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ロシア

01_Tu-16
(画像はwikipediaより転載)

 

Tu-16バジャー爆撃機

 

 

性能

全幅 33.0m
全長 34.8m
全高 10.36m
自重 37,200kg
最大速度 1,050km/h
上昇力  -
上昇限度 11,200m
エンジン出力 8,200kg×2基(ミクーリンAM-3 M-500ターボジェットエンジン)
航続距離 7,200km
乗員 7名
武装 23mm機関砲7門
爆装 9,000kgまたは
   KS-1コメット巡航ミサイル2発または
   K-10S対艦ミサイル1発または
   KSR-2、KSR-5対艦ミサイル2発
初飛行 1952年4月27日
総生産数 1509機
設計・開発 ツポレフ設計局

 

概要

 Tu-16とはソビエト連邦ツポレフ設計局が開発した双発ジェット戦略爆撃機である。開発を行ったツポレフ設計局とは戦前から航空機の設計を行っていた設計局でボーイングB-29爆撃機を「リスペクト」したTu-4爆撃機などの開発を行った設計局である。このTu-4爆撃機、よく言えば「リスペクト」であるが、要するにソビエト領内に不時着した米国のB-29爆撃機の完コピである。ソビエトと米国の基礎技術力の差から重量が増加、最高速度も低下したものの、ソビエト初の核弾頭搭載可能な戦略爆撃機となった。

 このTu-4爆撃機は800機以上が生産されたものの、1950年前後になるとソビエトでもジェットエンジンであるミクーリンAM-3エンジンが開発成功。これによってソビエトでもジェット戦略爆撃機の開発の可能性が見え出した。これを受けてツポレフ設計局はジェット戦略爆撃機の開発を開始、1950年に試作機Tu-88を開発、1952年4月27日に初飛行、1954年にはTu-16としてソビエト空軍に制式採用された。

 全長34.8m、全幅33.0m、高さ10.36m、重量37,200kg、エンジンはミクーリンAM-3エンジンを使用、最高速度は1,050km/h、航続距離7,200kmであった。同時期に米国で開発されたB-52爆撃機と比べると最高速度はほぼ同等であるが、航続距離は半分以下、B-29爆撃機と同程度であった。それでも核搭載可能なジェット戦略爆撃機の開発は西側を驚かせるには十分であった。

 エンジンは2発で主翼胴体部近くに埋め込まれる方式で流線形の美しいシルエットを持つ機体である。胴体内には9,000kgの爆弾、または巡航ミサイルを搭載可能である。拡張性が高い設計であったために様々なバリエーションが開発され、偵察、哨戒、電子戦用機なども存在する。1954年から1962年にかけて1,509機が生産された。

 中国でライセンス生産された他、エジプト、ベラルーシ、インドネシア、イラクでも運用された。ロシアでは1993年に全機退役しているが、ソビエト連邦から本機を継承した旧ソ連邦国や上記の国では運用が続けられたものの2000年までにはほぼ退役が完了している。本家のTu-16は全機が引退したものの、中国でライセンス生産されたH-6轟炸六型は現在でも運用されている。このH-6轟炸六型は、中ソ友好同盟相互援助条約の一環として導入、ソビエトから部品を購入、中国で組み立てるというノックダウン生産が開始された。さらに1959年にはライセンス生産が開始、西安飛機工業公司で生産された機体は1968年12月24日に初飛行、1969年より運用を開始している。総生産数は231機。

 

 

 

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01_マカロフPM
(画像はwikipediaより転載)

 

 マカロフPMとは、ソビエト軍が1951年に制式採用した中型拳銃である。それまでのトカレフTT33に比べて威力は低い。設計はドイツのワルサーPPの影響を非常に受けているが、スライドストップの採用やグリップ下部のマガジンキャッチ等独自の機構もある。現在でも生産されており、ライセンス生産も世界中で行われている。

 

マカロフPM(実銃)

 

 

性能

全長 162mm
重量 730g
口径 9mm
使用弾薬 9×18mmマカロフ弾
装弾数 8+1発
設計・開発 ニコライ・マカロフ / イジェフスク機械工場

 

開発

 1933年に制式採用されたトカレフTT33に代わる拳銃として開発されたソビエト製中型拳銃である。設計者はニコライ・マカロフ(1914〜1988年)。1948年に行われたトライアルの結果、競合する拳銃よりも部品点数が少なく、故障も少なかったためいマカロフPMが合格、1951年12月にトカレフTT33に代わりソビエト軍制式拳銃として採用された。戦争での拳銃の重要性が薄れたというソビエト軍部の認識により使用弾薬は強力な7.62×25mmトカレフ弾から威力の弱い9×18mmマカロフ弾が採用された。その後、より強力なマカロフPMM弾仕様に変更になっている。ダブルアクション、シングルアクションでの射撃が可能である。

 構造はワルサーPPから非常に大きな影響を受けており、発射機構もPPと同様のストレートブローバック方式でスライド後部にデコッキングレバー兼用の安全装置が設置されているのも同様である。マガジンキャッチはトカレフ同様にグリップ下部にあるため片手でのマガジンを排除することはできない。PPと異なりスライドストップが装備されている。ファイアリングピンにリターンスプリングが存在しないという機構はさすが質実剛健のソビエト製というところだろう。

