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(画像はwikipediaより転載)

 

 局地戦闘機秋水とは、太平洋戦争末期に日本陸海軍によって計画されたロケット戦闘機である。開発は三菱重工でドイツのMe163の設計を元としているが、設計図の一部しか日本には届かなかったため独自開発の部分が多い。1号機は1945年7月に初飛行をしたが上昇中にエンジン停止、滑空の後に大破した。2回目の飛行を準備中に終戦となる。

 

局地戦闘機 秋水 〜概要〜

 

性能

全幅 9.5m
全長 5.95m
全高 2.7m
自重 1,445kg
最大速度 800km/h(高度10,000m)※(900km/h説もあり)
上昇力 10,000mまで3分30秒
上昇限度  - m
エンジン出力 推力1,500kg(特呂二号)
航続距離 高度10,000mまで全力上昇後、800km/hで1分15秒
乗員 1名
武装 30mm機銃2挺
設計・開発 高橋己治郎 / 三菱重工

 

背景から開発まで

 1944年3月10日、日本海軍はドイツ航空省に対してロケット機、ジェット機の技術譲渡交渉を正式に申し入れた。ドイツでもジェット機、ロケット機は試作段階であり、完成した図面を日本側に提供することは不可能であったが、現時点で揃えられる限りの資料がドイツ側から日本側に提供された。これらは主にエンジンの製造図面、ジェット機、ロケット機の設計図面等で、ドイツ側から日本に送られたUボート(呂501潜)と日本から来航したイ号29潜に分けて日本へ送られた。

 ドイツを出発した呂501潜は大西洋上でイギリス海軍駆逐艦の攻撃により撃沈されてしまうが、イ号29潜は無事にシンガポールに到着したが、シンガポールから日本へ向かう途中に米潜水艦の攻撃により撃沈されてしまった。しかし、シンガポールで同乗していた巌谷技術中佐が一部資料を所持した上で空路日本に帰国したため日本は貴重な図面を得ることが出来た。

 以降、潜水艦による交流は成功しなかったが、一部のデータは、ドイツ駐在の海軍技術者の手によって暗号で送られた。

 

開発

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(画像はwikipediaより転載)

 

 ドイツで実用化されたロケット戦闘機Me163コメートの資料を遣独潜水艦によって入手した日本軍は、陸海軍共同で開発を開始することを決定した。設計方針の違いから意見が対立したものの結局、海軍名秋水、陸軍試作機番号キ200として三菱重工によって開発することとなった。

 1944年8月7日、陸海軍は三菱重工に対して試作機の開発を正式に指示した。これに対して三菱重工は高橋己治郎技師を設計主務者として開発を開始した。資料がドイツから届いたといっても届いた資料は簡単な図面と設計説明書等、ごくわずかであったが、1944年11月には設計完了、12月には試作1号機が完成した。

 形状はMe163とほとんど変わらなかったが、Me163が20mm機銃を搭載したのに対して秋水は30mm機銃を搭載したためもあって全体的に秋水よりも少しだけ大型化していた。主翼の桁、垂直尾翼は木製で胴体はジェラルミン製でセミモノコック構造、外板もジェラルミンを使用していた。

 降着装置は主車輪と尾輪、橇によって構成されており、離陸時には主車輪を使用、離陸完了と同時に投下、着陸時は橇を使用する構造になっていた。武装は30mm機銃であるが、同じ機銃であっても海軍は五式30mm機銃、陸軍は口径30mmホ155機関砲を搭載する計画であった。

 エンジンは特呂二号(海軍名「KR10」)で秋水の開発以前から研究されていたもので水素に水化ヒドラジンとメタノールの混合液を反応させ高温高速ガスを発生させるというものであった。開発の中心になったのは三菱の持田勇吉技師であったが、開発を主導していたのは陸軍で海軍空技廠の技術も必要という複雑な中での開発であった。試作機の完成と同時にエンジンも完成するはずであったが、未知の分野であり資料も乏しかったため開発が難航、完成は1945年6月になった。

 

練習用グライダー秋草

03_秋水
(画像はwikipediaより転載)

 

 この秋水の搭乗員訓練用に実物と同じ大きさ、形状のグライダーも製作された。これは無尾翼滑空機秋草(MXY8。陸軍名「ク13」)で1944年12月26日に初飛行に成功している。この初飛行は高度3,000mまで航空機により曳航されたのち切り離されるというものでテストパイロットは秋水のテストパイロットでもある犬塚豊彦大尉で、犬塚大尉の操縦により無事に着陸に成功した。

 さらには重滑空機と呼ばれる実機から動力装置、タンク類、兵装等を取り除いた機体で2機が製作され陸海軍に各1機引き渡された。初飛行は、1945年1月8日に犬塚大尉の手によって行われた。高度1,700mまで曳航された後、滑空しながら無事に着陸した。陸軍でもク13(海軍名「秋草」)や重滑空機の試験を行っていたが、1945年8月10日、訓練中の事故により機体は大破、搭乗員は重傷を負った。

 秋水の初飛行は1945年7月7日で滑空機と同じく犬塚大尉の手によって行われたが、上昇中にエンジンが停止、飛行場に滑り込むことには成功したものの機体は大破、犬塚大尉は重傷、翌日に死亡した。原因は燃料を1/3に減らした状態で試験を行ったため、上昇中に機体の姿勢と加速の関係で燃料取り出し口に燃料が入らなくなってしまったことであった。この燃料を1/3に減らしたのは秋水部隊である312空司令柴田武雄大佐が傾倒していた新興宗教による「お告げ」が原因であったとも言われている。

 

 

キ202 秋水改(計画のみ)

 秋水(キ200)の航続時間延長型である。全体的に秋水よりも一回り大きく、エンジンは特呂三号液体燃料ロケットで最大飛行時間が秋水の6分36秒から10分28秒に増大していたが、実現さえることなく計画のみで終わった。他にも武装を30mm1挺、車輪を廃してカタパルト発射式としたJ8M2等も計画されていた。

 

生産数

 試作機が2機、量産機が5機完成していた。他にも10機がほぼ完成という状態であった。終戦時には5機が残存していた。内3機を米軍が接収、米国で1機のみが現存している。

 

まとめ

 

 秋水はそれまで別々に同じような性能の航空機を開発していた日本陸海軍が共同で開発した画期的な機体であった。しかし遅きに失した感はある。秋水は実用化されなかったものの、仮にされたとしても燃料の調達や整備、生産、秋水自体の安全性から見ても戦果は挙げられなかった可能性が高い。

 

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