01_長門
(画像はwikipediaより転載)

 

ワシントン会議

 

概要

 ワシントン会議は、1921〜1922年に行われた。提唱したのは米大統領ハーディングで日本、米国、英国、仏国、中国、イタリア、ベルギー、ポルトガル、オランダの九か国が参加した。日本側の全権代表は日本海海戦時の連合艦隊参謀長であった加藤友三郎大将である。

 第一次世界大戦(1914〜1918年)は、主に欧州での戦争ではあったのだが、実は日本も連合国軍としてちゃっかり参戦している。この機会とばかりにドイツ領であった山東半島や内南洋の島々を占領した。戦後、パリ講和会議で締結されたヴェルサイユ条約によってヨーロッパの秩序は出来たものの、アジア(要は中国)・太平洋は未だ問題を多く残している(要するに日本)。このため中国や太平洋の各国の権益の調整を図るためにワシントン会議が行われたのだ。結果、中国に関しては九か国条約、太平洋に関しては四か国条約、各国の膨大な軍事費を抑えるための海軍軍縮条約も締結された。

 

九か国条約

 この会議で、中国に対しては日本側が得た山東半島を中国に返還することが決定、同時に中国に対する門戸開放、領土保全、機会均等が決められた。要するに「中国の権益は一つの国が独占しちゃだめだよ」ということだ。これは九か国条約として参加国全部が批准した。これにより日本は第一次世界大戦のどさくさに紛れて取った山東半島を返還した。九か国条約の「九か国」とは、日本、英国、米国、フランス、ベルギー、イタリア、オランダ、ポルトガルである。

 

四か国条約

 さらに太平洋についても話し合われた。これは日米関係が大きな意味を持つ。当時の日米は相当険悪になっていた。日本は中国から第一次世界大戦のどさくさで南洋のドイツ権益の島々を制圧してしまった。膨張する軍事強国日本は米国には脅威だったのだ。当時日本も米国の日系移民への迫害を行っている米国に対して良い印象を持っていない。お互い緊張関係があった。

 この状態で米国が気に入らないのが、長い間続いている同盟関係である日英同盟である。この同盟には米国と日本が戦争状態になった時の参戦条項等はないものの、日本と英国という米国を挟んだ大国同士が結んでいる軍事同盟は気持ちの良いものではない。地理的にみれば、米国は日本と英国に包囲されている状態なのだ。

 何とか二次にわたって続いた同盟をぶっ潰したい米国。米国との関係悪化を心配する英国。そして日本と三者の思惑が交差した結果、日英同盟は軍事的義務や同盟的性格を削除、問題が起これば「協議する」という激ユルな内容に変更。さらに日英に加え米国も加入、何だか分からないがフランスも加入した。結果、「太平洋における領土と権益の相互尊重、非軍事基地化」というこれもまた何だか分からない内容に変更した日英同盟に米仏も加えた四か国条約を締結した。これにより20年にわたって続いた日英同盟は破棄されたのだ。

 

ワシントン海軍軍縮条約

 第一次世界大戦は何とか終了したものの、世界の軍拡競争は激しかった。世界の強国は今の我々がみれば、頭がおかしいのではないかと思うくらい軍隊、特に海軍に予算をつぎ込んでいた。当時は「海軍の力=国力」という側面もあったのだ。当然のように国家予算は圧迫していたため話し合って軍縮をしようではないかということになった。人類史上初の軍縮だったようだ。

 とりあえず莫大な金食い虫である戦艦、空母、巡洋艦という主力艦の新規の建造を禁止、さらに現有の主力艦も保有量を制限した。当初、対英米7割を主張した日本であったが、結果、対英米6割でまとまった。5大海軍国でみると米英5、日本3、仏伊1.67という割合である。さらに主力艦は今後10年間建造を禁止することとなった。これ以降、次のロンドン海軍軍縮条約が失効するまでの間は「海軍の休日(Naval holiday」といわれる。

 

 

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