 1990年(1994年とも)には改良型のPMMが登場する。これはマカロフ弾の強装弾を発射出来るように改良された他、グリップも人間工学を取り入れた形状に変更されている。これにより初速が25%アップしている。製造はイジェフスク機械工場で行われた他、多くの国でライセンス生産されている。2003年には新しくMP443グラッチが制式採用されたが、現在でも生産されており、世界中で使用されている。

 

マカロフPM(トイガン)

 

概要

 トイガンとしては2012年頃にGUNくつ王がダミーカートモデルを製作、2015年にはKSCがガスブローバックモデルを発売している。

 

KSC マカロフ ガスブローバック

性能

全長 160mm
重量 500g
装弾数 10発

 外観の完成度は非常に高い。初速は60m/s前後でこのサイズの銃としては命中精度は高いがマガジンが小さいため外気温の影響を受けやすいことが難点である。Ver1とVer2があるが、Ver1はユーザーによって作動性に問題が指摘されているため中古で購入する場合には注意が必要である。

 

まとめ

 

 マカロフPMはそれまでの弾薬を低威力化するという思い切った方針の基に設計された銃である。トカレフTT33がシンプルな構造で頑強であったのと同様にマカロフも質実剛健な銃である。威力が弱くなった分操作性は向上したため現在でも多くの国や地域、組織、日本のいけない組織等でも使用されている。

 

 

 

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01_トカレフ
(画像はwikipediaより転載)

 

  トカレフとは、1930年にソビエト軍に制式採用された拳銃である。コルトM1911のコピーで、同銃の機構を極限まで簡略化、安全装置まで廃止し、堅牢さと生産性の向上が図られたモデルである。単純なコピーではなく、寒冷地での使用を前提にグリップやハンマーに工夫が凝らされている。信頼性は高く現在でも多くの国で使用され続けている。

 

トカレフ(実銃)

 

 

性能

全長 196mm
重量 854g
口径 7.62mm口径
使用弾薬 7.62x25mmトカレフ弾
装弾数  8発
設計・開発 フョードル・トカレフ / トゥーラ造兵廠

 

背景から開発まで

 1917年に誕生したソ連赤軍は、帝政ロシア時代の制式拳銃であるナガン・リボルバーをそのまま使用していたが、1895年に制式採用されたナガン・リボルバーは構造が複雑であり、生産性の悪いリボルバーであった。さらに軍用拳銃の流れはオートマチックに変化しつつあり、これも踏まえてソビエト赤軍は1928年に制式拳銃トライアルを行った。この結果、制式採用されたのがトカレフTT1930である。

 

開発

02_トカレフ
(画像はwikipediaより転載)

 

 トカレフTT1930は米国製拳銃M1911を参考に極限まで構造を簡略化した銃である。基本構造はブローニング式ショートリコイル機構であるが口径はマウザー7.63mmカートリッジを模倣した7.62×25弾を使用、サムセイフティ、グリップセイフティは省略された。ハンマー・シアーはモジュラー構造になっておりユニットとして取り出すことが可能である。ハンマーやスライドのセレーションは手袋をしていても操作しやすいように深い溝が彫られておりハンマーはとっさに使用する時に引っかからないようにスライドに包み込まれるような形状になっている。

 生産工程を簡略化するために部品点数は非常に少なく設計しており、故障は少なく、分解も特別な工具を使用しなくても可能である。グリップも通常の軍用拳銃のように木製ではなくプレス加工で造られているという極限まで省力化した拳銃で、1930年から1936年までの間に93,000挺が生産された。1933年には、このTT1930をさらに簡略化したTT1933が完成、1954年にマカロフPMに置き換えられるまでに17万丁が製造された。世界各国でコピーされ現在でも使用され続けている名銃である。

 

トカレフ(トイガン)

 

概要

 モデルガンでは1967年に中田商店が金属製トカレフを発売したのが最初である。2000年代に入りハドソン産業からABS製で発売されている。HW製、ABS、ニッケルフィニッシュの3種類が発売されていた。ガスガンは日本ではKSCがシステム7でモデルアップしており、その他海外メーカーで数社がモデルアップしている。

 

KSC TT33 HW 18歳以上 ガスブローバックガン

性能

全長 195mm
重量 670g
装弾数 10発

 HW製でエンジンは最新のシステム7を採用している。精密チャンバーを採用しているので命中精度は高い。外観はKSC製のため完成度は非常に高い。KSCは2013年からトカレフを発売しているのでロッドにより性能が異なる可能性がある。最新ロッドを購入するように気を付けたい。

 

まとめ

 

 トカレフは特にメカニズム的には革新的なものが無い銃であるが、無駄を省いた上に高い信頼性を達成したモデルである。銃は高性能である以前に確実に作動することが最重要であり、この点トカレフは最高傑作といってよい。生産性やメンテナンス性も考慮したモジュラーシステムは現在のハンドガンでも普及しつつあるシステムでこの点は先進的であった。

 

 

 

 

