01_九八式水上偵察機
(画像はwikipediaより転載)

 

 九八式水上偵察機とは、日本海軍のお家芸である夜襲水雷戦で敵艦隊の補足、着弾観測を行う専用の飛行艇であった。水雷戦隊旗艦に搭載されて運用されたが、夜襲水雷戦の重要度が下がったことやレーダーの登場等により後継機は製作されなかった。日中戦争から太平洋戦争初期まで活躍した。

 

九八式水上偵察機 〜概要〜

 

性能

全幅 14.49m
全長 10.71m
全高 4.52m
全備重量 3,300kg
最大速度 217km/h
上昇力 3,000mまで18分35秒
上昇限度 4,425m
エンジン出力 620馬力(九一式22型水冷)1基
航続距離 2,065km(15時間)
乗員 3名
武装 7.7mm機銃1挺
初飛行 1937年
総生産数 17機
設計・開発 森盛重 / 愛知時計電機

 

背景から開発まで

 夜間偵察機(夜偵)とは水雷戦隊の夜襲を重視した日本海軍独自の機種で、水雷戦隊の夜襲時に敵艦隊に夜間接触するための専用の偵察機である。この夜間接触専用の機体を開発したのは日本海軍だけである。最初の夜偵は1932年に初飛行した愛知時計電機製六試夜間水上偵察機で飛行艇の形式を採用していた。これは6機製作されたが制式採用とはならず民間航空会社に払い下げられた。そして1936年7月13日、初めて夜間偵察機として愛知製九六式水上偵察機が制式採用された。

 

開発

 九六式水偵が制式採用された1936年10月1日、海軍は愛知と川西に十一試特種偵察機(E11A1)の開発を指示した。これに対して愛知は九九式艦上爆撃機の設計で有名な森盛重技師を設計主務者として開発を開始、翌年の1937年6月に試作1号機を完成させた。十一試特偵の形状も今までの夜偵と同様の飛行艇型で複葉単発、金属製の骨組みに羽布張りであった。機体をフロート付きの水上機ではなく飛行艇の形状にしたのは夜間の離着水を容易にするためで、風防は密閉式の涙滴型風防でエンジンは、愛知製水冷九一式22型(500馬力)で上翼中央に取り付けられた。プロペラは木製4翅、カタパルトによる射出が可能で主翼は上下共に後退角が付いており、後方に折り畳むことができた。

 性能は、最高速度が216.7km/h、高度3,000mまでの上昇時間が18分35秒、実用上昇限度が4,425m、航続距離が2,065kmであった。競合していた川西も試作機を提出したが、最高速度こそ231km/hと愛知製試作機よりも上だったものの全体的には愛知製が優れており、1938年6月27日、九八式水上偵察機として制式採用された。

 

 

生産数

 1937年から1940年までに試作機と増加試作機合わせて17機が生産された。終戦時には5機が残存している。

 

戦歴

 制式採用された九八式水偵は、水雷戦隊旗艦に配備された。1939年には軽巡川内、那珂の2隻に搭載、太平洋戦争開戦時には第一水雷戦隊旗艦軽巡阿武隈、第二水雷戦隊旗艦神通、第三水雷戦隊旗艦川内、第四水雷戦隊旗艦那珂の4隻にのみ搭載されている。水雷戦隊は他に第五、第六があるが、第五水雷戦隊は九四式水偵装備、第六水雷戦隊旗艦の夕張は航空機搭載能力を持っていなかったために九八式水偵は搭載されていない。

 九八式水偵の搭載艦はわずか4隻であるが、これらの艦艇にも任務に応じて九四式水偵が搭載されており、実際に搭載されていた機体は極少数である。太平洋戦争では、当時第五水雷戦隊旗艦であった神通に搭載されていた九八式水偵がスラバヤ沖海戦で11時間にわたり敵艦隊の夜間接触を行っている。但し、これも九四式水偵であったとする資料もある。

 実際の運用では夜間水偵という使用目的が限定された機種というのは使い勝手が悪かったのだろう。編成表には搭載する予定になっていても実際には零式水偵が搭載されている場合が多い。さらに開発時に想定されていた艦隊決戦も航空機が主力となったために実現することはなく、九八式水偵は姿を消していった。

 

まとめ

 

 夜間偵察機は艦隊決戦、夜襲水雷戦で敵艦隊の補足、着弾観測を行う専用の機種であった。夜間であるため戦闘機からの攻撃は考慮する必要はなかったが、代わりに長時間滞空出来る必要があった。このため九八式水偵は15時間に及ぶ滞空能力を持ち、演習時などには黒単色に塗装された本機が一晩中艦隊の上空に貼り付いている姿は非常に不気味であったという。夜間偵察の重要性が低くなったのと零式水上偵察機で代用可能であったため、本機以降、夜間偵察機という機種は制式採用されていない。

 

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