
(画像はB29とB36 wikipediaより転載)
超重爆撃機富嶽が完成したら?
超重爆撃機富嶽
富嶽とは中島飛行機が構想して設計まで行われていた超重爆撃機である。全長46m、全幅63m、総重量42トン、航続距離は19,000km以上、上昇限度15,000mというバケモノである。米軍の超重爆撃機B29の全長30m、全幅43m、重量32トンと比較するとその大きさが分かる。航続距離もB29が8,000kmであるのに対して19,000kmと圧倒的である。地球の円周が40,000kmなので地球を半周できる航続距離がある。ただ、もちろんこの富嶽は完成していない。これらはあくまでも計画段階での数値で実際は試作機すら完成することなく敗戦となった。完成しなかった一番の理由はエンジンで計画の5,000馬力を出せるエンジンというのが作れなかったのだ。
しかしまあ、ロマンはある。戦後、GHQによって中島飛行機が解体され、富士重工業として復活した際の会社名はこの富嶽からとったといわれているほどだ。「もし富嶽が完成していれば」これはエンジニアだけでなく、富嶽の存在を知っている人達の知的好奇心をくすぐるテーマでもある。そのため創作の世界では富嶽は結構な人気である。因みに、この「もし富嶽が完成していれば」というテーマで書かれた作品の中で、管見の限り(私の管見はすごく狭い)、一番リアルにシミュレーションしたのが、檜山良昭『大逆転!幻の超重爆撃機富嶽』であると思う。これは「もしも」を最小限にして極力リアルに描いた作品なので説得力がある。それはともかく、今回は私もこの「富嶽が完成していたら」というテーマで思考実験をしてみたい。因みに私は航空機に対して一切専門性を持たないズブの素人であることは強調しておきたい。
こんな計画だったようだ
まず、最初に中島飛行機が構想していた富嶽の運用プロジェクトというものを見てみたい。簡単に書くと、前述のスペックの富嶽が完成した場合どのように運用することを理想としていたのかというと、目標は米本土爆撃、そして占領である。まず富嶽は爆撃用富嶽と数百挺の機銃を装備した掃討用富嶽、輸送用富嶽という数タイプの富嶽が製造される。計画では爆撃用富嶽4,000機、掃討用富嶽2,000機、輸送用富嶽5,000機であるらしい。掃討用富嶽というのは爆撃用富嶽の上空に位置して戦闘機から富嶽を守る役割もする。
これらが数百機が梯団となり米本土を攻撃、戦闘機の迎撃が不可能な高高度から米都市を爆撃、そのまま大西洋に抜け、ドイツで燃料補給を行い日本に帰還するというものだった気がする(うる覚え(汗))。この知識は私がウン十年前に調べたものなので記憶違いがあるかもしれないがまあそこはそこ、そういうことでアレしてもらえればいいのではないかと思う。で、ここから思考実験を始めたい。
技術力は米国以上だったとしよう
まず確認しておきたいのが、上記の構想が実現する可能性はハッキリ言って0%である。とは言ってもそんなことは誰でも分かっていること。それを言っても仕方ないので「仮に○○が完成していたら」という形で考えていきたい。まずは一番の問題であったエンジン。エンジンに関しては日本は当時かなり遅れていた。その上、5,000馬力級エンジンとなると第二次世界大戦時点では米国ですら完成していない。そこで「もし5,000馬力級エンジンが完成していたら」ということで話を進めたい。仮に5,000馬力級エンジンが開発されていたとすると、それはエンジン技術が米国を凌駕しているということになる。エンジンの技術が凌駕するということは、設計だけでなく、エンジン用部品の鋳造やその他裾野(すその)の技術が全て米国を上回るほど優れていることが前提である。
それはともかく「エンジンは完成した」としよう。だからと言って「そこで完成!」とはならない。まだまだ問題は山積しているのだ。次の問題は何かというとそれは「与圧室」だ。与圧室とは、航空機が高高度を飛行する際に機内の気圧を地上の気圧に近い状態に維持するために機内の人がいる部分を密閉した部屋だ。与圧室でないと酸素の不足やマイナス何十度という極寒に搭乗員は耐えなければならないのだ。耐えるもなにも、普通に死んでしまう。高高度を飛行する爆撃機にとって与圧室は必須だ。しかしこれも日本は遅れていた。米国は戦時中に与圧室を持つB29を完成、実戦に投入しているが、日本の場合は終戦まで与圧室を実用化することはできなかった。
