01_零戦22型
(画像はwikipediaより転載)

 

丹 幸久二飛曹の経歴

 

 出身年不明、1939年4月に甲飛4期に採用、1940年8月修了、同年9月より飛練9期、1941年9月に飛練修了して戦闘機搭乗員となる。その後の経歴は不明であるが、1942年2月に4空隊員としてラバウル方面に派遣され、同年4月1日、台南空に配属された。6日に吉野 俐飛曹長の列機として2機を協同撃墜している。翌7日の空戦でエドワード・チュドバ操縦のA24バンシー爆撃機(SBDドーントレスの陸軍仕様)に撃墜された。陸攻隊に在籍していた小西良吉少尉の手記には20機程度の撃墜記録に達していたとある。

 

台南空の撃墜記録

 

 丹二飛曹の4空以前の所属部隊は不明であるが、この時期に4空から台南空に異動した搭乗員の経歴と同じだとすると、開戦時は千歳空に在籍していたことになる。千歳空は南洋のルオット島にあり、4空に一部の搭乗員が異動、それがラバウル方面に派遣されている。丹二飛曹がラバウル方面に派遣されたのは1942年2月なので活動期間は2ヶ月程度であるため「20機撃墜」というのは難しいかもしれない。

 判明している撃墜は2回で、併せて協同撃墜2機、連合軍側の撃墜認定の方法によれば1機撃墜ということになるが、当時の海軍戦闘機隊は小隊長機が第一撃をかけ、列機はそれを援護するというものであった。丹二飛曹が参加した2回の空戦時の小隊長は吉野俐飛曹長で、吉野飛曹長は乙飛5期で日中戦争で実戦を経験した後、太平洋戦争で活躍した搭乗員で、太平洋戦争開戦時にはベテラン搭乗員といって良いレベルであった。どちらかが撃墜したのだが現在これを判定するのは難しい。

 

丹 幸久二飛曹関係書籍

 

海軍陸上攻撃機隊―海軍中攻隊死闘の記録

高橋勝作他 著
今日の話題社 (1985/10/1)

 海軍陸上攻撃機搭乗員の手記を集めたもの。陸攻は機体の防弾装備が貧弱であったため戦闘機隊等に比べると搭乗員の生存率が非常に低かった。その中を生き残った搭乗員達の貴重な記録である。丹二飛曹のことは小西良吉少尉の手記に登場する。

 

ルーカ・ルファート、マイケル・ジョン・クラーリングボールド『台南海軍航空隊』

ルーカ・ルファート、マイケル・ジョン・クラーリングボールド 著
大日本絵画 (2016/2/1)

 本書はイタリア人ルーカ・ルファート氏、オーストラリア人マイケル・ジョン・クラーリングボールド氏によって書かれた太平洋戦争初期のラバウル、ラエ周辺の台南空と連合軍の航空戦の実態を調査したものである。ソロモン航空戦まではカバーしていない。

 近年、この種類の著作が多く出版されているが、本書はポートモレスビーで育った著者がその地域で起こった戦闘を調査するという地域史的な要素を持つ異色のものだ。オーストラリア人の著作であるため、連合国軍側の視点で描かれていると思っていたが、読んでみると、著者は日米豪それぞれの国のパイロット達に対して非常に尊敬の念を持っていることがわかる。

 連合軍も日本軍も撃墜戦果が過大であったことが分かり、丹二飛曹の最後の空戦の状況も克明に描いている。

 

 

まとめ

 

 丹二飛曹は一部資料では撃墜20機とされている。しかしラバウル方面に派遣される以前に実戦を経験していないとすると、4月2日の空戦が初空戦となる。そうすると実戦に参加した期間は恐らく6日間で空戦回数は確認できる限りで3回なので20機撃墜は難しい。しかし撃墜数というのは日本軍も連合軍も誤認が多く過大になりがちであり、搭乗員の技量を測る基準としてはあまり意味をもたない。

 

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