F-86 Sabre
(画像はwikipediaより転載)

 

F-86 セイバー

 

 

性能

全長 11.30m
全幅 11.91m
全高 4.29m
自重 5,046kg
全備重量 6,894kg
最大離陸重量 8,234kg
最大速度 1,106km/h(高度6,446m)
上昇力 46m / 秒
上昇限度 15,100m
エンジン出力 推力2,710kg(GE J47-GE-27ターボジェットエンジン)1基
推力重量比 0.39(全備重量)
航続距離 2,454km
乗員 1名
武装 M3 12.7mm機関砲6門
爆装 最大454kg爆弾2発
アビオニクス  -
初飛行 1947年10月1日(XP-86)
総生産数 9,860機
設計・開発 エドガー・シュミュード / ノースアメリカン社

 

開発前史

 1944年末、ノースアメリカン社は米海軍にジェット艦上戦闘機を提案した。これは同社の傑作戦闘機P-51をベースにした機体で胴体はジェットエンジンを搭載した新規設計であったものの主翼と尾翼はP-51戦闘機の流用であった。米海軍はこの戦闘機をFJ-1フューリーとして制式採用したが、このFJ-1に注目した米陸軍は1945年5月23日、FJ-1の陸上機型であるXP-86の開発をノースアメリカン社に発注した。

 

開発

 しかしことはそう簡単にはいかない。XP-86は最高速度937km/hとFJ-1の880km/hよりも大幅に速くなったもののロッキードXP-80のやXP-84と大差がない速度であった上に米陸軍が要求した970km/hに達していないという問題があった。このため注文がキャンセルされるのではないかという危機感がノースアメリカン社にはあった。

 そこでノースアメリカン社は後退翼に目を付けた。後退翼とはそれまでのレシプロ機の翼が胴体に対して垂直であるのに対して後方に傾斜している翼のことであった。後退翼に関しては以前から知られていたが高速を発揮する反面、低速では揚力が弱くなるという欠点があった。しかし第二次世界大戦でドイツが敗北するとそれまでドイツで研究されていた後退翼のデータおよび前翼スラットの情報が米国にもたらされた。

 前翼スラットとは低速になると自動的に翼が前後に伸び揚力を発生させる装置でドイツで研究されていたものであった。これらのデータの入手によりノースアメリカン社はXP-86の主翼を直翼から後退翼に変更することを決定したのだった。

 エンジンは推力1,816kgのゼネラルエレクトリック製J35-C-3ジェットエンジンで機首にエアインテークを持ち胴体後方には排気ノズルがある。涙滴型キャノピーでエアインテークの周囲には6門のM3 12.7mm機関砲があり、発射速度は1,200発/分、300m先に照準が調整されていた。照準器はMark18照準器で手動式であったがのちにこれもレーダー照準器に変更される。

 

初飛行

 このXP-86は1947年8月8日にロールアウト、1947年10月1日に第二次世界大戦のエースパイロットであるジョージ・ウェルチによって初飛行が行われた。この飛行は1時間18分でカメラマンを同乗させたXP-82ツインマスタングが同行した。この際にウェルチは高度10,668mに上昇、そこから急降下をして音速を突破したと言われている。これはチャック・イェーガーが試験機X-1で音速を突破した二週間前であり事実とすれば人類が音速を突破したのは世界初である。

 初飛行でこのような操作ができたこともこのXP-86の優秀さを物語っている。35度の傾斜を付けた後退翼装備のXP-86は滑走距離わずか920.5mで時速201km/hに加速して離陸、12.1分で高度9,144mまで到達した。上昇限度は高度12,588mで最高速度は4,267mで995km/hを発揮した。この結果に満足した米陸軍は1947年12月にXP-86を188機を発注、翌1948年には333機が発注された。

 

バリエーション

 初期の試作機としてはXP-86が3機、エンジンをJ47-GE-13ターボジェットエンジンに換装したYF-86Aがある。量産型はF-86Aで554機が製造されている。F-86Dは機首にレーダーを装備して空対空ロケット弾を装備した型でほぼ別の機体である。F-86Eは水平尾翼を変更して安定性を向上させた型で456機が製造された。

 F-86Fはエンジンを推力2,710kgのJ47-GE-27エンジンに換装した型で主翼も延長、機銃も20mm機関砲4門に変更された他、翼下のハードポイントも2個から4個に増設されている。シリーズ最多の2,239機が製造された。F-86H型は戦闘爆撃機型でエンジンを推力4,177kgのJ73-GE-3に換装、胴体を太く設計して搭載燃料を増やした。低高度爆撃システム(LABS)、核爆弾投下システムが搭載されている。473機が製造された。

 

 

戦歴

 量産型であるF-86A(米空軍独立で呼称がPからFに変更)は1949年より実戦部隊に配備された。この際、飛行隊で命名コンテストが実施され愛称が「セイバー」となった。1950年には朝鮮戦争が勃発するが、当初はF-80シューティングスターやF-84等の直翼のジェット戦闘機でも十分に活躍できたものの中国空軍がソビエト連邦貸与のF-86と同じ後退翼を持つMiG15を投入すると苦戦するようになった。

 このため1950年12月よりF-86が戦線に投入されることとなる。ここに世界初の後退翼ジェット機同士の空戦が行われた。当初のF-86はMiG15に対して加速性、上昇力等で劣っていたものの当時の連合国軍のパイロットには第二次世界大戦で実戦経験を積んだベテランパイロットが多く、経験の少ないソビエト連邦軍や中国軍、北朝鮮軍のパイロットに対して有利に戦闘をすることができた。それも1953年にF-86Fが投入されると性能面でもMiG15との差はほぼ無くなった。

 朝鮮戦争ではF-86が792機のMiG15を撃墜、F-86の損失はわずか78機であったとされる。この数値を信じるならば撃墜比率は約10:1となるが、近年の調査によると実際には撃墜されたMiG15はそれほどはなく、F-86の損失も空戦以外の理由により失われたとされている機体も実際には空戦で撃墜された可能性のあるものが多く、実際の撃墜比率は2:1または1.3:1程度ではないかと言われている。

 F-86は米軍以外にも台湾やパキスタン、フィリピン空軍や航空自衛隊でも運用された。航空自衛隊では米軍からF-86F 180機の供与を受け、その後ノックダウン生産で300機を製造した。合計480機となるがあまりに機数が増えすぎたためパイロットや整備員の数が追い付かず45機を米国に返還した。このため航空自衛隊は435機の配備となった。

 

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F-86セイバー写真集 NORTH AMERICAN F-86 SABRE
石原肇
ホビージャパン
2015-06-30



 

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