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イギリス海軍

01_戦艦バーフラー
(画像はwikipediaより転載)

 

 本級は日本ではバーフラー級と呼称されるが、竣工はセンチュリオンの方が早いのでセンチュリオン級と呼ぶべきである。本級は前級ロイヤルサブリン級に対して二等戦艦と呼ぶべきものであるが、砲塔も密閉式を採用、機動力でもロイヤルサブリン級を凌いでいた。

 

戦艦 センチュリオン級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 10500トン
 最大排水量 -トン
 全長 109.5m
 全幅 21.3m
 吃水 7.8m
 機関出力 1万3000馬力
 最大速力 18.5ノット
 航続距離 5230海里/10ノット
 乗員 620名
 武装 30口径25.4cm砲連装2基
    12cm砲単装10基
    5.7cm砲単装8基
    4.7cm砲単装12基
    45cm水上発射管5基
    同水中発射管2門
 装甲 舷側 30.5cm
    甲板 6.4cm
    主砲 15.2cm
 同型艦 2隻

 

特徴

 1889年の海軍防衛条例によって建造された戦艦である。海軍防衛条例とはイギリスの海軍力増強政策で圧倒的優勢にあるイギリス海軍の優勢を維持し続けるために2位、3位の国の海軍力を合わせた以上の海軍力を維持するという強烈なものである。

 この条例により建造されたセンチュリオン級は2隻で主に中国の沿岸警備用として設計されたため小型であり、前級のロイヤルサブリン級の小型版といっていい。主砲は25.4cm連装砲2基とロイヤルサブリン級の34.3cm砲に比べれば小型ではあるが、ロイヤルサブリン級では装填時に砲身を艦の中心線に合わせる必要があったが本級ではどの方向に砲を向けていても装填が可能である。

 本級は砲塔もロイヤルサブリン級がオープントップ式であったのに対して密閉式であり、建造の目的が海外での運用を前提としていたため、航続距離も長く、推進機関も大型戦艦並みであったことから最高速力は18.5ノットとロイヤルサブリン級よりも2ノットも優っていた。

 

同型艦

1番艦センチュリオン
2番艦バーフラー

 

 

建造

 1番艦センチュリオン、2番艦バーフラーともに1892年8月に起工、1番艦センチュリオンは1894年2月、2番艦バーフラーは1894年6月に就役した。

 

戦艦センチュリオン級の活躍

 

1番艦センチュリオン

02_戦艦センチュリオン
(画像はwikipediaより転載)

 

 1894年に就役したセンチュリオンは中国基地に配備、義和団の乱の鎮圧支援等に活躍する。1901年に帰国、改装を受け副砲をより強力な15.2cm砲に換装された。改装後、再び中国に展開したが、1909年除籍、1910年にスクラップとして売却された。

 

2番艦バーフラー

03_戦艦バーフラー
(画像はwikipediaより転載)

 

 2番艦バーフラーは就役後、地中海艦隊に配備され、その後中国で義和団の乱等の鎮圧支援に活躍するが、1904年には予備役編入、1909年除籍、1910年にスクラップとして売却された。

 

戦艦センチュリオン級(模型)

 

コンブリック 1/700 イギリス海軍 弩級戦艦 センチュリオン エッチングパーツ付き 1912年 レジンキット

 1番艦センチュリオンは中国義和団の乱鎮圧支援に活躍、前級ロイヤルサブリン級の7割程度の排水量であったが、ロイヤルサブリン級を凌ぐ高い機動力と航続距離により海外でより活躍した。

 

まとめ

 

 センチュリオン級は二等戦艦に分類される小型戦艦である。しかし一等戦艦を凌ぐ高速と長大な航続力により海外での作戦行動には有効な艦であった。当時は戦艦も技術革新の時代であり、高速、高性能な本級もわずか16年で廃艦となった。

 

関連リンク

前級ロイヤルサブリン級級戦艦

 

次級レナウン級戦艦

 

 

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01_戦艦ロイヤルサブリン
(画像はwikipediaより転載)

 

 戦艦ロイヤルサブリン級は世界初の近代戦艦と言われている。砲塔こそオープントップ式で被弾には弱いものの20年以上に亘ってイギリスの本土、権益を守り続けた。本級の改良型が富士級として日本海軍に購入され、日本海海戦において活躍することとなる。

 

戦艦 ロイヤルサブリン級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 14150トン
 最大排水量 -トン
 全長 125m
 全幅 22.9m
 吃水 8.4m
 機関出力 1万1000馬力
 最大速力 16.5ノット
 航続距離 4720海里/10ノット
 乗員 712名
 武装 30口径34.3cm砲連装2基
    40口径15.2cm砲単装10基
    5.7cm砲単装16基
    4.7cm口径砲単装12基
    45cm水上発射管5基
    同水中発射管2門
 装甲 舷側 45.7cm
    甲板 10.2cm
    主砲 43.2cm
 同型艦 8隻

 

特徴

 1889年、イギリス海軍は海軍の大拡張計画を立案した。その計画の第1弾として建造されたのが本級である。レシプロ機関2基、2軸推進により最高速度16.5ノットという高速走行を可能とした。手法は32口径13.5インチ砲で最大射程は最大仰角13.5°で10,930m、910mの距離で71cmの鋼板を撃ち抜く威力があった。のちには新型の火薬により射程距離は11,540mにまで延長された。

 砲塔はオープントップ式(屋根がない)を採用していたが、仰角を大きくとる事ができ、発射ガスの除去にも有利であった反面、砲弾の装填時には砲塔を装填位置に戻す必要があることや、なにより防御力が貧弱なのが致命的な弱点であった。

 装甲はニッケル鋼であるが、舷側の装甲帯は船体全体の2/3にわたって施されていた。8隻が建造されたがフッドのみは密閉式砲塔を採用したため重量増加により乾舷が低くなってしまい近代以前の艦に分類されることがある。準同型艦といえる。

 

同型艦

1番艦ロイヤル・サブリン
2番艦エンプレスオブインディア
3番艦フッド
4番艦レパルス
5番艦ロイヤル・オーク
6番艦レゾリューション
7番艦ラミリーズ
8番艦リベンジ

