岡部健二
(画像はwikipediaより転載)

 

 著名なエース坂井三郎と同期の母艦戦闘機隊のエースである。戦争後半の同調圧力の中で特攻作戦に強硬に反対した気骨のある搭乗員だ。撃墜数は15機とも、また50機ともいわれる。実際のところは不明であるが、操練38期出身で、日中戦争に参加、太平洋戦争では優秀者が選抜される母艦戦闘機隊に配属されていた優秀な搭乗員であった。

 

略歴

 岡部は、1915年5月福岡県に生まれる。海軍に入団後、航空兵を目指し、第38期操縦練習生として採用される。1937年11月38期操練を卒業。佐伯空、大村空を経て、1938年7月12空に転属。中国戦線に出動したが空戦を経験することはなかった。その後、空母翔鶴乗組となり、太平洋戦争開戦を迎える。真珠湾攻撃では母艦の上空直衛任務に就く。

 1942年4月9日のトリンコマリ上空に空戦が初陣。2機を撃墜する。1942年5月8日の珊瑚海海戦では空母上空直衛中に、急降下点で米艦爆群を待ちうけてSBD3機、F4F3機撃墜確実、F4F2機不確実の合計8機の撃墜戦果を報告した。1943年7月再び翔鶴乗組、「ろ」号作戦で11月ラバウル進出する。その後大村空に異動、1944年7月634空に配属され、レイテ作戦に参加する。11月に本土に戻り601空に転属して終戦を迎える。

 

母艦戦闘機隊員としての戦い

 太平洋戦争は新鋭空母翔鶴の戦闘機隊として迎えた。真珠湾攻撃では上空直掩である。この時、上空直掩を行った搭乗員には20機以上を撃墜したと言われる菊池哲生、216機撃墜を自称する岩本徹三、撃墜18機の小町定、10機以上撃墜の原田要などがいる。珊瑚海海戦では、岡部健二はまたもや上空直掩となり、攻撃してきた米空母艦載機を次々と8機を撃墜する。この海戦には瑞鶴" target="_blank" title="">瑞鶴の上空直掩として岩本徹三が参加していた。その後、「ろ」作戦で岡部健二もまたラバウルに派遣されることとなる。しかし期間は短かったようだ。

 

特攻には絶対反対

その後フィリピンに進出するが、ここで元台南空飛行隊長中島正少佐に対し、特攻反対を唱える。中島少佐からは不穏分子と睨まれ迫害されたようである(杉野計雄『撃墜王の素顔』光人社1997年)。岡部は同僚の角田和男少尉に対しても「戦闘機乗りは死んだら負けだよ」と特攻を思いとどまらせようとしていた。岡部は妻へのお土産の靴や香水、化粧品をみんなに見せびらかし絶対に持って帰ると言っていたという。

 特攻推進派で後から行くと多数の特攻隊員を送り出した中島少佐は戦後、特攻隊員達をネタに本を出版、航空自衛官として昇進を重ね、空将補となり位人臣を極める。晩年は陶器作りに精を出すという悠々自適な生活を送り1996年、86歳で天寿を全うした。確かに後から行くというのは嘘ではなかったようだ。それはそうと岡部少尉、やっとのことで内地に戻ったが最後に所属した航空隊も601空という母艦戦闘機隊であった。

 岡部健二はこの激しい太平洋戦争を生き抜いた。撃墜数に関しては、エース列伝では15機ということになっている。しかしヘンリーサカイダ『日本海軍航空隊のエース』大日本絵画1998年によると撃墜数50機ということになっているが、この50機という数字は岡部本人の記憶によるものだという。

 

ヘンリーサカイダ『日本海軍航空隊のエース1937‐1945』

当時の搭乗員に直接インタビューもしてたり、独自取材もしている。大原亮治飛曹長のことを「ラバウルの殺し屋」と書いて抗議されたのも本書だったはず。航空機のカラー絵も多い。岡部健二少尉にはインタビューしているようで項目を立てて解説している。

 

日本海軍戦闘機隊―付・エース列伝

伊沢 保穂 秦郁彦 著
酣燈社 改訂増補版 (1975)

 1975年初版の海軍のパイロット好きには必携の本。撃墜王、エースの一覧表、主要搭乗員の経歴、さらには航空隊史、航空戦史まで網羅している。2000年代に再販されているが、その際にエース列伝と航空隊史・航空戦史が分冊となってしまった。古くてもいいから1冊で読みたいという方にはこちらがおススメ。こちらも岡部健二少尉は項目を立てて解説している。

 

杉野計雄『撃墜王の素顔』

 総撃墜数32機といわれている杉野計雄氏の著書。当初はミッドウェー島航空隊になる予定だった6空隊員としてミッドウェー海戦に参加。乗艦が撃沈され内地帰還後は、母艦戦闘機隊隊員として活躍する。この時期のパイロットとしては幸運にも十分な訓練期間を与えられたようだ。ラバウル航空戦、比島、本土防空戦に参加する。フィリピン戦のくだりで岡部健二少尉が特攻に反対していることが記されている。

 

神立尚紀『祖父たちの零戦』

 神立尚紀氏が零戦搭乗員とのインタビューで書き上げた本。戦後の人間としての搭乗員の生き様が描かれている。岡部健二少尉の話もフィリピン戦のくだりで登場する。人物が生き生きと描かれていてよい。その他、坂井三郎少尉の戦後の話等も面白い。この部分に関しては坂井スマート道子氏の著書で違う視点から本書に対して意見を書いているのでどちらも読むことをおすすめする。

 

 

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まとめ

 

 岡部健二少尉は操練38期。著名なエースである坂井三郎少尉と同期である。母艦戦闘機搭乗員として有名を馳せた彼は周囲の圧力にも屈せず自説を主張した勇敢な男であった。総撃墜数は15機といわれているが本人の記憶では50機撃墜したという。

 

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