01_研三
(画像はwikipediaより転載)

 

 キ78高速研究機(研三)とは、陸軍が東大航研に依頼した高速実験機で製作は川崎航空機が行った。1939年に計画がスタートし、1943年12月には日本機最速の699.9km/hを記録した。この記録を超える機体は終戦まで登場しなかった。実験機は1機のみ製作され戦後進駐してきた米軍によってスクラップにされた。

 

キ78高速研究機(研三) 〜概要〜

 

 

性能

全幅 8.00m
全長 8.10m
全高 3.20m
自重 1,930kg
最大速度 699.9km/h(高度3,527m)
上昇力  -
上昇限度 8,000m(計画値)
エンジン出力 1,550馬力(DB601A改)1基
航続距離 600km(計画値)
乗員 1名
武装  -
爆装  -
設計・開発 山本峰雄 / 東京帝国大学航空研究所

 

開発

 1939年10月、陸軍航空技術研究所所長安田武雄中将は、速度世界記録樹立を目標とした速度研究機の開発を東京帝国大学航空研究所所長和田小六に依頼した。当時、世界では航空機の速度世界記録が頻繁に更新されており、日本もその競争に参加しようということであるのだが、いきなり世界記録を目指すことは様々な問題があり難しかった。このため第一段階で700km/h級の中間機を製作、第二弾で800〜850km/h級の記録機を製作するという方針が立てられた。

 当時、東大航研では「研二」と呼ばれる高高度研究機の開発を行っており、高速機の研究は「研三」として進められた。1940年1月には研三委員会が組織され、設計は山本峰雄所員が中心となり、製作は川崎航空機で行われることが決定、1942年12月に1号機が完成、12月26日に初飛行に成功した。

 機体は空気力学的に理想的と考えられる数値を探し出した結果、三式戦闘機飛燕に似たシルエットの風防と排気管、冷却器以外には突起物のない美しい流線形の胴体となった。主翼は桁に新たに開発されたSSDと呼ばれる超超ジュラルミンが採用、高速実験機であることから離着陸に支障のない程度に翼面荷重は高く設定された。このため翼面荷重は220kg/屬販軅錣簇擦2倍に達する高翼面荷重の機体となった。それにしても降着速度はあまりにも高速で脚を損傷する可能性があるため着陸はエンジンを徐々に絞って着陸する推力着陸という手法が採用された。

 風防は重量軽減のため脱着式を採用、搭乗員が乗り込んだ後、機体にネジで固定された。エンジンはメッサーシュミットBf109に採用されたDB601エンジンの改良型で、エンジンの回転数増加、メタノール噴射等の改良を施すことで馬力が1,175馬力から1,550馬力に強化されていた。プロペラは直径2.85m3翅のラチエ電気可変ピッチ式プロペラである。

 研三は小改良を加えながら飛行試験を続け、1943年12月27日の第31回飛行試験では最高速度699.9km/hを記録した。これは当時の日本航空機の最速記録であり、終戦までこの記録を上回る機体は登場しなかった。当初の計画にあった2号機は戦局の悪化のため中止となっている。

 

生産数

 実験機が1機のみ。戦後米軍の手によってブルドーザーでスクラップにされた。

 

まとめ

 

 研三とは日本の航空機の限界に挑戦した実験機であった。もしかするとオクタン価の高い燃料を使用すればさらに高記録を発揮したのかもしれないが、戦後は飛行することなく米軍の手によって破壊されてしまう。日本航空機技術者が世界に挑戦しようとした記念碑的な航空機である。

 

 

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