 

建造

 1番艦であるロイヤルサブリンが1889年9月に起工したのを最初に全8隻が1889年9月から189年2月までに起工された。就役はロイヤルサブリンが一番早く1892年5月、以降、1894年6月までに全艦が就役した。

 

 

戦艦ロイヤルサブリン級の活躍

 

 就役後、本級はイギリス海峡防衛のため設置されていた海峡艦隊、本国艦隊、地中海艦隊に配属された。しかしドレットノート級の登場により一気に陳腐化、予備艦に格下げされた。そして、まず1911年7月にレパルスが解体され、1912年にはエンプレスオブインディアが標的艦として撃沈、1913年10月にロイヤルサブリンとラミリーズがスクラップとして解体、1914年1月にロイヤルオークも解体、同年4月レゾリューションがスクラップ用に売却、フッドも1914年には潜水艦侵入阻止のためポートランド湾に沈められた。

 一時期は記念艦として保管されていたリヴェンジも1919年11月に解体処分となった。本級は他国に多大な影響をもたらし戦艦建造の模範となった記念すべき艦であった。

 

まとめ

 

 本級は近代戦艦の第一号と言われている。装甲材こそは古いものの、重厚な装甲と16.5ノットの高速で20年以上活躍する。しかし1906年のドレットノート級戦艦の登場により旧式化していった。特にフッド以外、砲塔がオープントップ式であったため被弾に弱く寿命を早めた。しかし本級の改良型である富士級は日本海軍に購入され日露戦争で大活躍をすることとなる。

 

関連リンク

次級富士級戦艦

 

前級マジェスティック級戦艦

次級センチュリオン級戦艦

 

 

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01_巡洋艦明石
(第二特務艦隊旗艦明石 画像はwikipediaより転載)

 

第二特務艦隊

 


(映像は全く関係のない日本海海戦)

 

護衛艦隊を派遣

 1914年7月28日、第一次世界大戦が勃発すると翌月15日には日本も日英同盟を根拠にドイツに対して最後通牒を行い連合国として強引に参戦する。むろん、日本の目的は、中国山東半島青島や南洋諸島のドイツ権益を手に入れることであるのは明白で、開戦後数ヶ月で日本は青島と南洋のドイツ権益を占領してしまった。

 1917年2月にはドイツは無制限潜水艦戦を再開(1915年に一度やっている)する。無制限潜水艦戦とは潜水艦の攻撃対象を軍艦だけでなく、商船や中立国の船舶まで含めた無差別攻撃で国際法上も禁止されている行為であった。この無制限潜水艦戦が始まると、英国を始め連合国から日本に対して護衛作戦に参加するように再三要請が行われた。

 これに対して日本は戦争初期に手に入れたドイツ権益を日本が引き継ぐことを承認する秘密条約を結び(加藤P246)、1917年2月7日、第一特務艦隊をインド洋、第二特務艦隊を地中海、第三特務艦隊をオーストラリア、ニュージーランド方面に派遣した。第一特務艦隊は小栗孝三郎少将を司令官とする艦隊で、軽巡洋艦矢矧、対馬、新高、須磨の4隻に第二駆逐隊で編成、第三特務艦隊は山路一善少将を司令官とする巡洋艦平戸、筑摩の2隻で編成されていた。

 

第二特務艦隊

02_樺型駆逐艦
(樺型駆逐艦 画像はwikipediaより転載)

 

 これらの艦隊の中で、いわば「最前線」にあたる地中海を担当するのが、第二特務艦隊で、司令官佐藤皐造少将、旗艦明石を筆頭に、第十駆逐隊(楓、桂、梅、楠)、第十一駆逐隊(榊、柏、松、杉)の9隻で編成されいた。4月13日にマルタに到着した第二特務艦隊は英海軍から駆逐艦2隻、トローラー2隻の貸与を受けて護衛作戦を開始するものの、最初、日本海軍は対潜水艦戦闘とおいうものを全く知らず、爆雷投下装置すら装備していなかった。現地に到着した艦隊では、急いで英海軍に対潜水艦戦闘の教授を受け、爆雷投射機を装備して出撃していった。

 このような状況が原因だったのかは分からないが、5月4日には駆逐艦松、榊が護衛中の兵員輸送船トランシルヴァニア号が潜水艦による雷撃の被害にあって撃沈されてしまう。第二特務艦隊は、護衛任務を達成することは出来なかったもののトランシルヴァニア号乗組員の救助に尽力、英国王から第十一駆逐隊の司令以下20名に勲章が授与されたものの、6月11日には、トランシルヴァニア号乗組員救出に活躍した駆逐艦榊が雷撃を受け大破、艦長以下乗員59名戦死、重軽傷16名の被害を出してしまった。

 この駆逐艦榊の大破について少し詳しく書いてみよう。1917年6月11日、駆逐艦榊と松は護衛任務を終えマルタ島に帰投中、敵潜水艦と遭遇、戦闘が開始された。榊と松が単黄陣をとり(並行して走る状態)、18ノットで航行中に敵潜望鏡を発見、砲撃をすると同時に敵潜の魚雷が左舷前部に命中爆発した。どうもこの「敵潜水艦」とはオーストリアの潜水艦であったようだ。因みにこの件で、船団を護るために榊が盾になったという美談があるようだが、榊は護衛任務を終えて帰投中であり事実無根のようだ(高岡)。

 

巡洋艦出雲がきたよ

03_出雲
(巡洋艦出雲 画像はwikipediaより転載)

 

 8月10日には巡洋艦出雲と第十五駆逐隊(桃、樫、檜、柳)が来着したことにより戦力が大幅に向上、8月13日には明石に代わり出雲が艦隊旗艦となる。これによって明石は8月23日に日本に帰港するためにマルタ島を出発、11月4日に呉で役務解除を受けている。明石が日本に戻ったものの、出雲以下、第十駆逐隊、第十一駆逐隊、第十五駆逐隊の合計17隻(英国貸与の艦船4隻)という規模になった。

