
(画像はwikipediaより転載)
秋津洲は日本海軍が飛行艇の長大な航続距離を活かした攻撃を行うための拠点として建造された飛行艇の補給、整備のための専用艦である。3隻の建造が計画されたが完成したのは秋津洲1隻のみであった。戦争後半では飛行艇の支援よりも輸送任務で活躍している。
飛行艇母艦秋津洲 〜概要〜
性能(竣工時)
通常排水量 5000トン
最大排水量 -トン
全長 114.8m
全幅 15.8m
吃水 5.4m
機関出力 8000馬力
最大速力 19ノット
航続距離 8000海里/14ノット
乗員 338名
搭載能力 航空燃料689トン
航空魚雷36本
爆弾800kg30個、500kg15個、250kg100個、60kg100個
最終時のみ魚雷艇5隻
武装 40口径12.7cm高角砲連装2基
25mm連装機銃2基
九四式爆雷投射機1基
同型艦 1隻
特徴
飛行艇母艦秋津洲は日本海軍独自の戦術である飛行艇による長距離攻撃を行うための洋上拠点として建造された飛行艇の補給、整備をするための専用艦である。同型艦は3隻建造予定であり、以降も多くの飛行艇母艦の建造が計画されたが、完成したのは秋津洲のみである。
1940年10月起工、1942年4月29日に竣工した。全長114.8m、全幅15.8m、排水量4,650トンで当初は船尾にスローブを設けて艦上に飛行艇を収容する計画であったが技術的に困難であることが分かり艦尾35トンの大型クレーンを装備する方法に変更された。このクレーンによって飛行艇を艦上に上げて整備、補給を行うことが出来る。但し、この状態で航行することは想定されていない。艦内には燃料、弾薬の他、工作室もあった。外観上の特徴は独特の迷彩塗装で攻撃力がほぼ無い秋津洲のせめてもの防御策であった。
同型艦
秋津洲(起工1940年10月29日、進水1941年7月25日、竣工1942年4月、1944年9月沈没)
飛行艇母艦秋津洲 〜戦歴〜
太平洋戦争開戦後の1942年4月に竣工した秋津洲は5月にはラバウルに進出した。同戦域には飛行艇部隊の横浜航空隊が展開しており、横浜空への支援任務に活躍した。8月には、さらに前線に近いショートランド島に進出。この地に進出している飛行艇部隊の支援を行う。12月には本土に帰還、横須賀で整備を受けたのち、1943年1月には再びショートランド島に進出、2月からはマーシャル諸島、ギルバート諸島などで活動した。6月には千島列島の幌筵島に移動、キスカ島撤退作戦の支援にあたる。キスカ島撤退作戦終了後は、輸送任務に活躍した。1944年8月には工作艦不足から工作艦に改造されるが、11月米艦載機の攻撃により撃沈された。
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