(画像はwikipediaより転載) 略歴 1918年2月21日千葉県に生まれる。1934年6月乙飛5期として採用される。1937年8月卒業後、1938年3月霞空での練習機課程(飛練)終了後、佐伯空で戦闘機専修教育を受ける。同年9月16日実戦部隊である大村空に配属、12空、蒼龍乗組とな ...
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【海軍戦闘機隊】『志賀正美 少尉』落下傘を着けずに出撃。空戦技術に絶対の自信を持った男
(画像はwikipediaより転載) 略歴 1919年茨城県出身。1937年海軍に入隊後、整備兵となった。1940年6月50期操練を卒業して戦闘機操縦者となった。1941年9月千歳空に配属。内南洋タロア島で開戦を迎える。その後マーシャル群島に移動。1943年7月201空隊員としてソロモ ...
【海軍搭乗員】『中谷芳市 飛曹長』ソロモンからインドまで戦場を駆けたベテラン
(画像はwikipediaより転載) 略歴 1921年長崎県出身。海兵団に入団後、整備兵から航空兵となる。1940年11月丙飛2期として採用、1941年11月飛練12期を卒業後千歳空隊員として太平洋戦争開戦を迎える。1942年8月補充員としてラバウルの台南空に派遣され、10月末までソ ...
【海軍搭乗員】『丹 幸久 二飛曹』知られざる撃墜20機のエース
(画像はwikipediaより転載) 丹 幸久二飛曹の経歴 出身年不明、1939年4月に甲飛4期に採用、1940年8月修了、同年9月より飛練9期、1941年9月に飛練修了して戦闘機搭乗員となる。その後の経歴は不明であるが、1942年2月に4空隊員としてラバウル方面に派遣され、同年 ...
【海軍戦闘機隊】『羽藤一志 三飛曹』激しく戦いガダルカナルに散った温和なポッポ
(画像はwikipediaより転載) 撃墜19機のエースで活躍したのは半年足らずであった。乙飛9期出身であり、日中戦争は経験していない。太平洋戦争開戦時には弱冠20歳であった。 略歴 1922年愛媛県に生まれる。1941年10月乙9期飛練を卒業して、1942年2月に南洋ルオッ ...
【海軍戦闘機隊】『岡野 博 飛曹長』「搭乗員の墓場」に2度行った男
(画像はwikipediaより転載) 岡野博は1921年生まれ、操練54期を修了した。日中戦争は経験していないが太平洋戦争開戦時には十分な訓練を受けての参加である。太平洋戦争を戦い抜いたのち、343空で終戦を迎えたという円熟の搭乗員であった。 略歴 1921年茨城県 ...
【海軍戦闘機隊】『荻谷信男 上飛曹』二週間弱で18機撃墜した異才
(画像はwikipediaより転載) 荻谷信男は48期操縦練習生出身で生涯に撃墜した敵機は24機と言われている。当時、海軍航空隊内部でも坂井三郎や岩本徹三という名は知れ渡っていたという。しかし、逆に荻谷は当時ほとんど部内でも知られることがなかった搭乗員であったよ ...
【海軍戦闘機隊】『長野喜一 飛曹長』実戦叩き上げの下士官
(画像はwikipediaより転載) 長野喜一は戦闘機搭乗員の操練最後の期である56期出身で総撃墜数は20機以上ともいわれる搭乗員である。開戦時にはまだ10代という非常に若いパイロットであったが、激烈なラバウル航空戦に参加、幾度も死線をくぐり抜けていった。戦争後期 ...
【海軍戦闘機隊】『渡辺秀夫 飛曹長』積極的な性格の歴戦の兵(つわもの)
(画像はwikipediaより転載) 渡辺秀夫飛曹長は太平洋戦争開戦直前に訓練が完了。太平洋戦争で実戦に参加した戦中派パイロットである。弱冠23歳の下士官でありながら部隊を指揮したこともある実力派であった。総撃墜数はエース列伝によると16機、本人によると共同撃 ...
【海軍戦闘機隊】『西澤廣義 中尉』太平洋最強の撃墜王
(画像はwikipediaより転載) 西澤廣義の経歴 経歴 西澤は、1920年長野県に生まれる。1934年3月、高等小学校を卒業すると製糸工場に勤める。1936年6月、第7期予科練習生として海軍に入隊。1938年8月、霞ヶ浦空で飛行練習生、1939年3月〜6月まで大分航空隊で延長 ...