 かなりの規模となった第二特務艦隊を率いる佐藤少将は、8月下旬に英国で行われた船団護送会議において護衛対象艦船中、最重要にランクする軍隊輸送船を第二特務艦隊が護衛することを申し出ている。当初は対潜水艦戦闘を知らなかった第二特務艦隊も経験を重ねるうちに船団護衛の方法が洗練されていった。当初は一隻ずつを護衛していたが護衛艦の数が足りなくなると船団を編成して護衛に当たるようになった。船団の形も「▽」の形状に編成し、万が一先頭船が雷撃された際にも後続船にその魚雷が命中しないように工夫された。

 

 

そして任務完了

04_マルタ島の墓
(マルタ島の第二特務艦隊戦没者の墓 画像はwikipediaより転載)

 

 さらに1918年11月16日には巡洋艦日進が第二特務艦隊に編入、11月26日より1919年1月6日まで艦隊旗艦となっている。これら第二特務艦隊は、地中海の厳しい環境の中任務を行い、第一次世界大戦終結に伴い、任務を終えた巡洋艦日進と第二十二駆逐隊(旧第十駆逐隊)、第二十三駆逐隊(旧第十一駆逐隊)は1919年6月18日に、巡洋艦出雲と第二十四駆逐隊(旧第十五駆逐隊)は7月2日に無事横須賀に寄港しした。

 1917年4月から始まった地中海派遣第二特務艦隊は、作戦終了までの間、護衛した艦船は788隻、人数にして75万人、護衛回数が348回でその間の対潜水艦戦闘は36回に及んだ。

 

その後

 第一次世界大戦が終結すると、日本は山東半島や南洋諸島のドイツ権益を継承した。山東半島のドイツ権益の継承に関しては米国が強硬に反対したため結論は1922年のワシントン会議に持ち越されたものの、日本はサイパン島、トラック諸島、マーシャル諸島などの南洋諸島を委任統治領として経営・開発することが可能となった。ハワイ、ウェーク島、グアム島、フィリピンを結ぶ米国のラインに対してサイパン、トラック諸島、マーシャル諸島を日本が掌握したことで太平洋の緊張関係は高まっていく。

 南洋諸島を統治下におくことが出来た日本であったが、山東半島問題で米国と中国の反日感情は高まり、南洋諸島を統治することで地理的にも警戒されることとなった。地中海派遣艦隊の功績により日本は南洋諸島を統治することができるようになったが、同時にこれが原因の一つとなり日米対立が激しくなっていった。

 日本は、自国の権益を拡大するために第一次世界大戦に参戦、英国から護衛艦隊派遣を要請されると戦争初期に日本が獲得した旧ドイツ権益を日本が継承することを条件に地中海への第二特務艦隊の派遣する。艦隊の派遣は国際間の駆け引きの結果であり、そこに善意というものは存在しない。あるのは国家間の利害関係だけである。逆に自国民に多くの犠牲者が出る可能性のある決断を善意で行うことはありえない。この第二特務艦隊派遣の経緯からドライな国際関係が垣間見れるのである。

 

参考文献

  1. 加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』
  2. 高岡裕之「『新しい歴史教科書』が撃沈した日本駆逐艦』『歴史家が読む「つくる会」教科書』
  3. 雨倉孝之『海軍フリート物語』黎明編

 

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01_戦艦ドレットノート
(画像はwikipediaより転載)

 

 戦艦ドレットノートは当時の戦艦の主砲が前後に4門、速力が18ノット程度あったのに対して主砲10門、速力21ノットと圧倒的な火力と速力を発揮した。このために本艦以前の戦艦は一気に陳腐化してしまったという革命的な戦艦である。現在、大きい、スゴイという意味で使用されている「超ド級」という言葉の語源でもある。

 

戦艦ドレットノート級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 18110トン
 最大排水量 -トン
 全長 160.6m
 全幅 25m
 吃水 9.4m
 機関出力 2万3000馬力
 最大速力 21ノット
 航続距離 6620海里/10ノット
 乗員 773名
 武装 45口径30.5cm砲連装5基
    40口径7.6cm砲単装27基
    45cm水中発射管5門
 装甲 舷側 279cm
    甲板 7.6cm
    主砲 27.9cm
 同型艦 1隻

 

特徴

 戦艦史に革命をもたらした戦艦である。本級以前の戦艦は基本的に前後に主砲塔を持ち、舷側に副砲を多数配置するというのが基本的な方であったが、本級は、主砲塔を前後に2門、舷側左右に2門、戦艦の中心線上中央部に1門の合計5基(10門)を装備する。これによりあらゆる方向への攻撃に対して最低でも6門の主砲を発射することができる。以前の戦艦と比較すると正面では前弩級戦艦が2門であるのに対してドレットノートは6門、側面では前弩級戦艦が4門であるのに対してドレットノートは8門と圧倒している。

 さらに機関も高速を出すために最新のタービン機関を採用、これにより前弩級戦艦が18ノット程度であったのに対して21ノットという高速を出すことが出来た。この高速により戦場ではドレットノートが「敵を選べる」状態になったといっていい。主砲を強化したことによりそれまで艦首下部に付いていた衝角は廃止された。

 しかし新しい型であることから問題点も多かった。まず、舷側の装甲板が下に設置しすぎたために水面下に没してしまい価値を半減させてしまった。そして檣楼の前に煙突を設置したことにより檣楼に煙突からの煙がかかってしまい、射撃式装置の能力を低下させた。これらの欠点はあったものの前弩級戦艦の倍の火力と3ノットの優速はそれまでの戦艦を一気に陳腐化させてしまった。

 

同型艦

(起工1905年10月、竣工1906年12月)

 

戦歴

02_戦艦ドレットノート
(画像はwikipediaより転載)

 

 1906年に就役したドレットノートは1907年から1911年までイギリス本国艦隊の旗艦を務めた。1914年に第一次世界大戦が始まるとドレットノートは北海第4戦艦戦隊の旗艦として活動した。1915年にはドイツ海軍の潜水艦U-29を体当たりで撃沈したが、これは戦艦による潜水艦撃沈の唯一の戦果であり、その記録を作ったのが衝角を廃しした本艦であったのは皮肉であった。

