
(画像はwikipediaより転載)
浜田式拳銃
性能(浜田式拳銃)
全長 165mm
重量 650g
口径 7.65mm
使用弾薬 32ACP
装弾数 9発(32ACP弾)
総生産数 3,000丁程度
設計・開発 浜田文治 / 浜田鉄砲店
日本の銃器メーカー
あまり知られていないが日本にも銃器メーカーというものはある。重機メーカーは世界に誇る大企業があるのは知られているが銃器メーカーも豊和工業、ミロク等がある。戦前も存在しており、その日本の民間銃器会社が開発、生産したのが浜田式拳銃である。この銃を発明したのは浜田文治氏、浜田氏は優秀な銃器デザイナーであると同時に1895年に父親が創業した浜田鉄砲店(日本銃器株式会社)の二代目経営者でもあった。それまでは猟銃などを製造販売していたのだが、1940年代に入ると日本でも戦争の空気が充満して来る。猟銃を作ろうにも鋼鉄などの物資の調達も次第に難しくなり、浜田氏は自動拳銃の開発をすることになる。
外観はブローニングM1910に似ている。このブローニングM1910とは、ベルギーのFN社が製造、1910年に発売されたモデルであったが、無駄のないシンプルなデザインで人気があり、1983年まで製造された傑作中型拳銃である。口径は32口径でハンマー、サイト等の突起を最小限にしてコンシールド性を高めたモデルであった。この銃は日本にも多く輸入されており、日本軍の将校達に人気があった。人気があった理由というのは性能もさることながらグリップの大きさが多くの日本人にフィットしたのも大きな理由であった。のちに開発される九四式拳銃のグリップはこのM1910を参考にしたと言われている。
M1910のコピーではない
一般にはこの人気モデルをベースに製作したのが浜田式ではあるのだが、後年の浜田氏へのインタビューによると全く独自の設計であるということだ(浜田氏は1980年代までご健在であったようだ)。その浜田氏は世界中の銃器の構造に精通しており、求められた条件に合わせて設計したら撃発方式や外観がM1910に似てしまったらしい。
実際、内部構造は水平に90度回して外すバレル等はM1910には無い独創的なものである。発射機構はストレートブローバック、撃発方式はストライカー方式である。ストライカー方式とはスライド内部に内蔵された細長い棒状のピンによってカートリッジを発火するタイプのもので、撃発はハンマーなどを使用せずにコイルスプリングによって行われる。このため銃外面にハンマーのような突起を少なくすることができるために服に引っかかったりしないので使用上はメリットが多い。現在でもグロック17等はストライカー方式を採用している。
ストレートブローバック、ストライカー方式はどちらもM1910と同様であるが、どちらもかなり一般的な作動方式であり、この点と外観の類似性をもってコピーとするのは浜田氏の業績を消し去ってしまう危険がある。南部式大型拳銃の外観がドイツ製自動拳銃ルガーP08に似ていることから「japanese luger」と呼ばれたのと同様で注意しなければならない。南部式大型拳銃とルガーP08は構造は全く異なっている。
全長165mm、重量650gと小型軽量で外観上はM1910のようは優美さはないが、表面仕上げは丁寧になされていた。使用弾薬は32ACPで、装弾数は9発。銃口初速は300m/sでブローニングM1910と同じである。1941年に完成したことから日本軍には制式採用されなかったものの一式拳銃と呼称されており、総生産数は3,000丁程度である。
浜田式拳銃二式
日本軍の士官の拳銃は自弁であったため外国製拳銃を使用している士官も多く、弾薬も32ACPやら軍制式の8mm南部弾やらが混在していた。これを8mm南部弾に統一しようと考えた陸軍は浜田氏に浜田式拳銃の8mm化を依頼した。浜田氏はかなり短期間で浜田式拳銃を8mm弾仕様に変更したようで、1943年には8mm南部弾に改良されたタイプが完成した。外観上は別の銃のようであるが、内部構造はほぼ一緒である。スライドが大型化しているのは8mm弾の圧力に耐えるためと発射機構がストレートブローバックであるため質量が欲しかったのだろう。
特徴的なのは、スライド後部上方リアサイト前方に大きな「えぐられたような溝」があるが、これで重量の調整をしたのだろう。後方の重量を減らしたことは反動を抑制するにも効果的である。オリジナルの浜田式が丁寧に表面処理されていたのに対して、二式は何故か鉄の地肌丸出しのものしか現存していない上にシリアルナンバーが近いものばかりであるという。恐らく何か特殊な事情があったのだろう。すでに太平洋戦争中盤に入っていた日本、制式採用も仮制式を飛ばし、1943年10月12日、いきなり制式採用された。装弾数は当初は8発であったが、制式採用されたものは6発であった。これには何か民間企業の銃を制式採用する際の「軍のメンツ」的なものがあったというがこれは謎である。
完成した二式は、日本軍の拳銃不足に対応するため、完成したものは多くが中国戦線、一部太平洋方面にも送られてたと言われている。第二次世界大戦末期の日本本土空襲により生産記録が消失してしまったため総生産数は不明であるが、推定される二式の生産量は最大でも1,500丁程度で、一式の3,000丁と併せても最大で4,500〜5,000丁と言われる。現存しているものは非常に少なく、浜田式拳銃が米国で30丁程度、二式が17丁現存していることが分かっているようだ。
トイガン
1990年代後半(恐らく1998年)に伝説のモデルガンデザイナー六人部氏の六研から無可動モデルで浜田式が発売されている。他には頑住吉からこちらも無可動モデルとして二式が発売されている。
⇒銃一覧へ戻る
↓良かったらクリックして下さい。
ミリタリーランキング