まあ、これも完成していたとしよう。与圧室の技術も米国と同等であり完成していたとする。エンジンも完成、与圧室も完成となると技術的な問題はほぼクリアーした。細かい点を除けば機体の製造は可能だ。ただ、防弾性能に関しては少し問題がある。これは技術的な面以外にも日本陸海軍の人命軽視の発想が邪魔をする可能性がある。日本には、特に海軍には重厚な防弾装備を設けて人命を守るという発想はない。人間はたくさんいるので補充はいくらでもできるというのが日本軍に蔓延していた 発想だ。そして防弾装備を軽視した理由というのは思想だけでなく、技術面、そしてより重要だったのが予算の問題であった。日本軍は基本的に金が無かったのだ。
予算も潤沢、資源も豊富
しかし計画値だけを見ると富嶽の全長1mあたりの重量は、重装甲で鳴らしたB29と同じくらいである。ここは非常に雑な理屈になるが、重量が同じであれば装甲も同じ、日本軍も人命を尊重して富嶽はB29並の重装甲を装備していたとしよう。そうでなければ思考実験といっても搭乗員が可哀そうすぎる。これで重装甲、重武装、大量の爆弾を搭載できる地球半周の航続距離を持つ重爆撃機が完成した。
次は量産だ。B29の総生産数は3,970機、米国ですら超重爆は4,000機弱しか作れなかった。富嶽はB29よりも巨大で高性能なために予算がかかる。それも合計で6,000機の生産である。日本の軍事予算、航空機の生産能力からいって不可能である。陸海軍全航空機の生産を止めて富嶽を生産したとしても無理だ。予算も製造する工場もない。。。とは言っても、思考実験、これも何とかなったとしよう。日本には米国以上の工業力と米国以上の溢れるような潤沢な予算があったとする。他の航空機を生産した上で富嶽6,000機の生産が可能な設備と予算があるのだ。
当時の日本には、米国以上の工業力と国家予算があったとする。資材が無いという問題もあるが、これも満洲や南樺太、そして南方の資源地帯から膨大な量の資源が輸入されたとする。連合軍の潜水艦の攻撃も全て日本軍は撃退しており、大量の資源が内地に運ばれたのだ。この豊富な資源により日本軍は戦闘機などの通常の航空機に加え、6,000機の富嶽も生産が可能となった。そうなると、いよいよ富嶽による米本土爆撃作戦の開始である。
大西洋血に染めて

(画像は墜落するB29 wikipediaより転載)
西暦194○年、初飛行でも計画通りの性能を発揮した富嶽は、日本本土の中島飛行機各工場で大量生産が始まっていた。そこで日本軍はかねてからの構想どおり、富嶽による米本土爆撃を開始する。部隊での慣熟飛行、搭乗員への訓練も終了した富嶽戦略爆撃機隊は、爆撃機型富嶽40機、掃討用富嶽20機の合計60機で1部隊を編成、米本土に最も近く、大規模な飛行場が建設可能な択捉島に集結する。その数300機。数週間前から何十機もの梯団を組んで飛来する超大型航空機、択捉島の住民はその噂で持ち切りだ。
いよいよ出撃、300機の富嶽は次々と離陸、偏西風を利用して一路ワシントンに向かう。戦闘機を随伴させることができないため240機の爆撃用富嶽の上空には160機の掃討用富嶽が援護していた。そしてワシントン上空に到着、富嶽隊は高高度から爆弾を投下する。が、高高度での爆撃というのは実はあまり目標に当たらないのだ。特に日本軍の照準器は性能が悪い。高性能のノルデン照準器を装備していた米国ですら高高度爆撃ではあまり効果を得られなかったため途中から低空での爆撃に切り替えている。仮に富嶽が高高度で爆撃した場合、富嶽の損害も少ないかもしれないが、爆撃の効果も少ない。米国の各都市を攻撃したとしても戦略的な効果は薄かっただろう。
では、爆撃の効果を高めるために富嶽が低空での爆撃を開始した場合はどうなるのか。これは第二次世界大戦でB29が行った戦略爆撃と同じである。日本の貧弱な防空体制でもかなりの数のB29が撃墜されている。テニアン島に拠点を設けて、戦争末期には戦闘機の護衛が付いた状態でも米軍は、約15%のB29を失っている。長距離の飛行のために日本本土で撃墜されなくとも被弾してテニアン島までたどり着けないB29も多かった。
