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イギリス

01_巡洋艦明石
(第二特務艦隊旗艦明石 画像はwikipediaより転載)

 

第二特務艦隊

 


(映像は全く関係のない日本海海戦)

 

護衛艦隊を派遣

 1914年7月28日、第一次世界大戦が勃発すると翌月15日には日本も日英同盟を根拠にドイツに対して最後通牒を行い連合国として強引に参戦する。むろん、日本の目的は、中国山東半島青島や南洋諸島のドイツ権益を手に入れることであるのは明白で、開戦後数ヶ月で日本は青島と南洋のドイツ権益を占領してしまった。

 1917年2月にはドイツは無制限潜水艦戦を再開(1915年に一度やっている)する。無制限潜水艦戦とは潜水艦の攻撃対象を軍艦だけでなく、商船や中立国の船舶まで含めた無差別攻撃で国際法上も禁止されている行為であった。この無制限潜水艦戦が始まると、英国を始め連合国から日本に対して護衛作戦に参加するように再三要請が行われた。

 これに対して日本は戦争初期に手に入れたドイツ権益を日本が引き継ぐことを承認する秘密条約を結び(加藤P246)、1917年2月7日、第一特務艦隊をインド洋、第二特務艦隊を地中海、第三特務艦隊をオーストラリア、ニュージーランド方面に派遣した。第一特務艦隊は小栗孝三郎少将を司令官とする艦隊で、軽巡洋艦矢矧、対馬、新高、須磨の4隻に第二駆逐隊で編成、第三特務艦隊は山路一善少将を司令官とする巡洋艦平戸、筑摩の2隻で編成されていた。

 

第二特務艦隊

02_樺型駆逐艦
(樺型駆逐艦 画像はwikipediaより転載)

 

 これらの艦隊の中で、いわば「最前線」にあたる地中海を担当するのが、第二特務艦隊で、司令官佐藤皐造少将、旗艦明石を筆頭に、第十駆逐隊(楓、桂、梅、楠)、第十一駆逐隊(榊、柏、松、杉)の9隻で編成されいた。4月13日にマルタに到着した第二特務艦隊は英海軍から駆逐艦2隻、トローラー2隻の貸与を受けて護衛作戦を開始するものの、最初、日本海軍は対潜水艦戦闘とおいうものを全く知らず、爆雷投下装置すら装備していなかった。現地に到着した艦隊では、急いで英海軍に対潜水艦戦闘の教授を受け、爆雷投射機を装備して出撃していった。

 このような状況が原因だったのかは分からないが、5月4日には駆逐艦松、榊が護衛中の兵員輸送船トランシルヴァニア号が潜水艦による雷撃の被害にあって撃沈されてしまう。第二特務艦隊は、護衛任務を達成することは出来なかったもののトランシルヴァニア号乗組員の救助に尽力、英国王から第十一駆逐隊の司令以下20名に勲章が授与されたものの、6月11日には、トランシルヴァニア号乗組員救出に活躍した駆逐艦榊が雷撃を受け大破、艦長以下乗員59名戦死、重軽傷16名の被害を出してしまった。

 この駆逐艦榊の大破について少し詳しく書いてみよう。1917年6月11日、駆逐艦榊と松は護衛任務を終えマルタ島に帰投中、敵潜水艦と遭遇、戦闘が開始された。榊と松が単黄陣をとり(並行して走る状態)、18ノットで航行中に敵潜望鏡を発見、砲撃をすると同時に敵潜の魚雷が左舷前部に命中爆発した。どうもこの「敵潜水艦」とはオーストリアの潜水艦であったようだ。因みにこの件で、船団を護るために榊が盾になったという美談があるようだが、榊は護衛任務を終えて帰投中であり事実無根のようだ(高岡)。

 

巡洋艦出雲がきたよ

03_出雲
(巡洋艦出雲 画像はwikipediaより転載)

 

 8月10日には巡洋艦出雲と第十五駆逐隊(桃、樫、檜、柳)が来着したことにより戦力が大幅に向上、8月13日には明石に代わり出雲が艦隊旗艦となる。これによって明石は8月23日に日本に帰港するためにマルタ島を出発、11月4日に呉で役務解除を受けている。明石が日本に戻ったものの、出雲以下、第十駆逐隊、第十一駆逐隊、第十五駆逐隊の合計17隻(英国貸与の艦船4隻)という規模になった。

 かなりの規模となった第二特務艦隊を率いる佐藤少将は、8月下旬に英国で行われた船団護送会議において護衛対象艦船中、最重要にランクする軍隊輸送船を第二特務艦隊が護衛することを申し出ている。当初は対潜水艦戦闘を知らなかった第二特務艦隊も経験を重ねるうちに船団護衛の方法が洗練されていった。当初は一隻ずつを護衛していたが護衛艦の数が足りなくなると船団を編成して護衛に当たるようになった。船団の形も「▽」の形状に編成し、万が一先頭船が雷撃された際にも後続船にその魚雷が命中しないように工夫された。

