01_真珠湾攻撃
(画像はwikipediaより転載)

 

超要約

 

 真珠湾攻撃で破壊出来なかった備蓄燃料、工廠を第二次攻撃を行い破壊することができたとしても日本側の損害は大きく、米側は国力に物を言わせて速攻で修理、補充してしまうだろう。全体の戦略への影響は大きくはない。

 

真珠湾攻撃で第二次攻撃を行った場合

 

お遊びの思考実験

 1941年12月8日、南雲忠一中将率いる日本海軍機動部隊は真珠湾を攻撃した。奇襲攻撃となったためもあり攻撃は大成功、米海軍の戦艦部隊を中心に真珠湾に停泊していた艦隊、航空機等に大損害を与えた。これに対して日本軍の損害はわずか29機、計算通りの大勝利であった。しかし攻撃自体は成功したものの問題がなかった訳ではない。

 この問題とは、第一に米空母部隊を撃沈することが出来なかったこと、第二に真珠湾に蓄えられていた450万ガロンの石油、海軍工廠に攻撃を掛けなかったことなどだ。但し、これらを攻撃するには一回の攻撃では目標が多すぎる。このために再度攻撃を行う必要があった。真珠湾攻撃の問題、批判はほぼここに集約されるといってよい。

 そこで今回は、もしも南雲機動部隊が真珠湾攻撃で第二次攻撃をかけていたらどうなったのだろうかということについて思考実験をしてみたい。例によってであるが、これはあくまでも私の主観の範囲での想像なので一つの考え方として読んでもらえれば幸いである。要するに単なる遊びの空想にすぎないのだ。

 

戦艦が偉大な時代であった

 能書きと言い訳はこのくらいにして、真珠湾攻撃の第二次攻撃について検討してみたい。そのためにはまず真珠湾攻撃というのがどのようなものだったのかを簡単に見てみたい。詳しく書くと面倒なのであくまでも「簡単に」である。

 真珠湾攻撃というのは当時の連合艦隊司令長官山本五十六大将の独創であったと言われる。空母機動部隊で真珠湾に停泊する艦艇を攻撃するというのは現在では何の面白味もない普通の作戦であるが、当時は未だ航空機は軍隊の戦力の中心となっていなかった時代、海軍においては戦力の主力はあくまでも戦艦の時代であった。

 この戦艦の時代といっても現在では逆に戦艦がどれだけすごかったのかが想像できないであろう。飛行機がなかった時代の海戦というのは基本的に二次元の遮蔽物のない海上で行われる。海戦というのは遠くから大砲で敵艦と撃ちあうもので勝敗を決めるのは大砲の飛距離と威力、そして軍艦の速度であった。

 遮蔽物が無いため海戦の勝敗はかなり物理的な理由で決定する。要するに遠距離まで届く大砲を持っている方が勝つのだ。そこにいくと大口径砲を持つ戦艦は圧倒的であった。口径の小さい大砲を持つ艦艇では接近することすらできない。射程外から戦艦の砲撃で撃沈されてしまう。まさに戦艦とは無敵だったのだ。

 

真珠湾攻撃の目的と概要

 そこにいくと航空機というのは海のものとも山のものともつかぬ新兵器であった。速度は速いものの装甲も薄く携行できる爆弾の量も少なかった。もっとも太平洋戦争開戦前夜になると航空機の攻撃力も相当向上しており、急降下爆撃、雷撃などでの対艦攻撃も可能であった。

 そうはいっても所詮は航空機、戦艦の重装甲の前には太刀打ちできないというのが一般的な考え方であった。その航空機を使って停泊中の戦艦部隊を撃沈してしまおうというのは当時としてはかなり奇抜であり、賭けの要素の強い計画であった。

 このため海軍の実戦部隊を統括する軍令部は猛反対、下手をすると貴重な空母部隊をすべて開戦一日目で失ってしまうのだ。しかし連合艦隊司令長官山本大将は自身の進退をちらつかせて作戦を許可させてしまう。問題は真珠湾攻撃は許可されたものの、軍令部と連合艦隊司令部では作戦の目的が異なっていた。

 軍令部は当初からの対米戦の計画通り、中部太平洋での米艦隊との艦隊決戦という考えを持っており、開戦後、日本軍が南方資源地帯を制圧する間、米戦艦群に邪魔をされないように一時的に戦艦部隊を動けないようにするのが目的、これに対して連合艦隊司令部では、開戦劈頭で敵に大打撃を与えることで米国民の戦意を打ち砕くことが目的であったようだ。

 作戦目的が統一されないまま南雲機動部隊は出撃、12月8日、第一波攻撃隊183機は真珠湾に停泊中の戦艦部隊を中心に攻撃、続く第二は攻撃隊167機もまた艦艇や航空機を攻撃した。この攻撃の結果、戦艦部隊には大打撃を与えたものの、残念ながら空母は真珠湾にはおらず撃沈することは叶わなかった。さらに前述のように燃料や修理を行う海軍工廠は無傷であった。