 本艦登場以後の弩級戦艦の発達は目覚ましく第一次世界大戦時にはすでに低速艦となっていたこともあり、本艦はドイツ航空機に対して対空戦闘をした以外は戦闘には参加していない。戦後は予備艦となり、1920年3月に退役、1923年解体された。

 

戦艦ドレットノート(模型)

 

トランペッター 1/700 イギリス海軍戦艦 HMS ドレッドノート 1915 プラモデル

 中国のトランぺッター社の製品。1/700と艦船模型では標準サイズといっていい。

 

ズベズダ 1/350 イギリス戦艦 ドレッドノート ZV9039 プラモデル

 ロシアのズベズダ社のドレットノート。スケールは1/350と大きい。

 

イギリス海軍戦艦ドレッドノート: 弩級・超弩級戦艦たちの栄光 1906-1916 (オーナーズ・ワークショップ・マニュアル)

 一冊ドレットノートについて書いてある本。かなり詳しい。ドレットノートへの愛が止まらない方にはおススメ。

 

まとめ

 

 ドレットノートは戦艦史の革命ともいえる艦であった。前弩級戦艦との戦いでは正面では3倍、側面でも2倍の火力で圧倒した。さらに速力が3ノットも高速であったため、ドレットノートが戦場を選ぶことができるという無敵の戦艦であった。しかし、実戦に投入された時点ではすでに旧式化しており目立った活躍をすることはなかった。とはいえ本艦の登場が世界に与えた衝撃は小さくない。

 

 

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01_戦艦トライアンフ
(画像はwikipediaより転載)

 

 戦艦スイフトシュア級はチリ海軍がイギリスに発注した戦艦であったが、チリが財政難に陥り購入を放棄したことからイギリスが購入したという複雑な経過を経てイギリス海軍に編入された戦艦であった。性格的には高速戦艦、二等戦艦に該当する。

 

戦艦スイフトシュア級 〜概要〜

 

性能

02_戦艦スイフトシュア
(画像は戦艦スイフトシュア wikipediaより転載)

 

 通常排水量 11800トン
 最大排水量 -トン
 全長 146.2m
 全幅 21.6m
 吃水 7.7m
 機関出力 1万2500馬力
 最大速力 19ノット
 航続距離 6210海里/10ノット
 乗員 800名
 武装 25.4cm砲連装2基
    19cm砲連装14基
    14ポンド砲単装14基
    7.6cm砲単装2基
    5.7cm砲単装4基
    45cm水中発射管2門
 装甲 舷側 17.8cm
    甲板 7.6cm
    主砲 25.4cm
 同型艦 2隻

 

特徴

 本級は本来、チリ海軍向けに建造された戦艦であった。しかし日露戦争においてロシアが海軍力を増強しており、本級をロシアが購入するのを防ぐためにイギリス海軍が購入したという経緯がある。本級の特徴は排水量11800トン、主砲25.4cm、最高速度19ノットという軽装、高速の戦艦である。このためイギリス海軍で使用されたいた他の戦艦と性格が異なっており、艦隊運用面で支障をきたした。結果的に単独で運用されることが多かった。

 

同型艦

スイフトシュア(起工1902年2月、就役1904年6月)
トライアンフ(起工1902年2月、就役1904年6月)

 

戦歴

03_戦艦トライアンフ
(画像は戦艦トライアンフ wikipediaより転載)

 

 本級は完成すると2隻とも本国艦隊、そして海峡艦隊に配属された。1909年には地中海艦隊に異動、1912年にはどちらも本国艦隊に復帰した。1913年にスイフトシュアは東インド基地、トライアンフは香港基地にそれぞれ配属された。

 1914年、第一次世界大戦が始まるとスイフトシュアはインド洋に展開、その後スエズ運河の防衛に活躍した。トライアンフは中国においてドイツ領青島の攻撃に参加した。その後、地中海に異動するが、1915年5月ドイツ海軍UボートU-21の雷撃で撃沈される。スイフトシュアはガリポリの戦いに参加した後、練習艦、標的艦となり1920年にはスクラップとして売却された。

 

まとめ

 

 本級は独特な経過を経てイギリス海軍に所属したため、他の戦艦との共同運用が難しく、海外で運用されることが多かった。経過においては日本海軍の二等戦艦になる可能性もあったが、結局、イギリス海軍が購入した軽装甲、高速戦艦であった。

 

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01_戦艦ラッセル
(画像はwikipediaより転載)

 

 ダンカン級戦艦はロシア海軍が建造していた高速戦艦ペレスヴェート級に対抗する目的で開発された高速戦艦である。フォーミダブル級を基にして軽装甲、軽武装で高速化した結果、最高速度が1ノット増加し、イギリス海軍随一の高速戦艦となる。

 

戦艦ダンカン級 〜概要〜

 

性能

02_戦艦ダンカン
(画像は戦艦ダンカン wikipediaより転載)

 

 通常排水量 13270トン
 最大排水量 -トン
 全長 131.7m
 全幅 23m
 吃水 7.6m
 機関出力 1万8000馬力
 最大速力 19ノット
 航続距離 6070海里/10ノット
 乗員 720名
 武装 40口径30.5cm砲連装2基
    45口径15.2cm砲単装12基
    7.6cm砲単装10基
    4.7cm砲単装6基
    45cm水中発射管4門
 装甲 舷側 17.8cm
    甲板 7.6cm
    主砲 25.4cm
 同型艦 6隻

 

特徴

03_戦艦コーンウォーリス
(画像は戦艦コーンウォーリス wikipediaより転載)

 

 ロシア海軍が建造中の高速戦艦ペレスヴェート級に対抗する目的で建造が決定したのが本級である。本級はフォーミダブル級を基に装甲を薄くし、武装も副砲を16基から10基へと減らすことで軽量化を図った高速戦艦である。これによりフォーミダブル級よりも1000トンの排水量の減量に成功した。さらに機関も主缶を20基に増加した結果、機関出力で3000馬力、速力で1ノットフォーミダブル級よりも優越することとなった。