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01_南満州鉄道本社
(画像は南満州鉄道本社社屋 wikipediaより転載)

 

超要約

 

 日露戦争後、日露関係は急速に改善、1907年に日露協約を結んだ。これは極東での両国の特殊権益を認め合うというもので双方にとってメリットのあるものであった。1916年に第4次日露協約が締結されたが、翌年のロシア革命によって成立したソビエト連邦政府によって破棄された。

 

 

日露協約とはなにか

 

そのまえの国際情勢

 日露戦争が終わるとロシアは進出の矛先を満洲からバルカン半島に移すことになる。そしてロシアがドイツと緊張関係になると、ドイツに敵対している英国はロシアに接近する。1907年、ロシアは英国とは英露協商、日本とは日露協約を結ぶこととなった。これ以降、利害が一致したこの三国の関係は緊密になっていく。

 

第一次日露協約

 日本とロシアの間で結ばれた日露協約は1907年から1916年まで合計4回に及ぶ。内容は主に両国の極東での特殊権益を相互に認めることで一貫している。まず最初の1907年の第一次日露協約では、日露間の条約と日露が清国との間に結んだ条約を尊重することが決められた。さらに清国の独立、門戸開放、機会均等等が決められた。「清国の独立」とは要するに清国はどこかの国の所有ではなく、みんなで美味しく頂きましょうということだ。決して清国の側に立ったものではない。

 この第一次日露協約には秘密条約があった。それはロシアが持っている北満洲、外蒙古での特殊権益を認める代わりに日本の南満州、朝鮮半島での特殊権益も認めるというものだ。因みに「特殊権益」とは、簡単にいうと「戦争で奪い取った権益」のオブラートに包んだ言い方だ。

 

第二次日露協約

 1910年に第二次日露協約が結ばれる。これは米国の国務長官ノックスによって提案された満洲の鉄道を全て清国に返還、その後、米・英・仏・露・清・日の六か国によって共同管理を使用という提案だ。中国市場に出遅れた米国はどうしても中国の権益が欲しかったのだが、米・清国以外には何のメリットもないためその他4ヶ国によって拒否されてしまった。

 第二次日露協約とはこの提案を拒否することを日露両国が確認したものである。

 

第三次日露協約

 1912年、第三次日露協約が結ばれる。これは同年に中国で起こった辛亥革命に対応するためのもので、内蒙古の西部をロシア、東部を日本が利益を分割するということを取り決めたもの。

 

第四次日露協約

 1916年に結ばれた最後の日露協約。第一次世界大戦中の協約で日露の関係強化と第三国の中国支配阻止、そしていつも通りの極東における両国の特殊権益の擁護を再確認したものだ。第一次世界大戦でドイツ・オーストラリア、イタリアの三国同盟に対抗したのは、主に英・仏・露・日である。英・仏・露は前述の英露協商にフランスが加わった三国協商、さらに日露協約という協約によって成り立っている。それを再確認したかったのだ。因みに露仏は1894年に露仏同盟、英仏は1904年に英仏同盟、日本と英は1902年に日英同盟を結んでいる。ガチガチの同盟関係をさらに確認したことになる。

 しかし1917年にとんでもないことが起こる。ロシア革命だ。ロシア革命により帝政ロシアは滅亡してしまった。新しく権力を握ったソビエト連邦政府は日露協約を破棄。10年近く続いた日露の同盟関係は終わりを告げた。

 

 

 

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01_ソビエト
(画像はwikipediaより転載)

 

超要約

 

 ソビエト連邦とは単一の国家ではなく、1922年に成立した複数の共和国で構成される社会主義連邦である。共産主義の構造上の問題から経済が停滞、権力の集中により汚職が蔓延した。1980年代に改革を試みるも中央が統制力を失ったために構成国が独立、1991年に崩壊した。

 

ソビエト社会主義共和国連邦

 

成立から発展

 ソビエト連邦とは、1922〜1991年まであった世界初の社会主義国家である。一応は共和国が集まった連邦国家であったが、ソビエト共産党による中央集権的な政治が行われていた。

 1917年、ロシア帝国が崩壊した。これによりボルシェビキ(のちのソビエト共産党)が臨時政府を設立。その後、ボルシェビキと反対派の内戦が激化するもののボルシェビキが勝利。1922年、ボルシェビキによりロシア帝国の領土の大部分を領域とするソビエト連邦が成立する。しかしボルシェビキを指導していたレーニンは1924年に死亡。後継者スターリンの独裁が始まる。

 このスターリンは反対派を弾圧。大粛清をはじめとする恐怖政治が行われる。経済は、計画経済と呼ばれる中央が全て管理する方式を採用。その失策により、ホロドモールと呼ばれる数百万人規模の餓死が起こるのもこのころである。1953年にはスターリンが死亡するが、ソビエトは、資本主義国家のように競争が無く、権力が集中しやすい構造であったため経済は停滞、集中した権力による汚職が蔓延した。さらに1979年にはソビエト軍がアフガニスタンに侵攻。経済はさらに苦しくなった。

 