 

 

そして任務完了

04_マルタ島の墓
(マルタ島の第二特務艦隊戦没者の墓 画像はwikipediaより転載)

 

 さらに1918年11月16日には巡洋艦日進が第二特務艦隊に編入、11月26日より1919年1月6日まで艦隊旗艦となっている。これら第二特務艦隊は、地中海の厳しい環境の中任務を行い、第一次世界大戦終結に伴い、任務を終えた巡洋艦日進と第二十二駆逐隊(旧第十駆逐隊)、第二十三駆逐隊(旧第十一駆逐隊)は1919年6月18日に、巡洋艦出雲と第二十四駆逐隊(旧第十五駆逐隊)は7月2日に無事横須賀に寄港しした。

 1917年4月から始まった地中海派遣第二特務艦隊は、作戦終了までの間、護衛した艦船は788隻、人数にして75万人、護衛回数が348回でその間の対潜水艦戦闘は36回に及んだ。

 

その後

 第一次世界大戦が終結すると、日本は山東半島や南洋諸島のドイツ権益を継承した。山東半島のドイツ権益の継承に関しては米国が強硬に反対したため結論は1922年のワシントン会議に持ち越されたものの、日本はサイパン島、トラック諸島、マーシャル諸島などの南洋諸島を委任統治領として経営・開発することが可能となった。ハワイ、ウェーク島、グアム島、フィリピンを結ぶ米国のラインに対してサイパン、トラック諸島、マーシャル諸島を日本が掌握したことで太平洋の緊張関係は高まっていく。

 南洋諸島を統治下におくことが出来た日本であったが、山東半島問題で米国と中国の反日感情は高まり、南洋諸島を統治することで地理的にも警戒されることとなった。地中海派遣艦隊の功績により日本は南洋諸島を統治することができるようになったが、同時にこれが原因の一つとなり日米対立が激しくなっていった。

 日本は、自国の権益を拡大するために第一次世界大戦に参戦、英国から護衛艦隊派遣を要請されると戦争初期に日本が獲得した旧ドイツ権益を日本が継承することを条件に地中海への第二特務艦隊の派遣する。艦隊の派遣は国際間の駆け引きの結果であり、そこに善意というものは存在しない。あるのは国家間の利害関係だけである。逆に自国民に多くの犠牲者が出る可能性のある決断を善意で行うことはありえない。この第二特務艦隊派遣の経緯からドライな国際関係が垣間見れるのである。

 

参考文献

  1. 加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』
  2. 高岡裕之「『新しい歴史教科書』が撃沈した日本駆逐艦』『歴史家が読む「つくる会」教科書』
  3. 雨倉孝之『海軍フリート物語』黎明編

 

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01_L85
(画像はwikipediaより転載)

 

 L85(SA80)とは、1985年にイギリス軍が制式採用したブルパップ式自動小銃である。80年代に採用された小銃だけあって使用弾薬はSS109を使用する。フリーフローティングバレルをいち早く採用する等革新的な部分もあるが、欠陥や不具合が多く実戦においては死傷者も発生している。現在は改良されたA2が採用されているが、根本的な欠陥が改善されておらずA3への改修が研究されている。

 

L85(SA80)(実銃)

 

 

性能

全長 785mm
重量 4,720kg
口径 5.56mm
使用弾薬 5.56×45mmNATO弾
装弾数 30発
設計・開発 エンフィールド造兵廠

 

背景から開発まで

 第二次世界大戦でドイツ軍のアサルトライフルの洗礼を受けた英国は1945年頃よりブルパップ式で小口径のカートリッジを使用する自動小銃の開発を志向していたものの米国が7.62mm弾をNATO標準弾として採用させたため、1957年、英国も同カートリッジを使用するL1A1小銃を制式採用した。しかし1960年代後半になると第二次世界大戦、朝鮮戦争の戦訓を検討した結果、小口径のカートリッジの採用が最適という結論となり小口径ブルパップ式自動小銃の開発が開始された。

 当初は4.85mm弾の使用を想定していたものの、米国の5.56mm弾を改良したSS109がNATO標準弾となったため5.56mm弾に変更、エンフィールド造兵廠においてXL65という名称で開発が開始、1984年9月13日に制式採用に向けての合意が結ばれた。

 

開発

02_L85A2
(画像はwikipediaより転載)

 

 SA80は1985年にL85としてイギリス軍に制式採用された自動小銃で約350,000挺がイギリス軍に納入された。特徴はブルパップ式というストック内に機関部がある方式の銃でグリップ後方にマガジンがあるという独特のスタイルをしている。1980年代といえばM16自動小銃も新型のA2モデルとなっていた時代であったが驚いたことにこのL85は樹脂やアルミを使用せずにスチールプレスで製作されている。このため全長は短いものの重量は4,72kgとM16始め他のブルパップ小銃に比べても約1.5倍の重量がある。

