01_お茶の水の広場

 

神保町から秋葉原

 おっはトイレ〜!
管理人です。画像は古書店軍学堂を出たあと弁当を食べた広場。お茶の水にこんな広場があるのは知らなかった。小学生が遊んでいたけどこの辺りにも住人がいるんだなぁと思う。千代田区での生活って想像がつかないがどうなんだろう。スーパーマーケットがなさそう。

 行ったのは1月下旬なんだけど雪が残っていてビックリ。雪なんて降ったっけ?東京でも千代田区と郊外では違うようだ。因みにここに行った目的は神保町の古書店巡りをするためだったが、肝心の軍事オタク御用達の文華堂がお休みだったため軍学堂によりそのまま秋葉原方面に歩いて行った。私は歩くのは好きなのでこの程度の距離は全く気にならない。というか神保町と秋葉原って意外と近いことに気が付いた。

 

 

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ロッキードP-38ライトニング

 P-38ライトニングは1939年に初飛行した米陸軍の戦闘機で太平洋戦争開戦から終戦まで活躍した機体だ。1939年と言えば零式艦上戦闘機と全く同世代。しかし最高速度は675km/hと零戦の530km/hを大幅に上回っている。もちろん設計思想が違うのだけど1939年の段階で日本機で時速675km/hを出そうとしても無理だっただろうなぁ。

 最近、三式戦闘機の本を読んでいるけどやはり当時の日本の技術というのは遅れているんだよね。機体設計とかではなく基礎工業力だ。コイルスプリングが作れなかったりプレス加工が出来なかったりと。特にエンジンは超精密機器のため設計してもその通りに作るには当時の日本の技術力では難しかった。

 P-38ライトニングは日本では工作精度の関係から信頼性の低いものしか作れなかった液冷エンジンを搭載している。太平洋戦争開戦当初は格闘戦を行っていたために撃墜されることが多く「ペロ八」とあだ名を付けられていたが、一撃離脱戦法に変更してからは戦果を挙げていった。傑作機中の傑作機だ。

 

エンフィールドNo2Mk1

 エンフィールドNo2Mk1は、1928年に英国エンフィールド工廠で開発されたブレイクオープン式リボルバーだ。ブレイクオープン式とは銃身とフレームの間に回転軸がありそれを起点として銃をパッキリと折って排莢、装填をする機構のことだ。装填が容易だけどフレームの強度の問題で強力なカートリッジを使用することはできない。

 現在ではスイングアウト式リボルバーが主流だけど20世紀初頭前後ではこの方式のリボルバーも多かった。S&WNo3とか日本の二十六年式拳銃などが代表例だ。当時はそれほど強力な弾丸を撃つ必要性がなかったのだろう。しかし時代は下り、スイングアウト式リボルバーから自動拳銃へとなった。

 しかしエンフィールドNo2Mk1は1978年まで英国で使用され続けていたというから驚きだ。英国というのはソードフィッシュ雷撃機などのガチ旧式機も第二次世界大戦後まで使用し続けたりと何か独特の国だ。イラク戦争で着剣突撃をしたのも英国軍だったような。

 そんなこんなで今日も一日頑張ろう!
バーイ!

 




 

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