 

同型艦

04_戦艦エクスマス
(画像は戦艦エクスマス wikipediaより転載)

 

ラッセル(起工1899年3月、竣工1903年2月)
エクスマス(起工1899年8月、竣工1903年5月)
モンターギュー(起工1899年11月、竣工1903年7月)
ダンカン(起工1899年7月、竣工1903年10月)
アルベマール(起工1900年1月、竣工1903年11月)
コーンウォーリス(起工1899年7月、竣工1904年2月)

 

戦歴

05_戦艦ラッセル
(画像は戦艦ラッセル wikipediaより転載)

 

 本級は完成すると地中海艦隊に配属され、以降、本国艦隊、海峡艦隊、大西洋艦隊に所属した。1906年には戦艦モンターギューが事故により沈没したが、他の姉妹艦はそれぞれに任務を遂行していった。1914年に第一次世界大戦が始まると、本級は、海上警備、陸上砲撃等に活躍した。ガリポリの戦いが始まると本級も参加、オスマン帝国の要塞に攻撃を行った。

 1916年4月にラッセル、1917年1月にコーンウォリスがドイツ海軍のUボートにより撃沈された。残った3隻は大戦後半には目立った活躍をすることはなく、第一次世界大戦終了後の1920年に全艦解体された。

 

まとめ

 

06_戦艦アルベマール
(画像は戦艦アルベマール wikipediaより転載)

 

 本級は高速戦艦として設計された戦艦であったが、高速化のために装甲、武装を軽量化したために第一次世界大戦では装甲の脆弱性に悩まされた。しかし、最高速度は19ノット、コーンウォールに至っては20ノット近くも出すことができた。事故で1隻、大戦で2隻が失われ、6隻中退役できたのは3隻という歴戦艦であった。

 

関連リンク

前級フォーミダブル級戦艦

 

前級ロンドン級戦艦

 

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01_戦艦ブルワーク
(画像はwikipediaより転載)

 

 ロンドン級戦艦は前級フォーミダブル級戦艦として扱われることもあるほぼ同型艦である。違いは装甲の長さのみで、ロンドン級の4番艦、5番艦は排水量、ボイラーが異なるために別級として扱われることもある。ドレットノート級戦艦登場前の最後期の戦艦といえる。

 

戦艦ロンドン級 〜概要〜

 

性能

02_戦艦ロンドン
(画像は戦艦ロンドン wikipediaより転載)

 

 通常排水量 14500トン
 最大排水量 -トン
 全長 131.6m
 全幅 22.9m
 吃水 7.9m
 機関出力 1万5000馬力
 最大速力 18ノット
 航続距離 5550海里/10ノット
 乗員 714名
 武装 40口径30.5cm砲連装2基
    45口径15.2cm砲単装12基
    7.6cm砲単装16基
    4.7cm砲単装6基
    45cm水中発射管4門
 装甲 舷側 22.9cm
    甲板 6.4cm
    主砲 25.4cm
 同型艦 5隻

 

特徴

03_戦艦ブルワーク
(画像は戦艦ブルワーク wikipediaより転載)

 

 前級のフォーミダブル級とはほぼ同型艦といっていい。違いは水線装甲帯を前方に延長し、前部乾舷の装甲が強化されたことのみである。本級は、ロンドン、ブルワーク、ヴェネラブル、クイーン、プリンス・オブ・ウェールズの5隻が竣工したが、クイーン、プリンス・オブ・ウェールズはボイラーが異なり排水量が若干少ないため別級として扱われることもある。

 

戦歴

04_戦艦ヴェネラブル
(画像は戦艦ヴェネラブル wikipediaより転載)

 

 これら5隻の戦艦は竣工すると地中海艦隊に所属、以降、本国艦隊、海峡艦隊、大西洋艦隊に随時派遣された。第一次世界大戦時には旧式化しており、主力艦とはならなかったが輸送船団護衛や上陸支援、陸上砲台攻撃に活躍した。ブルワークが事故で沈没した以外は、1916年から順次退役、1920年にはスクラップとして売却、1922年には全艦が解体された。

 

同型艦

05_戦艦クイーン
(画像は戦艦クイーン wikipediaより転載)

 

ロンドン(起工1898年12月、竣工1902年6月)
ブルワーク(起工1899年3月、竣工1902年3月)
ヴェネラブル(起工1899年1月、竣工1902年11月)
クイーン(起工1901年3月、竣工1904年3月)
プリンス・オブ・ウェールズ(起工1901年3月、竣工1904年3月)

 

まとめ

 

06_戦艦プリンス・オブ・ウェールズ
(画像は戦艦プリンス・オブ・ウェールズ wikipediaより転載)

 

 1900年前後は戦艦の黄金時代といっていい。技術革新が進み、戦艦が新造されては旧式化していった。戦艦の寿命も10年程度というのが平均的であろう。後の戦艦に比べると圧倒的に短い。1906年にドレットノート級戦艦が登場したことにより陳腐化に拍車がかかったことも大きい。本級も第一次世界大戦には参加したもののもやは主力艦とはなり得ず支援業務に活躍して退役していった。

 

関連リンク

前級フォーミダブル級級戦艦

 

ダンカン級戦艦

 

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01_戦艦イレジスティブル
(画像はwikipediaより転載)

 

 日露戦争前に日本海軍に販売した敷島級戦艦は当時世界最高の高性能を誇る戦艦であった。これはイギリス海軍が装備する戦艦の性能よりも勝っていた。このことに脅威を感じたイギリス海軍は敷島級に対抗する性能の戦艦の建造を計画、その結果誕生したのがこのフォーミダブル級戦艦である。

 

戦艦フォーミダブル級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 14500トン
 最大排水量 -トン
 全長 131.6m
 全幅 22.9m
 吃水 7.9m
 機関出力 1万5000馬力
 最大速力 18ノット
 航続距離 5100海里/10ノット
 乗員 780名
 武装 40口径30.5cm砲連装2基
    45口径15.2cm砲単装12基
    7.6cm砲単装16基
    4.7cm砲単装6基
    45cm水中発射管4門
 装甲 舷側 22.9cm
    甲板 7.6cm
    主砲 25.4cm
 同型艦 3隻

