01_一式貨物輸送機
(画像は一式貨物輸送機 wikipediaより転載)

 

 ロ式B型高高度研究機とは、陸軍が開発した高高度研究機である。名称がキ番号ではなく「ロ式B型」という妙な名称であるのは本機が「極秘」よりもさらに上の「特秘」扱いであったことによる。具体的に研究していた内容は成層圏を飛行する際に必要になる与圧室の研究であった。この分野の研究において日本は各国に後れを取っており開発が急がれていた。

 

ロ式B型高高度研究機 〜概要〜

 

性能

全幅 19.96m
全長 11.76m
全高 3.46m
自重 5,157kg
最大速度 475km/h(高度5,800m)
上昇力 8,000mまで13分00秒
上昇限度 10,000m
エンジン出力 1,055馬力(ハ102)2基
航続距離 2,200km
乗員 6名(操縦員2名、実験員3〜4名)
武装  -
爆装  -
設計・開発 小川太一郎 / 東京帝国大学航空研究所

 

与圧室とは。。。

 地球を取り巻く大気層は、およそ高度11,000mまでを対流圏、50,000mまでを成層圏と呼ぶ。軍事上、成層圏飛行が有利なのは航空機の発見が困難であること、地上からの攻撃が困難であること等がある。このため各国では成層圏を飛行することが可能な高高度航空機の開発が研究されていた。

 高高度飛行を行う上での問題は、高度が高くなるにつれて酸素の量が減少することである。このため高高度を航空機が飛行するためには、機内を気密化して酸素を送り込み気圧を人間が生存できる気圧にする必要がある。さらに与圧することで機内と機外とでは圧力に差が生じる。与圧室を製造するためには機内の気密化して酸素を送り込むことと同時に圧力差に耐えうる強度が必要になる。

 

開発

 1938年、東京帝国大学航空研究所内に「航二研究会」と呼ばれる航空機による成層圏飛行に関する研究を行う研究会が発足した。リーダーは小川太一郎博士で陸軍からの資金協力も得ていた。この計画は「研二」とも呼ばれている。1940年になると航二研究会は実際に高高度研究機製作に動き出す。当時の日本の技術力ではいきなり成層圏を目指すのは難しかったため、中間機として高度8,000mから10,000mを常用高度とする中間機の開発を指向することとなった。

 基礎設計は東大航研で設計主務者はリーダーの小川太一郎博士で基礎設計は主に木村秀政所員が行った。細部の設計と機体の製作は立川飛行機が担当することとなった。しかしゼロから機体を製作していたのでは時間がかかり過ぎるため機体は現用機から流用することとした。その候補として挙がったのが、ロッキード14Yと三菱製九七式重爆であった。

 検討の結果、重量軽減が可能である点や立川飛行機でライセンス生産されている点が試験には有利である等という点からロッキードY14がベースとして選ばれた。設計は1940年8月から開始された。主な改造点としては、胴体は新規設計、発動機、プロペラの交換であった。同年秋には基礎設計が完了、立川飛行機によって細部の設計が行われた。1941年末に設計完了、試作機2機の製作が開始、1942年7月試作機の機体は2機ともほぼ完成する。

 機体は完成したものの日本初であった与圧室の開発が難航したため完全に試作機が完成したのは翌年1943年5月であった。6月には与圧装置は使用せずに高度3,000mまでの初飛行が行われ、9月1日には与圧装置を使用した飛行も行われた。1944年8月には2号機も完成、1944年10月9日には試験飛行において高度11,200mに到達、成層圏飛行に成功した。

 今回、全く新規に設計された胴体は円形断面で機首は段無しの流線形となった。窓は二重ガラスになっており、その間に温めた空気を送り込んで曇りなどを防いでいた。このためもあって操縦席からの視界の悪さは酷い物であったという。エンジンは1号機が二速過給器を搭載したハ102特(海軍名「瑞星21型」)で2号機はさらに高高度に対応したハ102超過給型が装備された。プロペラは直径3.2mでブレードは高高度で馬力を吸収するために幅広に設計された。

 

生産数

 2機が製作された。終戦まで残存していたが米軍によってスクラップにされた。

 

まとめ

 

 日本でロ式B型が試験されたいた頃、米国ではB29が実戦に投入されていた。このB29は完全な与圧室を持ち、搭乗員は機内では通常の飛行服での勤務が可能であった。実用上昇限度は13,000mを超え、総生産数は3,970機に達する。これに対して日本側は最高の頭脳を投入しても不完全な与圧室を備えた実験機が2機、それもベースは米国機というのが現実であった。技術が進歩するためにはそれを下支えする工業力が必要である。それは天才、秀才が設計したものを実際に生産することができる基礎技術力であり、一分野に秀でることではなく全分野の技術力の高さである。

 当時の日本は、飛行機を製造することはできても飛行機を作る機械は米国製であったり、ドイツから高性能の機銃を輸入してもプレス加工ができないために製造することができない、ライセンスを得ても同じ品質のものが造れない等の悲しい現実があった。日本には世界レベルの航空機設計者達が多くいた。しかし設計は一流であってもその設計を実物に変える力が不足していた。この「国力の差」を如実に表しているのがこのロ式B型研究機であろう。

 

 

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