01_鳳翔
(画像はwikipediaより転載)

 

鳳翔

 

性能

 最大排水量 8,480トン
 全長 168.25m
 水線幅 17.98m
 飛行甲板 168.25m×22.7m(1944年改装後 180.8m×22.7m)
 機関出力 30,000馬力
 最大速力 25ノット
 航続距離 10,000海里/14ノット
 乗員 550名
 武装 14cmcm砲単装4基
    8cm高角砲4基
    13mm連装機銃6基
 搭載機 常用15機、補用4機  同型艦 1隻

 

建造経緯

 日本海軍が初めて建造した空母である。当初は水上機母艦として計画されたが、のちに前後に甲板を持つ空母、さらに全通甲板空母へと変更される。1920年12月16日より横浜の浅野造船所で起工するが、日本は空母の建造技術がなかったため、イギリスに技術団の派遣を要請、この技術団のアドバイスにより建造された。この時期はまだ日英同盟が存続していたのだ。1921年11月に進水、1922年12月27日に竣工した。

 1923年に発着艦を含む公試が行われたが、その結果、甲板上にあるアイランド型艦橋が航空機の発着艦の邪魔になることが判明、1924年に艦橋を飛行甲板前端部に移した。さらに当初縦索式であった着艦制動装置も横索式へと変更している。

 

 

竣工から終戦まで

 1928年4月1日、大型空母赤城と第一航空戦隊を編成、1932年2月には第一次上海事変に参加、1937年7月に日中戦争が始まると鳳翔も日中戦争に参加した。1940年11月には空母龍驤とともに第三航空戦隊を編成、三航戦として太平洋戦争開戦を迎える。

 鳳翔は、この時点ではすでに旧式艦となっていたため鳳翔と三航戦を編成する空母瑞鳳と共に艦隊の対潜哨戒任務に当てられていた。特に目立った活躍のないまま1942年4月1日、三航戦は解隊、第一艦隊附属となった。1942年6月のミッドウェー海戦では戦艦部隊の護衛艦として参加、九六式艦上戦闘機9機(補用2機)と九六式艦攻6機(補用2機)を搭載して任務に当たった。

 ミッドウェー海戦は日本軍の敗北となるが、鳳翔は艦隊からはぐれた駆逐艦の誘導、医療品の輸送などに活躍した。これを最後に鳳翔は第一線を引退、以後は着艦訓練緩、潜水艦訓練の標的などの任務に当たった。1943年1月15日には空母龍鳳とともに第五十航空戦隊を編成、第三艦隊に所属することとなった。母艦搭乗員の訓練部隊である。

 1944年1月1日、五十航戦は廃止、鳳翔は新たに編成された第五十一航空戦隊に編入されるが、2月には連合艦隊附属となる。1944年には飛行甲板の延長とエレベーターの拡大工事が行われたが、この改修により艦橋の前方視界と艦の復元性が悪化、外洋行動が不可能となった。さらに燃料不足と相まって鳳翔は以降、呉軍港から動くことなく終戦を迎えた。

 終戦後は、飛行甲板前部を撤去して外洋行動能力を再び手に入れると復員船として活躍、約4万人を輸送したのち1947年に解体された。

 

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