 

特徴

 日本が購入したイギリス戦艦敷島級の性能がイギリス戦艦を上回っていることに脅威を感じたイギリス海軍が建造した対敷島級戦艦。装甲厚はマジェスティック級戦艦と同じだが、マジェスティック級戦艦がハーヴェイ鋼をしようしていたのに対してより高性能なクルップ鋼を使用しており、3割程耐弾性が強化された。さらに舷側の装甲も艦首から艦尾まで覆っている。

 主砲もマジェスティック級戦艦と同口径ではあるが砲身が延長されマジェスティック級戦艦が40口径だったのに対して本級は45口径となっており、初速、射程、精度共に向上している。推進機関も前級であるカノーパス級の13500馬力に対して15000馬力と強化されており、装甲の強化によって排水量は増したが速度はカノーパス級と同程度を維持している。

 

同型艦

フォーミダブル(起工1898年3月、竣工1901年9月)
レジスティブル(起工1898年4月、竣工1901年10月)
インプラカブル(起工1898年7月、竣工1901年7月)

 

戦艦フォーミダブル級の活躍

 

1番艦フォーミダブル

02_戦艦フォーミダブル
(画像はwikipediaより転載)

 

 1901年9月に完成したフォーミダブルは地中海艦隊に所属。1904年から1905年まで補修が行われる。1908年4月から海峡艦隊に所属、1908年に一時退役し、改修が行われる。1909年4月、本国艦隊所属、5月には大西洋艦隊に異動する。

 第一次世界大戦が始まるとフォーミダブルは海峡艦隊に所属、輸送艦隊の護衛に活躍する。護衛の任務をダンカン級戦艦と後退したフォーミダブルはポーランド沖で演習の後、駆逐艦の護衛を受けずに活動していたためドイツ潜水艦U-24の雷撃を受け1915年1月1日に沈没する。

 

2番艦レジスティブル

03_戦艦イレジスティブル
(画像はwikipediaより転載)

 

 竣工したレジスティブルは地中海艦隊に就役する。1902年3月には濃霧の中で商船と接触事故を起こし船体に大きな損傷を受けた。1907年10月から1908年2月まで改修を受ける。1908年4月には海峡艦隊に所属、1910年6月から改修を受ける。改修後の1911年2月、本国艦隊に所属する。

 第一次世界大戦が始まると海上警備、上陸支援等に活躍する。1915年2月にはオスマン帝国の要塞攻撃に参加、1915年3月に機雷に触雷沈没する。

 

3番艦インプラカブル

04_戦艦インプラカブル
(画像はwikipediaより転載)

 

 1901年に竣工した戦艦インプラカブルは地中海に配備される。1902年、1903年から1904年、1905年に補修を受ける。この補修により測距儀と射撃統制装置が追加された。このためマストの形状が変更されている。1905年と1906年にの二度にわたってボイラーの事故が起こっている。このため1908年にはドッグで補修工事を受けている。補修修了後は大西洋艦隊、本国艦隊に所属した。

 第一次世界大戦が始まると他の同型艦と同様に海上警備、上陸支援等に活躍する。1915年1月にはオスマン帝国の要塞攻撃に参加、その後、各種任務に就いたのちに1916年イギリス本国に帰還する。1917年には練習艦となり1919年退役、1922年に解体された。

 

まとめ

 

 フォーミダブル級戦艦は次に建造されるロンドン級戦艦5隻と合わせてフォーミダブル級と呼ばれることもあるが、本稿では別級とした。1906年にドレットノート級戦艦が登場する直前に建造された最後期に属する前弩級戦艦であった。第一次世界大戦時には主力艦とはなり得なかったが、各種支援業務に活躍、本級3隻中2隻が撃沈されるという損害を受けている。

 

関連リンク

前級カノーパス級戦艦

 

前級マジェスティック級戦艦

 

次級ロンドン級戦艦

 

次級ダンカン級戦艦

 

敷島級戦艦

 

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01_戦艦ヴェンジャンス
(画像はwikipediaより転載)

 

 カノーパス級戦艦は日清戦争に勝利し、新たな脅威となった日本に対抗するために建造された戦艦である。合計6隻建造され、建造後は多くが中国基地に配属された。しかし日英同盟の締結により日本の脅威がなくなると順次帰還していく。

 

戦艦カノーパス級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 13150トン
 最大排水量 -トン
 全長 128.5m
 全幅 22.6m
 吃水 8m
 機関出力 1万3500馬力
 最大速力 18ノット
 航続距離 5320海里/10ノット
 乗員 682名
 武装 35口径30.5cm砲連装2基
    40口径15.2cm砲単装12基
    7.6cm砲単装10基
    4.7cm砲単装6基
    4.5cm水中発射管4門
 装甲 舷側 15.2cm
    甲板 5.1cm
    主砲 20.3cm
 同型艦 6隻

 

特徴

 本級は、日清戦争に勝利し実力を付け始めた日本に対抗するために建造された戦艦である。1899年から1902年にかけて竣工し極東方面に配備された他、本国艦隊、地中海艦隊、大西洋艦隊、海峡艦隊に配備された。

 あくまでも日本戦艦を主眼においたため、日本戦艦が比較的軽装甲であったことから防御装甲は軽減され速力の強化が図られた。装甲には最新のクルップ鋼を使用、装甲厚を減少させ防御力を高めることに成功している。

 エンジンはレシプロ機関であるが水管缶を採用したことにより前級であるマジェスティック級戦艦よりも10%以上出力が増強された。前級よりも1ノット速力で優っている。

 

5番艦アルビオンの進水式の動画

 

同型艦

カノーパス(起工1897年1月、竣工1897年10月)
オーシャン(起工1897年12月、竣工1900年2月)
ゴライアス(起工1897年1月、竣工1900年3月)
グローリー(起工1896年12月、竣工1900年10月)
アルビオン(起工1896年12月、竣工1901年6月)
ヴェンジャンス(起工1898年8月、竣工1902年4月)