改革から崩壊へ

 プラハの春と呼ばれる反対勢力に対する軍事侵攻やアフガニスタン侵攻により西側は対決姿勢を鮮明にする。そして経済の停滞により技術革新も進まず、西側との経済格差は広がっていった。この中で1980年代になるとゴルバチョフ書記長が登場、ペレストロイカ(改革)、グラスノスチ(情報公開)という一連の改革を実施した。これによりソビエトはそれまでの一党独裁の体制から議会政治に移行、経済も自由化が進んだ。

 しかしこれらの政策によって、それまで集中していた権力が分散、情報公開により様々な政権内部情報が公開されたことにより中央の統制力が低下、ソビエト構成国の独立運動がさかんになる。ソビエトの同盟国であった東欧諸国でも民主化革命が起こり始める。

 1991年8月、これらソビエトが解体の方向に進んでいくことに危機感を持った保守派がモスクワで蜂起。クーデターを実施したもののこのクーデターは国民の支持も諸外国の支持も得られなかったため失敗した。しかしこのクーデターによりゴルバチョフも影響力を失ってしまった。中央の統制力が弱体化した結果、ソビエトを構成していた共和国が次々に独立を宣言、新たにCIS(独立国家共同体)を構成することを決定、そして1991年12月25日、ゴルバチョフ書記長はソビエト連邦の解体を宣言した。

 

CIS(独立国家共同体)

 ソビエトに代わり結成されたCISであったが、これはソビエトのように強力な中央集権の連邦ではなく、独立した国家の連合体であった。現在でもロシアを中心に存続しているが、ウクライナ、ジョージアは脱退している。

 

 

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01_日露戦争
(画像はwikipediaより転載)

 

超要約

 

 南下政策を採るロシアに対して国防の危機を感じた日本は開戦を決意、主に北東中国(満洲)や日本近海で日露両軍が激突し、陸軍は辛勝、海軍は完勝する。この後、アメリカの仲介によって講和会議が開かれ、日本は遼東半島の一部、東清鉄道(南満州鉄道)の一部、韓国への監督権、南樺太を手に入れる。戦後数年で韓国を併合、満洲政策を巡ってアメリカと不仲となる。

 

日露戦争 〜概要〜

 

02_日露戦争
(画像はwikipediaより転載)

 

前史

 日清戦争によって清国の冊封体制から脱した大韓帝国(韓国)にはロシアの影響力が浸透しつつあった。満洲に権益を持つロシアはさらに南下政策を進め韓国にまでその影響力を及ぼそうとしていた。これに対して大日本帝国は隣国である韓国がロシアの影響下に置かれることに国防上の危機感を感じていた。とはいってもロシアは明らかに強そうなので出来れば戦争をしたくない日本は満洲はロシア、日本は韓国という満韓交換論等の妥協案を提示したものの当時の超大国ロシアはクソ弱小国(ロシア視点)の日本に遠慮する必要はなく交渉がまとまることはなかった。

 

日露戦争とは

陸軍の行動

 1904年2月、先遣隊として日本陸軍が朝鮮半島仁川に上陸、さらに本隊の第一軍が朝鮮半島に上陸してロシア軍の抵抗を排除しつつ北上。さらに遼東半島から上陸した第二軍もロシア軍陣地等を制圧しつつ北上した。当時、ロシア軍最強の旅順要塞があったが、これらに対して両軍ともに攻撃しないで北上を続けた。とはいってもやはり旅順要塞を放置していくと主力部隊の背後を突かれてしまうため、5月、乃木大将の下、第三軍を編成、8月に旅順攻略を開始した。

 攻略は1905年1月には終わったが分厚いコンクリートと機関銃で武装された要塞に日本軍は歩兵の突撃で対抗したため旅順攻略戦だけで6万名の死傷者を出すこととなった。そのころロシア軍主力は奉天に集結しており、日本陸軍も第一軍、第二軍、のちに編成された第四軍、さらに旅順攻略を行った第三軍が奉天に集結、2月末には奉天会戦が行われた。ロシア軍36万人、日本軍24万人が参加したこの会戦は日本軍の兵力を過大に見積もった上、包囲されると勘違いしたロシア軍が退却、一応日本軍の勝利ということになった。

 

海軍の行動

 日本海軍は戦時にほぼ全艦隊を集中運用するための連合艦隊を編成。旅順要塞にいるロシア極東艦隊と対峙した。戦力は連合艦隊と同数のロシア旅順艦隊であったが、バルト海に展開する所謂バルチック艦隊が到着すれば戦力は日本の倍となり圧倒的に有利。「だったら待った方が良くね?」と日本艦隊との戦いを避け旅順要塞から出てこなかった。

 出てこないと日本は困るので陸から旅順港を砲撃、これが結構効いちゃったため8月、旅順艦隊は渋々出撃、連合艦隊と黄海海戦が起こり連合艦隊が勝利して旅順艦隊は再び旅順要塞に逃げていった。その後、陸軍第三軍により旅順要塞は陥落。連合艦隊はバルチック艦隊に対抗するための準備を行った。

