した。坂井氏はここで特攻出撃を命ぜられているが、特攻出撃後、空中戦を行い、同じく撃墜王である武藤少尉と共に帰還している。1944年12月、有名な343空、通称「剣」部隊に転出するがこれは極短期間であったようだ。1945年には再び横空付となり終戦を迎える。

 総撃墜数64機としているが、公文書で確認できるのは30機前後と言われている。しかし坂井の上官である笹井醇一が親に書いた手紙に坂井の撃墜数を50機としていることから一概に嘘であるとは言えない。戦後の坂井に関してはあまり良くない噂等もあるが、日中戦争以来のベテラン搭乗員であり、海軍航空隊の勇者であることは間違いない。

 

坂井三郎関連書籍

 

坂井三郎『零戦の最期』

坂井三郎 著
講談社 (2003/12/1)

  零戦三部作といわれる『零戦の真実』『零戦の運命』『零戦の最期』の最後の作品。ベストセラー『大空のサムライ』は実際には坂井氏の執筆ではなく、高城肇氏の執筆であると言われているが、こちらは正真正銘の坂井氏の執筆である。坂井氏は、当時の綿密な記録を持っており、内容も精緻である。自身の乗機が平成になり発見されたエピソードから始まり興味を惹かれる。終戦の詔後である1945年8月17日にB32が来襲した際、一瞬とまどったベテラン指揮官指宿少佐は、電話をガチャンと置いてこういった

 

「エンジン発動!」

 

 これが坂井氏最後のフライトとなる。後半の鴛淵孝大尉あたりの話は若干、記憶に混乱があるように思われるが、今は亡き伝説の零戦搭乗員、坂井三郎氏の筆は迫力がある。

 

坂井三郎『大空に訊け!』

坂井三郎 著
光人社 (2000/11/1)

 週刊プレイボーイ紙上で連載していた坂井三郎氏の悩み相談集。読者から寄せられる様々な悩みに坂井氏が答えていく。坂井氏の答えは、死線をくぐり抜けてきた人間が持つ圧倒的な説得力と同時に非常に論理的かつ広い視野から答えている。世間一般とは違う考え方をしている部分が多いが、それも論理的であり、正論である。実は私は坂井氏の著作の中で本書が一番好きである。

 

坂井スマート道子『父、坂井三郎』

坂井スマート道子 著
潮書房光人新社 (2019/7/23)

 坂井三郎氏の娘、坂井スマート道子氏から見た坂井三郎。奥さんの連れ子と自身の子を一切差別することなく育てた坂井氏。義理の息子が「坂井」姓を名乗るようになるが、御子息は喜んでいたという。道子氏が学生運動に熱を上げている時に一喝したこと、外に出た時は前後左右「上下」を確認しろと教えていたことなど搭乗員らしく面白い。「アメリカ人は楽しいぞ」と言っていた坂井氏、道子氏はアメリカ軍人と結婚しており、アメリカ人とは気質があったようだ。誰も知らなかった坂井三郎の姿があった。

 

神立尚紀『祖父たちの零戦』

 神立尚紀氏が零戦搭乗員とのインタビューで書き上げた本。戦後の人間としての搭乗員の生き様が描かれている。この中に坂井三郎氏の戦後の姿もあり、大ベストセラー『大空のサムライ』を出版する前後の話、これによって元搭乗員達からの批判などが描かれている。『大空のサムライ』がゴーストライターの手によるものであったこと、戦後、ねずみ講に元搭乗員達を勧誘したことや、そこからの資金により藤岡弘主演『大空のサムライ』が製作されたことなど、坂井氏の「負」の部分も描かれている。この部分に関しては坂井スマート道子氏の著書で違う視点から本書に対して意見を書いているのでどちらも読むことをおすすめする。

 

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