01_F-89_Scorpion
(画像はwikipediaより転載)

 

ノースロップ F-89 スコーピオン

 

 

性能(F-89D)

全長 16.396m
全幅 18.199m
全高 5.33m
自重 11,428kg
全備重量 16,869kg
最大離陸重量 19,160kg
最大速度 1,038km/h(高度3,231m)
上昇力 37.8m / 秒
上昇限度 15,000m
エンジン出力 推力2,470kg(アリソン J35-A-35 ターボジェットエンジン)2基
       推力3,269kg(アフターバーナー使用時)
航続距離 2,198km
乗員 2名
武装 Mk4 FFAR 70mmマイティ・マウス空対空ロケット弾52発2基
爆装  -
アビオニクス ヒューズ E-6 射撃管制システム
       AN/APG-40レーダー
       AN/APG-84コンピューター
初飛行 1948年8月16日(XP-89)
総生産数 1,052機(試作機2機を含む)
設計・開発 ノースロップ社

 

開発前史

 1945年3月23日、米陸軍はP-61の後継機開発に対するトライアルを発表した。これに対して数社が応募するが、米陸軍はその中でノースロップ社のXP-89、カーチス社のXA-43の試作機を発注した。米陸軍が示した要件とはエンジン2基、15mmまたは20mm機関砲6門が装備されており最高速度は850km/h以上等であった。この要件は明示こそされていないがレシプロ機で850km/h以上を発揮するのは困難であることから実質的にはジェット機での設計を要求するものであった。

 

開発・初飛行・性能・特徴

 その後、数度にわたり米空軍(1947年9月陸軍から独立)の仕様変更を受け改良を行ったため予定は9ヶ月遅れたものの1948年には試作機が完成したものの機首に搭載予定のヒューズ社M24砲塔の準備が出来ていなかったため20mm機関砲6門が固定で装備された。試作機は真っ黒に塗装された中翼、直翼で特徴的な水平尾翼は垂直尾翼の中間位置に取り付けられた。この形状から「スコーピオン」という名称が付けられた。初飛行は1948年8月16日に行われたが、機体重量に対してアリソンJ35-A-9ターボジェットエンジンは非力であることが判明している。

 1949年11月、試作2号機が完成、この2号機は1号機の弱点を反映してエンジンをアフターバーナー装備のJ33-A-21に変更、機首に予定通りヒューズ社製M24砲塔に6門のT-31 20mm機関砲が装備された。アビオニクスはヒューズE-1火器管制システムで照準用レーダーはAN/ARG-33レーダーを搭載している。これらの改修により機体の90%が変更され全長も0.91m長くなった。機体名称もYF-89Aに変更されている。

 名称の「P」が「F」に変更されたのは米空軍が米陸軍から独立、さらに海軍と機体の命名規則を統一したために海軍の戦闘機を示す番号であるFが空軍にも採用された結果であるが、その前についている「X」や「Y」は何かというとXは実験機を示す番号、Yは試作機を示す番号となっている。この記号にどこまで実質的な違いがあるのかは不明であるが、現在では政治的な判断からリスクが少ない印象のあるYが好まれているという。

 2号機は1950年9月25日に初飛行が行われた。完成したのが1949年11月で初飛行まで1年弱が経っていた。これは1950年2月22日に1号機が墜落事故を起こしたことが理由で(1号機は1949年6月27日にも不時着している)、これにより一時量産機の生産は中止された。事故の原因調査の結果、1号機の事故の原因は水平尾翼のフラッター(高速で翼が激しい振動を起こす現象)で対策としてエンジン下部にジェットウェイクフェアリング、胴体に排気ディフレクターが追加された。

 これらの改良が2号機に反映されて晴れて9月25日に初飛行となった訳である。これらの改良の結果、2号機は3日後の28日に無事空軍に領収された。その後もさらに2機が空軍に納入されたが、これらの機体に対してフラッター問題が解決されていることを確認するために特別な試験が実施された。

 これらF-89Aでは初期の計画にあった機首の旋回式機関砲は廃止、固定式6門の20mm機関砲となった。携行弾数は各200発で翼端には1,100L燃料タンクが装備(取り外し機能なし)、翼下にはロケット弾16発または爆弾1,451kgが搭載可能であった。

 

バリエーション

 但し、F-89Aは8機が製造されたのみで9機目以降は水平尾翼を改良した上でアビオニクスも変更したF-89Bとなった。このF-89Bは40機が生産され、1951年2月から実戦部隊に配備されたものの機体とアビオニクスに重大な問題が発生、墜落事故も相次いだために空軍から退役して州軍に引き渡された。

 1951年9月には改良型のF-89Cが導入されたが問題は解決していないどころか墜落事故が発生、この原因が主翼の構造的な問題であることが発覚したために全F-89が飛行停止となった。C型は164機が製造されている。F-89Cの改良型であるF-89Dは同年10月23日に初飛行を成功させていたが、これらの問題により大量生産が中断され大規模な改良が行われた。生産が再開したのは1953年で同年1月7日には空軍での運用が開始された。

 このF-89Dこそが世間の航空機ファンが良く知っている「F-89」である。機首の20mm機関砲を撤去してAN/APG-40レーダーにAN/APA-84コンピューターを搭載したE-6火器管制システムを設置、翼端の燃料ポッドに70mmFFARロケット弾52発を搭載した(両翼で104発)。このF-89Dがシリーズ中の最多生産型で682機製造されている。しかしこのD型もC型同様主翼の強度不足、腐食によるロケット弾の暴発などの問題が相次いだ。

 そして1956年には改良型のF-89Hが部隊配備された。F-89HはE-9火器管制システムを採用、翼下にAIM4ファルコン空対空ミサイル6発、翼端ポッドにもAIM4、FFARロケット弾21発(両翼で42発)を装備していた。だがこれもロケット弾、E-9火器管制システムの不具合に悩まされ、1956年3月にはやっと解決したが、同年4月にはF-102Aが就役したためにほとんど活躍することなく1957年11月から1959年9月までに空軍から退役して州軍へ移管された。156機が製造された。

 最終型のF-89Jは空対空核ミサイル発射能力を持った機体でMG-12火器管制システムを採用、飛行中の航空機に対して空対空核ミサイルを発射することが可能であった。翼端のポッドは2,300L入りの燃料タンクとD型のポッド兼燃料タンクの選択が可能である。これは新規の改良型ではなくF-89Dから350機が改修された。

 

 

戦歴

 F-89が部隊配備されたころにはとっくの昔に朝鮮戦争は停戦しておりベトナム戦争は始まっていなかった。このためあまり活躍することはなかった。運用国も米国のみで1969年に運用を終了している。

 

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