 バルト海からはるばる喜望峰を回って7ヶ月かけて日本近海に到着したバルチック艦隊であったが、疲労困憊、士気もあるんだか無いんだか。とりあえずウラジオストックに逃げ込もうとするが、対馬沖で待ち受けていた連合艦隊と遭遇、1905年5月、日本海海戦が起こった。ほぼ互角の戦力といっても方や7ヶ月間の航海で疲労困憊、方や十分な休養と訓練で準備万端。勝敗は目に見えており、バルチック艦隊はほぼ壊滅、連合艦隊の完全勝利となった。

 

講和会議

 

03_日露戦争
(画像はwikipediaより転載)

 

 日露戦争は日本の国力を大きく超えていた(戦費の借金を返済し終わったのは何と1986年)。同時にロシアも革命の機運が高まっており、戦争を継続することは困難であった。ここでアメリカ合衆国が仲介に入り、8月に講和会議が行われた。この結果、日本は賠償金(当時は敗戦国が戦勝国に莫大な賠償金を支払う慣習があった)こそは取れなかったものの、それまでロシアが持っていた満洲の遼東半島の租借権(中国から借りる権利)、東清鉄道の一部、終戦間際にどさくさ紛れに占領した南樺太、さらに朝鮮半島の監督権を入手した。

 

その後。。。

 

 満洲の遼東半島の一部と後の南満州鉄道、さらには韓国への監督権をロシアに認めさせた日本。本格的に満洲の開発に乗り出すことになるが、当初、アメリカやその他の国で山分けしましょうね。と言っていたもののロシアと独占してその他の国を締め出してしまった。このため戦争をしたにも関わらずロシアとの関係は急接近。対して講和会議までやってくれたアメリカとは険悪な関係になってしまった。

 

 

 


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01_ナガンM1895
(画像はwikipediaより転載)

 

 ナガンM1895とは、1895年にロシア帝国で制式採用されたダブルアクションリボルバーである。装弾数は7発でカートリッジは7.62mmナガン弾を使用する。特徴は独特なガスシールシステムで引き金を引くとシリンダーが前進、カートリッジを銃身後部に挿入するためガス漏れが少ない。このためリボルバーとしては珍しくサプレッサーの使用が可能であり、ソビエト秘密警察等で使用された。総生産数は約200万挺で1950年代まで生産が続けられ、ロシア保釈保安サービスでは2009年まで使用されていた。

 

ナガンM1895(実銃)

 

 

性能

全長 230mm
重量 750g
口径 7.62mm
使用弾薬 7.62×38ナガン弾
装弾数 7発
設計・開発 ナガン兄弟 / トゥーラ兵器工廠他

 

開発

02_ナガンM1895
(画像はwikipediaより転載)

 

 ナガンM1895は、ベルギー人のエンジニアであるナガン兄弟(エミール・ナガン、レオン・ナガン)により設計されたリボルバーであった。当時、自前で兵器を開発することが出来なかったロシア帝国は、このリボルバーに注目、ナガン兄弟から製造権を譲り受けてチューラ兵器工廠で国産化に成功。1895年にM1895として制式採用した。

 ナガンM1895はソビエト連邦成立後も使用され続け、1930年代にトカレフ自動拳銃が登場するまで制式拳銃として活躍した。さらに第二次世界大戦が勃発すると再び生産が始まり、マカロフ自動拳銃の登場するまで使用され続けた。生産は戦後の1950年頃まで生産されていたと言われている。その後も郵便保安サービスやロシア鉄道等で使用され続け、2003年に郵便保安サービスで使用を終了、2009年にロシア連邦の保釈保安サービスでも使用を終了した。総生産数は約200万挺である。

 機構は、シングル・ダブルアクション方式でシリンダーはブレイクオープンまたはスイングオープンすることは出来ず、装填、排莢はSAAと同様の方式で右側のローディングゲートから一発づつ行う。本銃の最大の特徴はその発射機構で、シングルアクション、またはダブルアクションの第一段階のトリガーを引くとシリンダーが前進、弾頭がバレル後部にピッタリと入り込み発射時のガス漏れを防止するようになっている。

 

7.62NagantCartridge
(左がナガン弾 wikipediaより転載)

 

 このためガス漏れがほぼ無く、リボルバーでありながらサプレッサーの使用が可能であったため、ソビエト秘密警察やOGPU、NKVD、またベトナム戦争中にはベトコンによっても使用されていた。カートリッジは7.62×38mmナガン弾という専用のカートリッジを使用しており、このカートリッジは通常のハンドガンカートリッジのように弾頭が露出しておらず、カートリッジ内に埋め込まれている。これは弾頭部分が露出しているとシリンダー内の弾頭部分周辺に隙間が出来、その隙間からガスが漏れるためそれを防ぐことを目的にしたためである。

 

バリエーション

03_ナガンM1895
(画像はwikipediaより転載)

 

 バリエーションは、シングルアクション仕様のナガンプライベートモデル、ダブルアクション仕様のオフィサーズモデル、サプレッサー装着モデル、22口径仕様のKR-22、スイングオープン方式に改良された1910モデルが存在する。因みにこの1910モデルは商業的には成功しなかった。

 

ナガンM1895(トイガン)

 

概要

 トイガンではWGがガスガンとしてはつばしている他、HWS(ハートフォード)が2021年6月にモデルガンを発売予定。

 