 

戦艦カノーパス級の活躍

 

1番艦カノーパス

02_戦艦カノーパス
(画像はwikipediaより転載)

 

 1番艦カノーパスは就役すると地中海艦隊に配属される。その後、1905年には東アジアに配属されるが、日英同盟の締結により日本の脅威が無くなると、大西洋艦隊、海峡艦隊、本国艦隊等に配属された。

 第一次世界大戦が始まると南米に派遣されフォークランドの戦いを始め、いくつかの戦闘に参加した。1915年初頭には地中海に派遣され、オスマン帝国の沿岸要塞への攻撃に参加している。その後カノーパスは1916年4月に退役、1918年には宿泊船に改造されたが1920年には解体された。

 

2番艦オーシャン

03_戦艦オーシャン
(画像はwikipediaより転載)

 

 オーシャンは1900年2月に就役すると地中海艦隊に配属。1901年1月には中国基地に配属された後、1905年に海峡艦隊に所属する。予備役に編入された後、1908年から1910年まで再度地中海艦隊に配属される。1910年からは本国艦隊に所属。第一次世界大戦が始まると東インド諸島基地に配属され船団護衛に活躍した。1914年にはエジプトに派遣されスエズ運河防衛に従事する。1915年3月にはオスマン帝国の要塞攻撃に参加するが機雷に触雷して沈没した。

 

3番艦ゴライアス

04_戦艦ゴライアス
(画像はwikipediaより転載)

 

 ゴライアスは1900年3月に就役するとそのまま中国基地に配属された。1903年地中海艦隊所属、1906年海峡艦隊所属、1907年本国艦隊に所属。数度地中海に派遣された後、1909年には予備役に編入される。第一次世界大戦が始まると現役に復帰し、船団護衛、上陸支援等に活躍したが、1915年5月にオスマン帝国の駆逐艦の攻撃により撃沈された。

 

4番艦グローリー

05_戦艦グローリー
(画像はwikipediaより転載)

 

 グローリーは1900年11月に就役、1901年から1905年まで中国基地に配属された。1905年後半にはイギリスに戻り海峡艦隊、本国艦隊に所属する。1907年の階層の後、地中海艦隊に所属、1909年4月予備役に編入。1914年に第一次世界大戦が始まると現役に復帰した。

 第一次世界大戦では北米、西インド諸島の基地に配属され艦隊旗艦を務めた。1915年6月には再び地中海艦隊に所属、各種戦闘、支援業務に参加する。1919年退役。1920年に名称をクレセントに変更され、1922年に解体された。

 

5番艦アルビオン

06_戦艦アルビオン
(画像はwikipediaより転載)

 

 アルビオンはテムズ鉄工所で1896年6月に進水するが、この時にアルビオンが起こした波により34人が死亡する事故が発生する。アルビオンはカノーパス級の戦艦の中で最も初期に起工した艦の一つであったが、機械の納入の遅れ、さらには装備機器の欠陥のために竣工は1902年と遅れてしまった。

 1901年6月に竣工するとそのまま香港に派遣され中国基地の旗艦となった。しばらくは中国基地で活動を続けたが、1905年日英同盟の締結により本国に帰還。海峡艦隊に所属するが、戦艦ダンカンと衝突事故を起こすが、幸い損害はなかった。。1906年4月にはオーバーホールを受ける。1907年にはポーツマスの本国艦隊に所属する。

 第一次世界大戦が始まるとアルビオンは各種作戦に参加、1915年にはオスマン帝国の海岸砲台の砲撃により損傷、マルタ島で修理を受ける。その後も船団護衛等に活躍した。1918年10月退役、1919年8月宿泊艦となり、1920年1月に解体された。

 

6番艦ヴェンジャンス

07_戦艦ヴェンジャンス
(画像はwikipediaより転載)

 

 1902年4月に就役すると中国基地に配備される。日英同盟の締結により日本の脅威がなくなるとヨーロッパに戻る。1905年より改装を受ける。1906年より1908年まで海峡艦隊に所属。その後本国艦隊に異動、練習艦として活躍する。第一次世界大戦が勃発するとヴェンジャンスは海峡艦隊に所属し上陸支援等に活躍する。第一線での任務は少なく、主に警備官、支援艦として活躍する。1915年1月オスマン帝国の要塞攻撃に参加、その後も各種支援攻撃に参加する。1915年7月機関不具合のため一時退役、修理が行われた後、1915年より再び各種支援戦闘を行う。1917年2月退役、1922年スクラップとして解体された。

 

まとめ

 

 カノーパス級戦艦は日清戦争で勝利した日本に対する警戒から建造された対日戦艦といえるものであった。そのため日本へ売却した敷島級戦艦の特性を設計に反映していた。しかし日英同盟の締結によりその任を解かれ、第一次世界大戦では二線級の戦艦として各種活動に従事した。逆に考えれば条約一つが戦艦6隻分以上の効力を発揮したといえる。

 

関連リンク

前級マジェスティック級戦艦

 

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01_戦艦マジェスティック
(画像はwikipediaより転載)

 

 マジェスティック級戦艦はイギリス海軍防衛条例の一環として1895〜1898年にかけて建造された歴史上最大数を誇る戦艦クラスである。当時は戦艦の黄金時代で同時に戦艦が大きく進化した時代でもあった。ド級戦艦の登場により旧式化したものの第一次世界大戦にも参戦した歴戦の艦である。

 

戦艦 マジェスティック級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 14560トン
 最大排水量 -トン
 全長 128.3m
 全幅 22.9m
 吃水 8.2m
 機関出力 1万2000馬力
 最大速力 17ノット
 航続距離 7000海里/10ノット
 乗員 672名
 武装 35口径30.5cm砲連装2基
    40口径15.2cm砲単装12基
    7.6cm砲単装16基
    4cm砲単装12基
    4.5cm水上発射管1基
    同水中発射管4門
 装甲 舷側 22.9cm
    甲板 10.2cm
    主砲 25.4cm
 同型艦 9隻

 

