FR FireBall
(画像はwikipediaより転載)

 

FRファイアボール

 

 

性能

全幅 12.19m
全長 9.86m
全高 4.15m
自重 3,590kg
最大速度 686km/h(高度5,000m)
上昇力 540m / 分
上昇限度 13,100m
エンジン出力 1,350馬力(ライトR1820-72W)
       推力725.7kg GE J31-GE-3ターボジェット
航続距離 2,610km(増槽装備時)
乗員 1名
武装 12.7mm機銃4挺
爆装 1,000ポンド(454kg)爆弾2発または
   127mmロケット弾8発
初飛行 1944年6月25日
総生産数 71機
設計・開発 ライアン・エアロノーティカル社

 

 FRファイアボールとはライアン社によって開発、生産された戦闘機でレシプロエンジンとジェットエンジンのハイブリット戦闘機である。1940年代に入ると先進各国ではジェット航空機の開発が進んでいた。しかし当時のジェットエンジンは推力こそレシプロ機を上回るものの航続距離は短く信頼性も低かった。そこでジェットエンジンの加速性とレシプロエンジンの安定性、航続距離を合わせたジェットエンジンとレシプロエンジンのハイブリット航空機が考案された。

 

 FRファイアボールの開発が始まったのは1943年で1944年4月に試作機XFR-1 3機が米海軍に納入された。初飛行は6月25日でこの日はレシプロエンジンのみでの飛行であったが、3ヶ月後の9月20日には2号機が複合動力での飛行に成功している。

 レシプロエンジンは機首に取り付けられたライト社のR1820-72W空冷エンジンで1,350馬力を発揮する。さらに推力726kgのジェットエンジンGE J-31も装備された。低翼の主翼はジェットエンジンの空気取入口、主脚の収納庫、機銃などが内蔵されていたために分厚く設計されており、尾部にはジェットエンジンの排気口があった。

 本機はレシプロ戦闘機には珍しく3車輪式(機首と両翼の3点に車輪がある)の降着装置を装備しており、着陸の際の視界は良好であった。空母での離着艦試験も行われ、カタパルトでの離艦、着艦ともに問題なく完了した。しかしテスト飛行では事故が相次ぎ、1944年10月13日には1号機、1945年3月25日には3号機を事故で失っている。

 米海軍は初飛行前の1943年12月に100機を発注、1945年1月にはさらに1,000機が発注された。1945年春には海軍への納入が開始、5月にはFRファイアボールで編成されたVF-66が編成され猛訓練を行っていたが、日本の敗北により第二次世界大戦が終結したため実戦には投入されず発注も全てキャンセルされた。この時点で完成したファイアボールはわずか66機であった。総生産数は試作機も含めて71機である。

 

バリエーション

 試作機が3機、エンジンをR1820-74W(1,425馬力)に換装したFR-2が1機、ジェットエンジンをJ34に換装したXFR-4が1機ある。この他にジェットエンジンをI-20に換装したFR-3が計画のみ存在する。

 

 

戦歴

 1945年3月にFRファイアボールが装備されたVF-66が編成されたが第二次世界大戦終結のため10月18日には解散、FRファイアボールとパイロットはVF-41に移管された。その後VF-41が空母でファイアボールを運用したが、不運が続く。11月6日には着艦時にレシプロエンジンが故障、ジェットエンジンのみで緊急着艦を行っている。

 1946年に射撃訓練中の1機が海面に衝突、さらに数ヶ月後には訓練中の1機の翼が折れ、別のファイアボールに衝突してパイロット2名が死亡している。1947年にはハードランディング中の1機の機体が真っ二つに折れた。このようにファイアボールの機体は非常に脆弱であり、さらに前脚が弱いという構造的な欠陥もあったため1947年8月1日に退役している。その後、数機を除いた残り全機が廃棄されているが、奇跡的に1機のみが米国プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館に現存している。

 

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