HWS ナガンM1895 モデルガン

 

性能

全長 234mm
重量 490g
装弾数 7発
定価 39,800円(税抜)

 発火式モデルガンとしてモデルガンメーカーの老舗HWSより発売が決定。HW製でナガンM1895の最大の特徴であるガスシールシステムも完全に再現している。同社の製品はマニアックなものが多く完成度は非常に高い。さらに定価が比較的安価に設定されているため人気があるので興味があるのであれば予約購入することをお勧めする。

 

まとめ

 

 ナガンM1895は19世紀に開発されたリボルバーであり、カートリッジの装填、排莢に難がある。しかし自動拳銃全盛の時代でもトカレフと並行して使用され続け戦後まで生産され続けたという稀有なモデルである。さすがに20世紀になると旧式となったが独特のガスシールシステムはサプレッサーの装着を可能にした。この独特のメカニズムはファンを魅了して止まない。

 

 


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01_AK74
(画像はwikipediaより転載)

 

 AK74とは、1974年にソビエト軍が制式採用したAKMの改良型で口径を小口径化、大型のマズルブレーキを装着して近距離での能力を向上させたモデルである。基本構造は変わらないものの、ハンドガードとストック、マガジンがプラスチック製となっている。

 

AK74(実銃)

 

 

性能

全長 943mm
重量 3,300g
口径 5.45mm
使用弾薬 5.45×39mm弾
装弾数 30発
設計・開発 ミハイル・カラシニコフ / トゥーラ造兵廠

 

開発

02_AK74M
(画像はwikipediaより転載)

 

 AKMをベースに改良された自動小銃で1974年にソビエト軍に制式採用された。内部機構はAKMと同様で、kを使用する。小口径化に加えて反動を抑制するために大型のマズルブレーキを採用したことにより連射時の取り扱いが容易になっており近接戦闘に威力を発揮するようになった。5.45mm弾は小口径でコントロールし易く貫通力が強い。弾薬が小型軽量であるため携行や補給に有利な反面、破壊力が低いという問題点を持っている。つまりターゲットに命中しても初速が早いためそのまま貫通してしまいターゲットに対してダメージを与えることができないため命中しても致命傷とはならない。このため5.45mm弾の弾頭は弾頭内部が空洞化されており、弾頭がソフトターゲットに命中すると横転し十分な破壊力を発揮するという構造を採用した。これはNATO軍がのちに制式採用するSS109と同様の構造である。マガジンはプラスチック製でハンドガード、ストックは木製であったが、のちにプラスチック製に変更されている。

 

 

バリエーション

03_AK74U
(画像はwikipediaより転載)

 

AK74シリーズ

 ストックを金属製折り畳み式としたAKS74、1991年から配備が開始されたストックが黒色プラスチック製折り畳み式となったAK74の近代化モデルAK74M、銃身を延長、ロングマガジン化して分隊支援火器としたRPK74、ショートバレルモデルのAKS74U等がある。

 

AK100シリーズ

 ソビエト連邦の崩壊後、イズマッシュ社によって生産されたモデル。このイズマッシュ社はのちに経営破綻、現在ではカラシニコフ・コンツェルン社が生産している。西側輸出用に口径をNATO軍規格の5.56×45mm弾に変更したAK101、さらにAK101をカービン化したAK102、口径をAK47で使用している7.62×39mm弾仕様にしたAK103、同モデルのカービン仕様のAK104、AK74で使用している5.45mm弾のカービンモデルであるAK105、同モデルの連射速度を850〜900発/分に向上させ3点バースト機能を装備したAK107、同モデルを5.56mm弾化したAK108、AK103をセミオート化して民間仕様としたサイガM3EXP01等がある。

 

AK200シリーズ

 2010年代に発表されたモデル。当初はAK100M、AK74M3という名称であったが2018年6月にAK200に変更された。AK200はAK74を近代化したモデルでグリップとストックをAK12のものに交換、ハンドガード、ダストカバーにピカテニー規格20mmレイルを装着した。さらにグリップを握ったまま操作できるように安全装置も改良されている。5.45mm弾のオリジナルモデルであるAK200、同カービンモデルAK205、5.56mm弾仕様のAK201、同カービンモデルのAK202、AK47と同じ7.62mm仕様のAK203、同カービンモデルAK204がある。

 

AK74(トイガン)

 

概要

 トイガンではエルエスがエアーコッキング式で発売、1987年にはガスフルオートで発売している。エルエス廃業後はアリイが金型を買い取り1993年頃に同モデルを発売、現在では韓国のトイスター社が同金型でAK74を生産している。2007年12月20日には東京マルイが次世代電動ガンとしてAK74MNを発売、2008年7月14日にはAKS74U、2009年10月7日にはAKS74Nを発売している。KSCからはAK74が電動ガンでAK74Mがガスブローバックガンとして発売、海外メーカーではAPS、CYMA、GHK、、E&L、ダブルイーグル等から発売されている。

 

