杉田庄一
画像はwikipediaより転載

 

 杉田庄一は、総撃墜数は単独撃墜70機、共同撃墜40機と言われている日本海軍屈指の戦闘機搭乗員である。この撃墜数は、単独と共同が逆じゃないかという指摘もあるが、それは置いても杉田が戦死した時、全軍に発せられた布告分に記載されている数字なので公認といえば公認なのかもしれない。しかし太平洋戦争当時の混乱した戦闘の中では必ずしも撃墜の確認ができたとは言えない。撃墜数は一つの目安と考えた方がいいだろう。

 

杉田庄一

 

略歴

 1924年新潟県に生まれる。1940年で海軍に志願。1942年3月丙3期修了。6空に配属される。ミッドウェー海戦を経験する。1942年6空隊員としてラバウルに進出。12月には体当たりでB17を撃墜している。1943年4月18日の山本五十六戦死の時は護衛戦闘機隊として空戦に参加。1944年3月263空に配属。7月201空に異動。1945年1月343空戦闘301飛行隊に配属。4月15日離陸中を奇襲され戦死する。

 

 

戦中派搭乗員

 この杉田は戦前に海軍に志願し、その後丙飛3期として予科練で教育を受ける。同期には、杉野計雄谷水竹雄がおり、彼らとは同じ教員に教育を受けている。飛練終了後、実戦部隊配属、最初にミッドウェー海戦を経験するという日本が優勢だった前半ではなく、劣勢に向かっていく中盤以降を担当した搭乗員である。

 それゆえ、予科練、その後の飛練でも太平洋戦争開戦以前の搭乗員のように十分な訓練を受けて、尚且つ、日中戦争という比較的激しくない空戦場で十分な経験を積むという恵まれた環境にはなかった。訓練課程を終えた杉田は新編の第6航空隊に配属される。この部隊は本来ならミッドウェー島航空隊となるはずだったが、ミッドウェー海戦で日本軍が敗北してしまったためミッドウェー島進出は中止となり、内地に帰還後、ラバウルに進出を命ぜられる。当然、第6航空隊に所属する杉田もラバウルに進出する。

 杉田の性格をよく表しているのが杉田の初撃墜である。当時、18歳で最年少搭乗員だった杉田は体当たりでB17を撃墜。その後、多くの激戦を生き抜き、204空と改称された第6航空隊での最多撃墜記録保持者となる。1943年4月、山本五十六連合艦隊司令長官が前線視察する際の護衛戦闘機6機の内の一人として護衛任務に就く。

 しかしこの視察は通信傍受により米軍の知るところとなってしまう。ブーゲンビル島付近で米陸軍のP-38ライトニング戦闘機の待ち伏せを受けた一行は激しい空中戦となる。この空戦で杉田は2機を撃墜するが山本長官機は撃墜されてしまう。この「守り切れなかった」という気持ちは随分のちまで杉田を苦しめた。

 この事件後も杉田は激烈な空戦を戦い抜いたが負傷して内地に帰還することになる。こので教員勤務を経た後、1944年3月、263空に転属、さらに同7月201空に編入される。

 1945年1月、343空戦闘301飛行隊に転属になる。この343空とは、ほぼ全機が最新鋭機紫電改で編成された決戦部隊である。この部隊でも戦果を挙げるが4月15日、離陸中を攻撃され戦死する。わずか21歳であった。杉田は坂井三郎と共に多撃墜者として表彰されるが、戦果に関しては個人撃墜(70機)と共同撃墜(40機)が逆だったのではないかとも言われるが詳細は不明である。

 

杉田庄一関連書籍

 

笠井智一『最後の紫電改パイロット』

笠井智一 著
潮書房光人新社 (2016/9/1)

 予科練甲飛10期という戦争後半を担当した零戦搭乗員。中部太平洋から比島、本土防空戦と戦い抜く。若年パイロットながら、その間の撃墜数は10機とすごい。猪突猛進の菅野直隊長、同じく杉田庄一と名だたる撃墜王のウイングマンとして戦い続け、無事終戦を迎えることができた。

 本書が上梓された時はすでにかなりの高齢だったためか全体的に漠然とした印象のある戦記となっている。職人気質で自分の技術を部下に教えたがらない海軍パイロットの中で、杉田庄一上飛曹は包み隠さず全ての技術を部下に教えた。さらに部下に暴力は振るわず指導は優しさに溢れていた等、知られていないエピソードが満載の本。

 

高城肇『六機の護衛戦闘機』

高城肇 著
光人社; 新装版 (2011/8/1)

 『大空のサムライ』のゴーストライターであった高城肇氏による著作。山本五十六連合艦隊司令長官が撃墜された「海軍甲事件」時に護衛を務めた6機の零戦の6名のパイロットを描く。彼らの内、戦争を生き残ったのは右腕を切断する重傷を負った柳谷謙治氏1名のみ。その他のパイロットはわずか2ヶ月前後で戦死してしまう。柳谷以外に唯一、ラバウルから生還した杉田庄一も1945年に戦死する。

 

第204海軍航空隊編『ラバウル空戦記』

第204海軍航空隊 (編集)
朝日ソノラマ (1987/03)

 ラバウル航空戦初期に投入され終盤まで戦い続けたラバウル航空隊屈指の部隊「204空」生存者が編纂した戦記。本書が編集された時点ではまだ多くの生存者がおり、記憶も鮮明だったこともあり、内容はかなり詳しく書かれている。戦争中盤以降、さらに激しさを増すラバウル航空戦の壮絶な状況が克明に描かれている。体当たり撃墜で初撃墜をした杉田庄一兵曹が、「怒られるのではないか」と不安がっている姿などほほえましいエピソードもある。

 

高木晃治・ヘンリー境田『源田の剣 改訂増補版』

高木晃治・ヘンリー境田 著
双葉社 (2014/7/18)

 米国の戦史研究家ヘンリーサカイダ氏が日米の記録を徹底的に調べた名著。伝説の紫電改戦闘機隊である「343空」の全戦闘を詳しく書いている。有名な紫電改戦闘機隊は、初空戦で敵機撃墜57機の大戦果を挙げるが、米軍の損害は13機のみであったことや日米のパイロットの素性にまで調査が及んでいる。343空に関してはこれ以上ない名著。

 

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