 ベースとなったのは米国アーマライト社製のAR-18自動小銃でこの点においては日本の89式小銃と共にアーマライト社の血統を受け継いでいる小銃である。ブルパップ式は通常の小銃に比べ、左利きの射手には特に操作しにくいため諸外国のブルパップ小銃でチャージングハンドルを上部にもっていったり、排莢口が左右に変更できるようになっている等の工夫を凝らしているが、本銃に関しては一切そのような対策は行っていない。

 弾薬はNATO標準弾であるSS109を使用、弾倉はM16小銃と互換性のあるSTANAG弾倉を採用している。ブルパップ式の欠点である照準半径が短いという問題に対処するためステアーAUGと同様にスコープが標準装備されており、万が一スコープが使用不可能になった場合に備えてスコープ上部にアイアンサイトを装備している。本銃で画期的なのは現在のライフルで主流となりつつあるフリーフローティングバレルをいち早く搭載した点である。

 このフリーフローティングバレルとはバレルが機関部に直接装着されている以外にハンドガード等が銃身に接触していないバレルのことで、前方から見た場合、ハンドガードの中心にバレルが浮かんでいるような状態になる。このためハンドガード等がバレルに干渉することが無く命中精度の向上に貢献する。このバレルシステムと前制式採用小銃L1A1の重量に匹敵する本体重量で高い命中精度を発揮するはずであったが、実際には重量バランスの悪さや引き金の硬さから命中精度は悪かった。

 このL85が初めて実戦で使用されたのは1991年の湾岸戦争であったが、上記の不良が完全に解消されておらず現場では銃の不良による死傷者が発生している。この不具合の改良は1990年代中盤にはドイツのH&K社が担当、2001年10月18日には改良されたモデルがA2として制式採用された。しかしこの改良によっても不具合は完全には解決しなかったため、2016年9月に再び改修計画が発表された。この改修も前回同様にH&K社が担当、2025年以降の運用を目指している。

 

バリエーション

03_L85A2
(画像はwikipediaより転載)

 

 L85の銃身を延長して銃身下部にバイポット、ストック部にフォアグリップを装着した分隊支援火器仕様のL86、逆に銃身を極限まで短くして銃口下部にフォアグリップを装着したアサルトカービン仕様としたモデル、その他訓練用に改造された数種類のモデルが存在する。

 

L85(SA80)(トイガン)

 

概要

 1989年にLSがエアーコッキング式でモデルアップ、LSから独立したMMCがガス式でモデルアップしている。1991年にはLSがガス式で再モデルアップ、1992年にはKSKがMMCの金型を引き継いで発売している。近年ではWE-TECH、G&G、ICS社がモデルアップしている。

 

WE-TECH L85(SA80) ガスブローバック

性能

全長 795mm
重量 4,030g
装弾数 30発
初速 75m/s前後
定価 67,600円

 レシーバー、フラッシュハイダーはスチール製、アウターバレル、フロントサイト、キャリングハンドルはアルミ製で構成、通常分解は実物通りに分解が可能であり、非常にリアルで重量も実銃に近く、マガジンは同社製M4のマガジンが使用可能である。欠点としては多くのユーザーからマガジンが冷えに弱いことが指摘されている。これは海外の高圧ガスを使用sするガスガンを低圧ガスを使用する日本仕様にしたためだと考えられる。

 

G&G L85(SA80) 電動ガン

性能

全長 785mm
重量 3,250g
装弾数 450発
初速 81m/s前後
定価 72,000円

 重量は実銃に比べ2〜3割ほど軽いが機関部はスチールプレス製で主要箇所のほとんどが金属製である。ハンドガード、グリップ、チークパッドは樹脂製となっている。弾道は非常に良く、電動ブローバックであるためボルトが可動するのも面白い。しかしユーザーによって個体差がかなりあるようで新品でセミオートが作動しない等の根本的な欠陥が指摘されている。購入する際には覚悟が必要かもしれない。

 

まとめ

 

 先進的なブルパップ式自動小銃は70年代後半から80年代にかけていくつかの先進国で採用されたが、独特な構造のため問題点も多い。L85は80年代中盤に制式採用された自動小銃でありながらプレス加工を採用、重量は4.72kgと驚くような重量になっている。命中精度を追求したフリーフローティングバレルも重量バランスの悪さとトリガーの重さから命中精度の向上には貢献しておらず、各種の不具合対応に現在でも追われているのが現状である。しかし外観の無骨さや近未来的なデザインはファンの心をつかんで離さないのである。

 

 


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