01_瑞鳳
(画像はwikipediaより転載)

 

航空母艦 瑞鳳型

 

 

性能(瑞鳳)

 基準排水量 11,200トン
 全長 205.5m
 全幅 20m
 機関出力 52,000馬力
 最大速力 28.2ノット
 航続距離 7,800海里 / 18ノット
 乗員 785名
 武装 40口径12.7cm高角砲連装4基
    25mm3連装機銃10基
    25mm連装機銃4基
    25mm単装機銃30挺
    12cm28連装噴進砲6基
 搭載機 常用27機、補用3機
 同型艦 2隻

 

建造経緯

 瑞鳳型空母とは厳密には瑞鳳、祥鳳、龍鳳千歳、千代田が該当する。但し、祥鳳は艦艇類別等級表に分類された時点では戦没している。但し、便宜上、この記事では瑞鳳型とは瑞鳳、祥鳳の2艦として解説していく。

 ワシントン海軍軍縮条約、ロンドン海軍軍縮条約により列強は艦艇保有率を決定した。日本はこの条約に抵触しない範囲で有事の際に航空母艦に改装できる補助艦艇の建造を計画する。つまりは条約制限外の艦艇として建造して有事の際には素早く空母に改装してしまおうということだ。

 この計画によって潜水母艦、給油艦、水上機母艦の建造を開始、空母改装の条件として3ヶ月程度の機関に180m以上の飛行甲板、31ノット以上の速力を発揮できることとした。とは言っても、最高速度は3ヶ月の改修でいきなりアップさせることも出来ず、つまりは最高速度31ノット以上のとんでもない高速の潜水母艦、給油艦が建造されている訳で、列強から見ればどう考えてもあやしい状態である。

 

変遷を経て空母となる

 それはともかく給油艦剣崎は1934年12月3日に起工、同高崎は1935年6月20日に起工されたものの、1935年9月に起こった第四艦隊事件の影響や新鋭空母蒼龍飛龍の建造により両艦の建造は大幅に遅れ、進水後放置される状態となったが、1937年になると日中戦争の勃発で民間のタンカーが徴用可能となったこと、同時に潜水母艦の必要性が高まったこと等から剣崎、高崎は給油艦から潜水母艦へと変更されて建造されることとなった。

 1939年1月15日には剣崎は潜水母艦として竣工したものの、高崎は空母として完成させるように計画変更(この時点で日本は軍縮条約から脱退している)、1940年12月27日に竣工、航空母艦瑞鳳となる。瑞鳳は給油艦から潜水母艦、空母と計画が二転三転しつつも最初から空母として竣工したことになる。

 これに対して潜水母艦として建造された剣崎は潜水母艦として一時任務に就いたものの、1940年11月には空母への改修が開始、計画では3ヶ月で空母への改装を完了させる予定であったが、主機関をディーゼルから蒸気タービンへと変更したために1年以上かかり、1941年12月22日に航空母艦祥鳳として完成した。

 このように複雑な変遷を経ているため、実際には祥鳳の方が起工も竣工も早かったが、空母としては瑞鳳の方が先であったため空母としては祥鳳は瑞鳳型の2番艦ということになる。瑞鳳型空母は排水量約11,000トン、飛行甲板上に艦橋を持たない平甲板型空母で飛行甲板が180m×23m、搭載機数は常用27機、補用3機の合計30機である。

 

 

戦歴

02_祥鳳
(画像はwikipediaより転載)

 

 1939年1月15日にいち早く潜水母艦として竣工した剣崎(祥鳳)はディーゼル機関の不調により最高速度が17ノット程度しかでない状態が続いていたものの2月5日には第二戦水戦隊に編入、潜水艦隊旗艦、さらに11月15日には第四潜水戦隊旗艦となった。

 1940年11月15日、潜水母艦剣崎は航空母艦への改装を開始、12月27日には僚艦瑞鳳が竣工した。瑞鳳は空母鳳翔と共に第三航空戦隊を編成、太平洋戦争開戦後の1941年12月8日には連合艦隊旗艦長門以下の戦艦部隊を護衛、小笠原諸島近海まで航海を行った。

 12月22日には僚艦祥鳳が空母改装完了、空母龍驤と共に第四航空戦隊を編成するが、1942年2月1日には南洋部隊に編入された。4月艦載機を旧式の九六式艦上戦闘機から零戦に更新、5月7日には珊瑚海海戦に参加、第五航空戦隊とは別行動で輸送船団を護衛したが、祥鳳は集中攻撃を受け轟沈、空母改装から約4ヶ月半後日本海軍で最初に撃沈された空母となった。5月20日除籍。

 

瑞鳳の死闘

 1942年5月27日、瑞鳳はミッドウェー攻略部隊として内地を出発するが会敵せずに帰還した。この際の搭載機は九六式艦戦、零戦、九七式艦攻であった。10月26日には南太平洋海戦に参加、飛行甲板に命中弾を受ける。修理を終えた瑞鳳は1943年1月にガダルカナル島撤退作戦であるケ号作戦の支援を行った。3月に発生したビスマルク海海戦では航空隊を派遣したが船団は連合軍の攻撃により壊滅した(ダンピールの悲劇)。

 1943年4月には瑞鳳航空隊がい号作戦、10月にはろ号作戦に参加、航空隊の半数を失ってしまう。1944年2月になると空母千代田、千歳と共に第三航空戦隊を編成、6月にはマリアナ沖海戦に参加した。10月25日エンガノ沖海戦に参加、航空機の集中攻撃により撃沈された。12月20日除籍。

 

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