東京マルイ AK74MN 次世代電動ガン

性能

全長 943mm
重量 3,040g
装弾数 74発
初速 90m/s前後
定価 54,800円

 機関部、マズル等はダイキャスト製であるため重量感があるが強度が若干弱い。電動ガンのためグリップにモーターが内蔵されているのでグリップが太くなってしまうのは仕方のないことなのかもしれない。モーターはEG1000Sでバッテリーはハンドガード内に収納される。次世代電動ガンの第一作であるため現在の次世代電動ガンと比べると見劣りするかもしれないが命中精度、パワーは現在でも十分に実用レベルに達している。

 

KSC AK74MN ガスブローバック

性能

全長 945mm
重量 3,500g
装弾数 42発
初速 80m/s前後
定価 49,800円

 外観はアルミ製ボディに金属パーツを多用しており、ハンドガード、ストックは樹脂製でモデルガンメーカーだけあって再現度は非常に高い。内部構造も実銃に極力忠実に再現しており、命中精度も非常に高い。ガスブローバックにしては初速は若干高めであるがもちろん法的には全く問題なく、反動も強いが連射速度が遅いのが欠点である。これさえ気にならなければかなりの完成度であることは間違いない。

 

まとめ

 

 AK74はAK47の設計者ミハイル・カラシニコフによって設計された自動小銃で、その内部構造はAK47とほとんど変わらない。その後の改良でも内部構造は大きく変化しておらずAK47の基礎設計がどれだけ優秀であったのかが分かる。現在ではピカテニー規格20mmレイル等、西側の技術と融合して益々高性能となっていくAK74の進化は止まらない。

 

 


ミリタリーランキング

01_AK47
(画像はwikipediaより転載)

 

 AK47とは、1949年にソビエト軍に制式採用されたアサルトライフルである。反動が強く命中精度が低いものの堅牢な上に作動不良が非常に少ない信頼性の高い銃である。現在では生産されていないものの大量に製造されたため世界中の特に第三世界では未だに現役のアサルトライフルである。

 

AK47(実銃)

 

 

性能

全長 898mm
重量 3,290g
口径 7.62mm
使用弾薬 7.62mm×39
装弾数 30発
設計・開発 ミハイル・カラシニコフ / イジェフスク造兵廠他

 

背景から開発まで

 第二次世界大戦以前の小銃は大口径で遠距離から射撃するアウトレンジ戦法を基に設計されていたが、第二次世界大戦での戦訓からほとんどの戦闘は300m前後で行われていたことが判明した。このため小銃も遠距離での射撃能力よりも300m前後での射撃精度が求められるようになっていった。同時に第一次世界大戦以降、威力を発揮していた機関銃の利点を取り入れたライフルと機関銃の中間の兵器の開発を模索していくことになった。

 この数百メートルというライフルとしては近距離での戦闘に適した小銃というコンセプトを最初に具体化したのはドイツであった。当時のドイツ軍の正式小銃であったKar98Kの弾薬である7.92×57mm弾をベースに弾頭を軽量化、カートリッジの全長も33mmと短縮化した専用カートリッジを開発、30連発のバナナ型大型弾倉とフルオート機能を持つStG44を開発、実戦に配備した。

 

開発

02_AK47
(画像はwikipediaより転載)

 

 この後にアサルトライフルと呼ばれるコンセプトをソビエトで受け継いだのがソビエト軍戦車兵でありながら銃器設計者を目指していたミハイル・カラシニコフである。カラシニコフは1946年にStG44を徹底的に調査し、そのコンセプトを継承した上で独自の設計によりAK46を製作、さらに改良を重ね1947年にAK47を完成させた。そしてAK47は1949年にソビエト軍に制式採用されている。AK47のロアレシーバーは初期の量産型である1947〜1951年までは生産効率を考慮してプレス加工であったが、溶接に問題があり1952年以降は削り出しに変更されている。

 発射機構はガスオペレーションであるが、一般的な小銃と異なりボルトとガスピストンが一体化しており、ガスの圧力でボルト、ガスピストンを動かすため反動が強い反面、その質量によって内部に侵入した異物を吹き飛ばす機能を果たしている。さらに銃身やピストン、シリンダー内部にはクロームメッキが施されているため耐腐食性が高く、撃発機構始めパーツが全体的に隙間を広くとっているため多少の異物が侵入しても作動に影響はない。このため信頼性は非常に高い。

 

欠点

 欠点としてはボルトの構造的な問題により反動が非常に強いこと、安全装置がレシーバー右側面にある大型のレバーを下げると全自動、さらに下げると半自動となる構造であるために一度右手をグリップから離さなければならないこと、リアサイトが微調整が出来ない旧型のタンジェントサイトであり、照準半径(フロントサイトとリアサイトの距離)が短いこと等が挙げられる。このため命中精度は西側諸国の小銃に比べ決して高くはないが、構造が単純で堅牢であるため分解・組み立ての操作も含め十分な訓練を受けていない兵士にも取り扱いが可能である。

 

バリエーション

03_AKM
(画像はwikipediaより転載)

 

AKS47

 ストックを木製から金属製の折り畳み式のメタルストックに変更したモデルであるAKS47

 

