戦艦シャルンホルスト01
(画像はwikipediaより転載)

 

 戦艦シャルンホルスト級はポケット戦艦ドイッチュラント級の4番艦、5番艦として計画されたが大型艦に計画を変更されて完成した艦である。第二次世界大戦時にはドイツ海軍の主力として活躍、英空母撃沈の戦果もあげた殊勲艦である。

 

戦艦 シャルンホルスト級 〜概要〜

 

 

性能

 通常排水量 31,850トン
 最大排水量 35,540トン
 全長 229.8m
 全幅 30m
 吃水 9.91m
 機関出力 160,000馬力
 最大速力 31ノット
 航続距離 10,000海里/17ノット
 乗員 1,669名
 武装 54.5口径28cm砲3連装3基
    15cm砲2連装6基
    10.5cm高角砲2連装7基
    37mm高角機関砲2連装8基
    20mm高角機関砲単装10基
    水偵4機
 装甲 舷側35cm
    甲板10.5cm
    主砲36cm
 同型艦 2隻

 

特徴

 シャルンホルスト級は当初はドイッチュラント級の4番艦、5番艦として建造される予定であったが、フランスがダンケルク級を起工したためより大型の戦艦として設計変更が行われた。主砲はドイッチュラント級と同様の28cm砲であったが、54.5口径の新型に変更された上に前部に3連装2基、後部に同1基を設置しており、さらには38cm連装砲への改修も計画されていた。さらにこの時代の戦艦にしては珍しく53.3cm水上魚雷発射管も装備している。

 主機もディーゼルから超高圧タービンに変更、31ノットの高速を発揮した。当初、シャルンホルスト級の艦首は旧来の垂直に近い形のものであったため、高速航行により波しぶきが艦橋にまで到達してしまい、漏水等の被害が発生したため艦首の形状をアトランティック・バウに改修されたが、凌波性の問題は根本的に解決することはなく、シャルンホルスト級の慢性的な欠点となった。装甲は、計画が度々変更されたためか意外に弱く舷側の大部分は4.5cmの装甲厚しかなかった。

 

建造

 1番艦シャルンホルストは1935年6月に起工、2番艦グナイゼナウは1935年5月に起工した。就役は、1番艦シャルンホルストが1939年1月、2番艦グナイゼナウが1938年5月である。

 

戦歴

 

戦艦シャルンホルスト
(画像はwikipediaより転載)

 

 1930年6月30日に起工されいているが一時建造中止となり、1935年6月15日に建造再開している。1939年1月に竣工したが、公試時に艦首が波をかぶるという不具合が発生、このため6月には艦首形状を変更したが、今度は錨鎖口から波が甲板に吹き上げたので、前部砲塔は浸水により電気系統が故障することがしばしばであった。

 1939年11月、改修作業の終了したシャルンホルストは同型艦のグナイゼナウ、軽巡洋艦ケルン、駆逐艦9隻と共にアイスランドとフェロー諸島のパトロールに出撃した。この出撃の目的は南大西洋で活躍していたポケット戦艦シュペー号を攻撃するための連合軍の戦力を分散することが目的であった。同月、イギリス仮装巡洋艦を捕捉、戦闘状態に入り同艦を撃沈し帰投した。1940年2月、ノルトマルク作戦に参加。4月にはノルウェー侵攻作戦、ヴェーゼル演習作戦の支援部隊として活躍した。

 4月8日には英戦艦レナウンと交戦、グナイゼナウは2発の命中弾を受けた。このためシャルンホルスト、グナイゼナウ共に要修理となりドッグ入りする。6月4日には修理を終え出撃、6月8日には2隻の駆逐艦に護衛されている英空母グローリアスと交戦状態に入った。この戦闘で戦艦シャルンホルストは24,200mでグローリアスに砲弾を命中させるという海戦史上最長の砲撃命中記録を出す。グローリアスは撃沈したもののシャルンホルストも護衛駆逐艦の雷撃により被弾、大損害を受ける。その後も航空攻撃を受けつつも辛うじてキール軍港に入港し修理を受けた。

 1941年1月22日、大西洋での通商破壊作戦であるベルリン作戦に参加、合計49,000トンを撃沈するという戦果を挙げた。3月にはフランスのブレスト軍港に入港ここで修理を受ける。4月には、数度の航空攻撃を受け、戦艦グナイゼナウは大損害を受ける。7月には損害の無かったシャルンホルストは修理後の試験と訓練のためラ・パリスに移動するが、ここで英空軍による攻撃で損害を受けたのち、再びブレストに移動する。一方、グナイゼナウは修理と共に改装を受けている。

 1942年1月、修理の済んだシャルンホルストと修理及び改装が終了したグナイゼナウはケルベロス作戦により英仏海峡を強行突破、2月13日にはヴェルヘルムハーフェンに入港、その後キール軍港にて修理を受けたが、グナイゼナウは2月の空襲により大破してしまった。損害の無かったシャルンホルストは1943年3月にノルウェーへ展開、9月には連合軍施設の砲撃を実施、無事に帰還したが、12月、イギリス輸送船団攻撃のため出撃、護衛の英戦艦デューク・オブ・ヨーク以下の英艦隊と交戦、撃沈された。1,968名中生存者は僅か36名であった。

 一方大損害を受けたグナイゼナウに対しては大改修が決定、戦艦ビスマルクと同口径の主砲の搭載も計画されていたが、1943年1月のヒトラーの大型艦廃棄命令により廃艦が決定。砲塔は陸揚げされ要塞砲として活用、艦は水上貯蔵庫、防空シェルターとして使用された。1945年3月、ソ連軍の接近によりゴーテンハーフェン湾口に曳航され閉塞船として沈められた。1951年9月、サルベージ会社により浮揚後、スクラップとして解体された。

 グナイゼナウから陸揚げされた副砲はその後もデンマーク軍の要塞砲として使用され続けた。1984年に予備役編入されたが、以降も毎年訓練で発射され続けた。2000年、最後の射撃ののち博物館となる。

 

 

まとめ

 

 シャルンホルスト級はドイツ海軍の主力艦として第二次世界大戦を戦い抜いた。シャルンホルストは海戦により撃沈されてしまうが、グナイゼナウはヒトラーの大型艦廃棄命令により自沈、閉塞船となる奇妙な最期を遂げた。確かにこの時期に大型艦の必要性は低下しており合理的な判断だったといえるかもしれない。

 

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