 機動部隊では第二次攻撃を行うことも検討されたが、南雲中将は目的を達成したと判断、再攻撃は行わずに帰路に就いた。このため米軍は湾内で撃沈された戦艦群をすぐに引き上げ海軍工廠で修理を行い戦争後半には続々と前線に復帰することになった。さらにはふんだんにある燃料を使い、無傷の空母が跋扈するようになってしまった。

 

第二次攻撃では迎撃機は多くなり対空砲火はさらに強力になっている

 それでは、もしここで第二次攻撃を行っていたらどうなっていたのであろうか。米軍が備蓄していた大量の燃料や海軍工廠は破壊され、真珠湾で撃沈された戦艦はしばらくは動けず、何なら珊瑚海海戦で中破した空母ヨークタウンの修理も行われなかったためミッドウェー海戦の様相も随分変わっていたということがよく言われる。

 では本当にそうかといえば、当時の状況を考えるとそうも言えない。確かに第一次攻撃は大成功であったと言って良い。しかし米軍もバカではない。第一波の攻撃中ですら米軍は即座に応戦、日曜日の朝であったにも関わらず来襲した日本機に対して激しい対空砲火を浴びせた。このため日本機も第一波では9機を失っただけだが、第二波攻撃では20機もの航空機を失っている。

 そこで第二次攻撃をかけた場合、航空機の損害はさらに大きいものになる。日本機は米軍機に比べて装甲が薄い、このため対空砲火やその他の攻撃で被弾するとあっさりと撃墜されてしまう。第一次攻撃で29機を失ったのであれば、機数も少なく反撃の体制も整った中に突入していく第二波攻撃隊ではさらに大きな損害が出たであろうことは容易に想像できる。さらに第二次攻撃となれば第一次攻撃で被害を免れた米陸軍戦闘機P-36ホークP-40ウォーホーク戦闘機約30機が迎撃に上がってくる。これらを考慮すると第一次攻撃以上の損害は発生したことは間違いない。

 

近海に遊弋する2隻の米空母

 そして重要なのは、運良く真珠湾から出ていた米空母レキシントンエンタープライズの2隻がハワイ近海に遊弋していたことである。これら2隻の空母は、真珠湾攻撃を知るやいなや任務を中止、日本軍機動部隊の捜索を開始している。現実では日本軍機動部隊は米空母に発見されることなく無事帰還rしているが、第二次攻撃を行っていれば、米空母に発見された可能性はある。

 日本側空母6隻に対して米軍は空母2隻と数は少ないものの、日本側は二度の攻撃を行い航空機は少なからず消耗している。撃墜を免れた機体であっても出撃出来ない程の被害を受けた機体もある。そこに無傷の空母2隻の攻撃を受ければそれなりにダメージはある。少なくとも返す刀で米空母を返り討ちというのは難しいだろう。運が悪ければ大損害が出る。

 

攻撃成功、しかし米国の立ち直りは早い

 まあ、そこはそこ思考実験なので日本の機動部隊は運よく米空母には発見されず、真珠湾に備蓄されている燃料と工廠を破壊したとしよう。南雲機動部隊は真珠湾に停泊中の戦艦部隊を壊滅、さらには海軍工廠と450万ガロンの備蓄燃料も破壊した。と、しよう。

 機動部隊は無事内地に帰還、日本は予定通り南方進出作戦を行った。これに対して米国は当然真珠湾の復旧に全力を傾ける。海軍工廠が破壊されたといったところで所詮は艦載機での攻撃である。のべ数千機の戦略爆撃機B-29を使用した対日戦の本土空襲ですら日本の工場は生産を続けていた。艦載機の攻撃程度では致命傷とはなり得ない。米本土からの資材の集中的な投入もあり即座に工廠の復旧を完了するだろう。

 燃料についても同様だ。真珠湾で燃料が消失したとしても米国は本土で石油が採れる国だ。米本土に潤沢にある燃料がタンカーで集中的に真珠湾に送られる。日本軍は通商破壊戦にはあまり力を入れていない上に米国は戦艦以外の空母その他の艦艇のほとんどは健在である。これらに護衛されたタンカーは、そのほとんどが真珠湾に到着、燃料の備蓄も順調に行われる。これらがどれくらいの期間で真珠湾の能力が回復するのかは分からないが世間で考えているよりは遥かに早い。

 

結局、国力の違い

 恐らく真珠湾攻撃で備蓄燃料や海軍工廠を破壊したとしても、恐らく1〜2ヶ月米軍の行動が制約される程度であろう。そしてそれが戦略レベルの変更をもたらす可能性は高くはない。逆に日本側は米軍の重厚な防空システムの中に突入することによって補充の効かないパイロットを大量に失い(実際の真珠湾攻撃でも54名が戦死している)、下手をすると空母すら失う可能性がある。

 損害に対する回復力が日米で大きく異なるため損害が日本の方が小さくても戦力へのダメージは大きい。結局、国力の違いというのが決定的である。第二次攻撃を行って仮に成功したとしても、その後は航空消耗戦が起こり米軍の本格的な侵攻が始まり。。。と史実と同じ結果になるだろう。というのが私の見立て。

 

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