AKM

 1957年にはレシーバーのプレス加工が実用可能なレベルにまで向上したことにより、プレス加工での製造を再開、同時に現場から意見により反動を抑制するために銃身先端部に斜めに切落された形状のマズルブレーキを採用、連射性能も安定化させるためレートリデューサーも装備された。AKMでは着剣用のラグも装備され、銃剣以外にもグレネードランチャー等も取付可能となっている。さらにこのAKMのストックをメタルストックに変更したAKMSモデルも存在する。

 

AK47(トイガン)

 

概要

 モデルガンでは1980年にハドソン産業がセミオートのみとしてモデルアップしている。メタルストック版も発売しており、2004年にはフルオートシアーを始め細部を改良した最終生産品スペシャルエディションを発売している。エアーガンでは1987年にLSがコッキング式エアーガンAKM、AKMSを発売、1991年にはファルコントーイが中国製AK47である56式小銃を発売、1994年6月8日には東京マルイが電動ガンとして発売している。海外メーカーでは2009年にLCTが電動ガンとして発売している他、GHKがAKMガスブローバックモデルを発売している。近年では2017年12月7日に次世代電動ガンが東京マルイから発売されている他、2021年3月にガスブローバックモデルの発売を予定している。

 

東京マルイ AK47 スタンダード電動ガン

性能

全長 870mm
重量 3,030g
装弾数 70発
初速 90m/s前後
定価 31,800円

 初期の電動ガンでハンドガード、ストック、ロアレシーバーは樹脂製であるが、アッパーレシーバー、アウターバレル始め主要パーツは金属製になっている。現在主流の全金属製ではないものの強度は十分に確保している。バッテリーはストック内に格納、大型のバッテリーを使用するために威力、連射速度共に比較的高めである。命中精度は東京マルイであるので十分にある。次世代電動ガンではないため反動はないが、実用本位のユーザーであればむしろこちらの方が良いかもしれない。発売から30年近く経っているモデルのため中古品を購入するのは上級者以外は危険かもしれない。

 

東京マルイ AK47 次世代電動ガン

性能

全長 875mm
重量 3,115g
装弾数 90発
初速 91m/s前後
定価 49,800円

 スタンダード電動ガンと異なりロアレシーバーはダイキャスト製で再現されているため質感、剛性が向上している。ピン類は別パーツで再現されている他、デフリックコートと呼ばれる塗装を施していることでより実銃に近い質感を出すことに成功している。バッテリーはハンドガード内にミニSバッテリーを格納しているためハンドガードが太めとなっている。ハンドガード、ストックは樹脂製のためリアル志向のファンには物足りないかもしれない。命中精度は最高レベルである。

 

東京マルイ AK47 ガスブローバック

性能

全長 ●●mm
重量 ●●g
装弾数 ●●発
初速 ●●m/s前後
定価 ●●円

 東京マルイが2021年3月に発売を予定しているガスブローバックモデル。詳細は不明であるが、M4で培われた技術を惜しみなく発揮するだろうことは想像に難くない。東京マルイは長物ガスブローバックモデルは複数発売しており、技術の蓄積が十分にあるので完成度の高いモデルとなるであろう。東京マルイ製品のメリットとしてはサードパーティーからのカスタムパーツが豊富であるという点もある。カスタムパーツは新発売と同時に市場に流通するがすぐに消えてしまう場合があるので注意が必要である。

 

LCT AK47 電動エアーガン

性能

全長 913mm
重量 3,450g
装弾数 600発
初速 94m/s前後
定価 35,800円前後(オープン価格)

 台湾メーカーであるLCT製電動ガンである。レシーバーはロア、アッパー共にスチールプレス製でハンドガード、ストックは合板ではあるが木製でしっかりとニスを塗りこんだ美しい仕上げが特徴である。内部エンジンは東京マルイのエンジンを非常に「リスペクト」したもののため東京マルイ製パーツと互換性があるかもしれない。あくまで「リスペクト」である。しかし実銃同様のプレス製で木製ストックが装備されている等、外観の完成度の高さは究極と言ってもよい。観賞用としても申し分ないモデルである。残念な点としては電動ガンの欠点であるグリップの太さが挙げられるが、これは仕方ないのかもしれない。

 

GHK AKM ガスブローバック

性能

全長 900mm
重量 3,122g
装弾数 40発
初速 65m/s前後
定価 70,000円前後

 外装はLCT同様ロア、アッパー共にスチール製でハンドガード、ストックは木製である。発射機構がガスブローバックであるため再現性の高さはLCT製を上回っている。発射機構以外でLCT製電動ガンとの最大の違いはグリップであろう。モーターを収納する必要がないため実銃同様の細身で尚且つベークライト製で再現されている。ガスブローバックのため命中精度は電動ガンには及ばないものの反動も強く射撃の安定性も良い。海外製ではあっても究極のAKMであるといえる。欠点としては高価格であることであろう。

 

まとめ

 

 多くの兵器が信頼性を向上させるために異物が機関部に侵入しないように密閉するのに対してカラシニコフは各部の隙間を作ることで入っても作動に影響が出ないように設計した。いわば逆転の発想である。このためあらゆる場所で高い信頼性を確保したのと同時に教育水準の低い兵士でも扱えるため多くの国で制式採用または主要アサルトライフルとして使用されている。

 

 


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