特徴

 マジェスティック級戦艦は、世界初の近代戦艦、ロイヤルサブリン級をさらに改良、強化された艦である。主砲はロイヤルサブリン級の34.3cm砲に対して30.5cm砲と口径は小さくなったが砲身長がロイヤルサブリン級の30口径に対して35口径と延長、さらに黒色火薬から無煙火薬を使用することにより貫通力が増大した。さらに砲門数も10門から12門にアップされている。動力も水圧式動力装置を使用、天蓋もある完全密閉式砲塔を採用しているためロイヤルサブリン級に比して防御力も高い。

 装甲はロイヤルサブリン級のニッケル鋼に対してより能力の高いハーヴェイ鋼を使用したことから装甲厚はロイヤルサブリン級の半分でありながらより高い防弾性能を持っている。推進機関はレシプロ機関ではあるが、石炭重油混合燃焼方式で速力、航続力共にロイヤルサブリン級よりも向上している。本艦は同型艦が9隻建造されており、これは戦艦の同型艦建造数としては最多である。

 

同型艦

マジェスティック(1894年2月起工、1895年12月竣工)
マグニフィセント(1893年12月起工、1895年12月竣工)
プリンス・ジョージ(1894年9月起工、1896年11月竣工)
ヴィクトリアス(1894年5月起工、1896年11月竣工)
ジュピター(1894年4月起工、1897年5月竣工)
マース(1894年6月起工、1897年6月竣工)
シーザー(1895年3月起工、1898年1月竣工)
ハンニバル(1894年5月起工、1898年4月竣工)
イラストリアス(1895年3月起工、1898年4月竣工)

 

戦艦マジェスティック級の活躍

 

02_戦艦シーザー
(画像はwikipediaより転載)

 

 マジェスティック級は1番艦マジェスティックが1895年暮れに竣工したのを皮切りに1898年までに9隻が竣工する。竣工後はイギリス海軍の主力として海峡艦隊、地中海艦隊、さらには中国基地でも活躍した。1906年にはドレットノート級戦艦の登場によりそれ以前に建造された戦艦は一気に陳腐化するが、その後もイギリス海軍に在籍し続ける。

 1912年には同型艦の多くは予備役に編入されるが、1914年に第一次世界大戦にイギリスが参戦すると現役に復帰した。1番艦マジェスティックはドイツ海軍のUボートの雷撃により撃沈されたが、他の同型艦は1915年以降、主力艦の位置から外れたものの補助艦艇として活躍し続けた。

 しかし1918年にジュピター、1919年4月にはイラストリアスが除籍される。シーザーも1920年まで現役でいたが、同年に除籍、解体処分された。その他の同型艦も1921年までに全てが除籍、解体処分された。

 

まとめ

 

 マジェスティック級戦艦は前級のロイヤルサブリン級戦艦を改良、主砲塔を密閉式、さらには無煙火薬の使用など革新的な改良がされた戦艦であったが、この時代の他の戦艦と同様にドレットノート級戦艦の登場により歴史から姿を消すこととなった。しかしマジェスティック級戦艦は日本の敷島型戦艦にも大きな影響を与えた記念碑的な艦である。

 

関連リンク

前級ロイヤルサブリン級戦艦

 

次級カノーパス級戦艦

 

次級敷島級戦艦

 

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01_レナウン級二等戦艦
(画像はwikipediaより転載)

 

 一等戦艦の開発が遅れたため急遽建造された艦であったが、ハーヴェイ鋼の使用や後に一般的となる副砲の装甲内設置等斬新な設計がされた艦であった。最高速度も公試では18.75ノットという驚異的な速度を記録した高性能戦艦である。

 

戦艦 レナウン級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 12350トン
 最大排水量 -トン
 全長 124.4m
 全幅 22m
 吃水 8.2m
 機関出力 1万2000馬力
 最大速力 18ノット
 航続距離 6400海里/10ノット
 乗員 674名
 武装 40口径25.4cm砲連装2基
    40口径15.2cm砲単装12基
    口径5.7cm砲単装16基
    口径4cm砲単装12基
    4.5cm水上発射管1基
    同水中発射管4門
 装甲 舷側 20.3cm
    甲板 7.6cm
    主砲 15.2cm
 同型艦 1隻

 

特徴

 30.5cm砲搭載戦艦の開発が遅れていたため急遽センチュリオン級の改良型として建造されたのが本級である。イギリス海軍の二等戦艦とは排水量12000トン以下、主砲が25.4cm砲程度のもので前級のセンチュリオン級と本級が該当する。

 本級もセンチュリオン級と同様に25.4cm砲を搭載しているが、センチュリオン級の砲身が30口径だったのに対して本級は40口径と延長されている。さらに初の試みとして副砲を全て装甲内に設置していたことで、その副砲を当時としては強力なハーヴェイ鋼の装甲で護っていた。

 本級に搭載されたエンジンは予想を超える高性能を発揮し、公試での最高速度は18.75ノットに達した。建造は1隻のみであったが、数々の新機軸が盛り込まれた艦で即席で作られた二等戦艦というような艦ではない。前述のように二等戦艦は前級のセンチュリオン級と本級で最後となった。

 

同型艦

1番艦レナウン

 

建造

 レナウンは1893年2月に起工、1897年1月に就役した。

 

戦艦レナウン級の活躍

 

1番艦レナウン

02_レナウン級二等戦艦
(画像はwikipediaより転載)

 

 レナウンは1897年に就役すると北米、西インド諸島方面の艦隊旗艦として活躍しました。1899年5月に改修を受けた後、地中海艦隊に移動、1900年2月には再び簡単な改修を行っている。度々イギリス王室の御召艦として活躍した。1906年5月に予備役に編入された。

 予備役編入後も御召艦として活躍したが、1913年退役、1914年スクラップとして売却された。

 

まとめ

 

 戦艦レナウンは二等戦艦というマイナーな艦種ではあったが、高速、高性能であったため、イギリス海軍の著名な提督であるフィッシャー提督には気に入られていたという。この高性能二等戦艦レナウンの名は後に巡洋戦艦として受け継がれる。

 

 

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