
(画像は雲龍 wikipediaより転載)
航空母艦 雲龍型
10分頃より空母天城
性能
基準排水量 17,150トン
全長 227.35m
全幅 22m
機関出力 152,000馬力
最大速力 34ノット(葛城は32ノット)
航続距離 8,000海里 / 18ノット
乗員 1,167名
武装 40口径12,7cm高角砲連装6基
25mm機銃3連装9基
12cm28連装噴進砲6基
爆雷投下台1基
搭載機 定数51 機
同型艦 3隻(就役艦)
概要
雲龍型は飛龍型をベースに改良された中型空母である。1941年、米国のエセックス級空母の建造計画に対抗するために海軍は大鳳型空母3隻の建造を計画した。しかし予算の関係で大型空母3隻は無理ということになり、大型空母2隻、中型空母1隻という形に変更された。これがのちの雲龍である。
飛龍の設計を流用して建造されたが、何かと問題のあった左舷にあった艦橋は右舷に移動、飛龍がエレベーターが3基あったのに対して雲龍型は2基のみである。しかし飛龍が前方から16×12m、12×11.5m、10×11.8mであったのに対して14×14m、14m×13.6mと大型化しているだけでなく、昇降スピードもアップしている。これは開発中の烈風、流星、天山等の大型化していた新型機に合わせるためのものである。
その他、新型着艦制動装置の設置、対空兵装の強化、飛龍型で採用された舵は小回りが利かないため蒼龍型と同じ並行式2枚舵に戻されている。当初は同型艦3隻を建造する計画であったが、ミッドウェー海戦後の空母不足のため同型艦15隻が建造されることとなった。しかし実際に建造されたのは雲龍、天城、葛城、笠置、生駒、阿蘇の6隻で竣工したのは雲龍、天城、葛城の3隻のみである。
但し、機関製造が間に合わなかったため三菱長崎造船所で建造された天城、笠置は同出力の伊吹型巡洋艦の機関を搭載、呉海軍工廠で建造された葛城、阿蘇は駆逐艦用の機関を2セット搭載している。同出力の機関を搭載した天城は雲龍と同速度を発揮することができたものの、駆逐艦用の機関を搭載した葛城は雲龍、天城よりも2ノット遅い32ノットとなった。
戦歴

(画像は天城 wikipediaより転載)
1番艦雲龍は1942年8月1日起工、1943年9月25日進水、1944年8月6日に竣工している。竣工すると天城と共に第一航空戦隊を編成するが、この時点ではマリアナ沖海戦で航空隊は壊滅していたため空母機動部隊として運用されることはなかった。12月17日、フィリピンへ特別攻撃機桜花を始め大発、各種車両等の軍事物資を輸送するために呉を出航したが、19日、米バラオ級潜水艦レッドフィッシュの雷撃により撃沈された。
2番艦天城は1942年10月1日起工、1943年10月15日進水、1944年8月10日に竣工している。竣工すると雲龍と共に一航戦を編成するが出撃の機会はなかった。1945年4月20日、竣工していた同型艦葛城と共に大型艦による水上作戦が放棄されたため予備艦に指定される。7月24日、呉軍港空襲により被弾、さらに28日の空襲により横転沈没した。
3番艦葛城は1942年12月8日起工、1944年1月19日進水、1944年10月15日に竣工している。竣工すると同型艦雲龍、天城と共に一航戦に編入されるが出撃の機会はなく呉に係留された。1945年4月20日には予備艦指定、7月24日、28日の呉軍港空襲で被弾、僚艦天城は沈没するが葛城は大破しつつも致命傷とはならず航行可能な状態で終戦を迎えた。
戦後は復員船として運用、復員船としては最大の船であったため遠方の南方方面を担当、ラバウル、オーストラリア、仏印(ベトナム)等を合計8航海、49,390名の復員者を輸送した。1946年11月20日特別輸送艦解任、11月30日解体完了した。未完成の4番艦笠置は1943年4月14日起工、1944年10月19日進水するが、1945年4月までに工事進捗率84%で建造中止となった。5番艦阿蘇は1943年6月8日起工、1944年11月1日進水するが同月9日に進捗率60%で工事中止、6番艦生駒は1943年7月5日起工、1944年11月17日進水するが阿蘇と同じく11月9日に工事中止、進捗率60%であった。
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