99式機銃
(画像は九九式機銃。上が1号銃、下が2号銃 wikipediaより転載)

 

 九九式機銃とは、零戦など海軍航空機に搭載された機銃でそれまでの7.7mm機銃に比べて圧倒的な威力を誇った。零戦に初めて搭載され、以降の海軍戦闘機には必ずと言っていいほど搭載された機銃であった。九九式機銃には2種類あり、大まかには初期の1号銃が短銃身、2号銃が長銃身と理解すると分かりやすい。

 

〜九九式機銃の概要〜

 

 九九式機銃は海軍航空機の主力機銃で口径20mmの陸軍では「砲」に該当するほどの大口径機銃であった。この九九式機銃は、スイスのエリコンFF型20mm機銃を国産化したもので、当初は恵式20mm機銃と呼ばれていた。1936年6月にエリコン社とライセンス契約が結ばれ、1937年には、大日本兵器株式会社でノックダウン生産(部品を輸入して組み立てること)を開始、1938年7月からライセンス生産を開始した。

 九九式機銃には、大きく分けて銃身の短い1号(銃身長812mm、全長1331mm)と銃身の長い2号(銃身長1252mm、全長1890mm)の2種類があり、1号銃には1〜4型、2号銃には2〜5型まである。銃は銃身が長いほど初速(弾丸のスピード)が速くなる。銃身長812mmの1号銃の初速が600m/秒であるのに対して440mm銃身長が延長された2号銃の初速は750m/秒となった。初速が早くなると同じ弾丸でも直進性が高くなる。

 

1号銃

 

1号銃1型、2型

 1号銃1型はスイス製のもので弾倉はドラム方式で装弾数60発。それを国産化したのが2型で同じくドラム弾倉で装弾数は60発、重量23kg、発射速度520発/分で1941年11月制式採用、1型は初期の零戦11型、21型等に搭載されている。

 

1号銃3型、4型

 3型は2型を空気装填油圧発射式にしたものでドラム弾倉を使用、装弾数は40発増えた100発となった。弾倉が大型化したため零戦32型では弾倉部分は機体の一部を弾倉の大きさに合わせて変形させている。発射速度は520発/分。4型で給弾方式がドラム弾倉式からベルト給弾式に変更される。発射速度も速くなり550発/分となった。

 

2号銃

 

2号銃2型

 九九式2号銃はエリコンFFLを国産化したもので、1940年7月に試作に着手。9月には1号銃が完成し、1942年7月22日、2号銃2型として制式採用された。2号銃2型は弾倉式で装弾数は恐らく60発。少数のみ生産されたようだ。

 

2号銃3型

 2号銃3型は、ドラム弾倉式で装弾数100発。1号銃3型の長銃身モデルである。1号銃3型の発射速度が520発/分であるのに対して、2号銃3型では480発に減少した。重量33.5kg。2号銃4型はベルト給弾式で、重量38kg、発射速度500発/分である。

 

2号銃4型

 4型にはブローバックの退却長を短縮、強力なスプリングを使用して発射速度を向上させた発射速度増大型がある。この改良によって発射速度は620発/分となったが、反動も増大した。

 

2号銃5型

 2号銃5型はベルト給弾式で重量38.5kg。4型で行った発射速度増大の改良をさらに行い、発射速度は720発/分となった。

 

一八試20mm機銃

 日本特殊鋼の河村正弥博士が開発したもので、1943年5月から開発を開始、1945年5月に試作銃が完成している。要目は全長1.95m、重量45.5kg、初速900m/sで発射速度は700発/分であり、甲戦闘機陣風に搭載予定であったといわれている。

 

九九式機銃関係の書籍

 

零戦一代

田中悦太郎 著
サンケイ新聞出版局 (1966)

 日本海軍の機銃に関しては最も詳しい人といってよい田中悦太郎氏。氏が執筆した本書は日本海軍の機銃について詳しく書いてある。

 

日本軍用機航空戦全史〈第5巻〉大いなる零戦の栄光と苦闘

秋本実 著
グリーンアロー出版社 (1995/8/1)

 零戦の項目に九九式機銃について詳しく書いてある。その他航空機に関しても詳細されているのでおすすめの一冊。

 

 

まとめ

 

 零戦の特徴の一つにこの20mm九九式機銃が挙げられることがある。この機銃は特に地上銃撃において驚異的な威力を発揮した。当初は装弾数が55発と少なく銃身の短さからくる直進性の低さという問題はあったが、改良を重ねることで最後は200発にまで増強され、発射速度や直進性も向上した。日本海軍の戦闘機は開戦から終戦までこの機銃と共に戦ったのだ。

 

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