米本土に低空で侵入したとしたらこれは大変である。米軍は太平洋戦争が始まると本土海岸線にも監視所を設けて日本機の侵入を警戒していたほど警戒は厳重だ。ドーリットル隊にあっさりと侵入されてしまった日本とはレベルが違う。掃討用富嶽の護衛があったとしても高速、重装甲の米戦闘機相手に富嶽隊はかなりの損害が出る。地上からの砲火も恐らく日本軍の比ではないだろう。諜報能力に長けた米国は飛来する時点で富嶽の開発生産、大まかなスペックは把握しているはずだ。レーダーを始めとする監視網に何段にも及ぶ防空体制で富嶽隊を待ち受けている。300機の超大型爆撃機の存在は隠せるものではない。到着時間すらわかっている可能性もある。
低空攻撃を行った富嶽隊は数百の戦闘機と地上放火による攻撃を受ける。その攻撃の中で爆撃を敢行、任務を完了して撃墜を免れた富嶽はまた再び高度を上げ、高高度で大西洋を横断、ドイツに向かう。空襲の際に燃料タンクやエンジンに被弾してしまった富嶽は大西洋を横断することはできないので大西洋に沈むことになる。大西洋を横断できるのは被弾が少なく、エンジンや各部に故障が発生していない機体のみだ。富嶽隊は米本土を離れ大西洋に出る。低高度爆撃を行った場合にはこの時点で甚大な損害が発生しているだろう。
多分、ドイツでフルボッコ
高高度爆撃にしろ、低高度爆撃にしろ生き残った富嶽は大西洋を越えドイツ上空に侵入、着陸のために高度を下げるが、ドイツが守勢に立たされていた時期であれば大変だ。当然、連合軍の戦闘機隊の猛攻撃を受ける。ドイツでは富嶽を収納できる掩体壕もないため燃料を補給してすぐに離陸しなければ今度は富嶽が爆撃を受けてしまう。そして燃料の補給が完了した富嶽は離陸、ここでも連合軍戦闘機隊が待ち受けている。低速で離陸する航空機は最高のカモだ。恐らく大損害が出るであろう。それでも生き残った富嶽はソビエト上空の高高度を飛行、満洲の基地に帰還する。
実際に計画通りに実行するとこのような感じになるのではないかと思う。計画通りだと、300機の富嶽を1梯団として20梯団が米本土の各都市に波状攻撃をかけることになる。その後、5,000機の輸送用富嶽に乗った300万人の兵士が米本土に空挺降下、米国を占領することになるが、広大な米国をたった300万人で、それも車両や重火器を持たない部隊がどれだけの戦果を挙げられるのかというとかなり疑問だ。
ところで空爆というのはどれほど効果があるのかという問題がある。実は空爆によって相手が屈服することはない。米軍が大量のB29で日本を爆撃したが、それでも原爆の投下まで日本は降伏はしなかった。これは連合軍によるドイツ爆撃でも日本軍による重慶爆撃でも同様で、結局は陸軍が占領しなければ戦争で相手を屈服させることは難しい。
米国を凌駕する国力を持つ「仮想ニッポン」
ここでまとめておこう。富嶽が完成して計画通りに作戦を行うためにはまず、エンジンや与圧室が開発されることが必須で米国を上回る技術力が必要、さらに米国を上回る生産、大規模な工場が必要である。そして潤沢な予算と豊富な資源がなければならない。これには米国を遥かに上回る国力が必要なのだ。それも米国がB29を4,000機製造したのに対して、それを上回る超重爆を6,000機製造するのだから国力は米国の倍以上は必要かもしれない。そこで結論、今回の記事でここが一番大切なところだ。つまりは
これだけの国力があるならば普通に勝てる!
ということだ。さらに言えば、この国力をもって日中戦争に勝利してしまえば日米戦争はそもそも起こらないのではという気もする。戦争の勝敗はつまるところ国力なのだ。これは試作戦闘機烈風や超大和級戦艦、ロ式震電や殺人光線などにもいえることで、単体の兵器が開発されたところで戦争の帰趨に大きな影響を与えることはできない。結局、その国の経済力、科学技術力などが物を言うのだ。これは「真珠湾攻撃で第二次攻撃を行っていれば」「ミッドウェー海戦で勝っていれば」等の意見も同様で、局地的な勝利を得たとしても米国はさらに強大な戦力で反撃して来るだけであり、結局は国力の違いが戦争の帰趨を決するのだ。このように考えると、日本の敗北は開戦を決断した時点で確定していたとも言える。
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