01_Skyraider
(画像はwikipediaより転載)

 

A-1 スカイレイダー

 

 

性能(AD-6)

全長 11.84m
全幅 15.25m
全高 3.66m
自重 5,429kg
最大速度 518km/h(高度5,500m)
上昇力 14.5m / 秒
上昇限度 8,700m
エンジン出力 2,700馬力(ライト R-3350-26WA エンジン)1基
航続距離 2,118km
乗員 1名
武装 20mm機関砲4門(携行弾数各200発)
爆装 最大3,600kg
初飛行 1945年3月18日
総生産数 3,180機
設計・開発 エドワード・ヘンリー・ハイネマン / ダグラス・エアクラフト社

 

開発前史

 第二次世界大戦開戦時には艦上航空機による艦船攻撃は九七式艦上攻撃機TBFアベンジャー等の攻撃機と呼ばれる雷撃、水平爆撃を専門とする機種と九九式艦上爆撃機SBDドーントレス等の急降下爆撃機と呼ばれる急降下爆撃を専門にする機種の2種類が存在した。攻撃機は機動性が無い代わりに大型の魚雷や爆弾が搭載でき、急降下爆撃機は軽快な機動性を持つ代わりに爆弾の搭載量は少なかった。

 しかし第二次世界大戦が始まると攻撃機も軽快な機動性が求められるようになり、さらには急降下爆撃機としての機能すら求められるようになった。このため機動性の高い攻撃機というそれまでの2機種が融合した機体が誕生することになる。

 

開発

 1943年、米海軍は攻撃機と急降下爆撃機の両方の機能を兼ね備えた新型爆撃機の試作を航空各社に要求した。これに対してダグラス社はXBT2D-1の設計を提示、1944年7月6日、海軍はこの案を採用してダグラス社に試作機を発注した。この発注からわずか3ヶ月後の1945年3月18日にXBT2D-1は初飛行に成功すると海軍は早速500機以上の大量発注を行った。

 しかしその半年後に第二次世界大戦は終結したため発注は277機に減らされてしまったもののXBT2D-1は、1946年12月にAD-1スカイレイダーとして海軍に納入された。

 AD-1は設計としては保守的な設計で単発単胴で低翼の直線翼という「よくある」レシプロ機であった。しかし重量は自重4,760kgと現行の艦上攻撃機TBFアベンジャーの4,788kgに匹敵するヘビー級の機体でエンジンは2,500馬力を発揮するライト社製R-3350-24Wエンジンを採用した。

 TBFアベンジャーのように胴体内に爆弾倉を設けず、爆弾は翼下7ヶ所と胴体下1ヶ所の合計15ヶ所のハードポイントに懸架される設計になっていた。これらのハードポイントに懸架できる爆弾の総重量は2,990kgにも達している。自重で見れば単発レシプロ機史上最重量の機体であるが、爆弾搭載量を考慮するのであれば自重4,760kgは十分に軽量な機体であるといえる。

 

アベンジャー、流星との比較

 機体の大きさの割に搭乗員は1名のみで最高速度は高度5,500mで590km/hを発揮した。航続距離は2,500kmで武装は翼内砲の20mm機関砲2門で爆弾は胴体下に1,630kg、翼下に1,360kgを懸架することができる。これをTBFアベンジャーと比較してみると航続距離こそアベンジャーの3,758km(偵察時)には及ばないものの、最高速度はアベンジャーの415km/hに対して590km/h、爆弾搭載量はアベンジャーの907kgに対して2,990kgと圧倒している。

 因みに日本の艦上攻撃機流星もAD-1と同様に攻撃機と急降下爆撃機の融合機である。この流星のスペックと比較してみるとAD-1の自重が4,760kgに対して流星は4,030kgと20%ほどAD-1が重く、最高速度は流星の567km/hに対して590km/hとAD-1が若干上回る。エンジンの馬力は流星の誉12型エンジン1,850馬力に対してR-3350エンジンは2,500馬力と圧倒している。

 このため最高速度は30km/h程度の差でしかないが爆弾搭載量は流星の800kgに対して2,990kgと比べ物にならないレベルである。航続距離も流星の1,852kmに比べて2,500kmと圧倒的である。但し、流星は初飛行が1941年12月であるので1945年3月初飛行のAD-1と比較するのは酷ではある。

 総生産数は3,180機で名称は1962年に陸海空軍の命名規則統一によりA-1に変更された。時代遅れのレシプロ機で完成した時点で時代はジェット機、レシプロ機であるスカイレイダーは出番が無く退役。。。と思われがちであるが意外にもこの爆弾搭載量とジェット機ほど早すぎない速度、航続距離等が使い勝手が良く米軍だけでなく多くの国で長期間にわたって使用された。

 

バリエーション

 主なバリエーションはAD-1からAD-7まであり、AD-1が初期生産型で242機が製造、AD-2がエンジンをライトR-3350-26Wエンジンに換装したモデルで156機が製造、AD-3は燃料タンクを大型化、機体構造や脚の強化、風防のデザインの変更が行われたモデルで125機が製造された。AD-4は機銃を20mm機関砲4門に強化、脚の強化、レーダーの改良等が行われたモデルで372機が製造、AD-5は横並び方式の複座型で急降下爆撃機時に使用するダイブブレーキが廃止されたモデルで212機が製造された。AD-6は3基のダイブブレーキを装備した単座タイプで713機が製造された。AD-7はエンジンをR-3350-26WBに換装、翼の寿命延長が図られたモデルで72機が製造された。

 

 

戦歴

 スカイレイダーは第二次世界大戦にこそ間に合わなかったものの朝鮮戦争では対地攻撃任務に投入、戦闘機並みの優秀な飛行性能と対地攻撃能力から米海軍と海兵隊の主力攻撃機として活躍した他、夜間戦闘機型のAD-3Nや4Nが夜間戦闘や電子戦に活躍している。

 優秀な対地攻撃能力で近接支援任務にも活躍したが対空砲火での損失が大きく、対策として暑さ12.7mm程度の追加装甲が装備されたこともある。朝鮮戦争では合計128機のスカイレイダーが失われている。

 海軍の攻撃機もレシプロ機からジェット攻撃機であるA-6イントルーダーの登場でこのまま旧式機として引退すると思われたスカイレイダーであったが、ベトナム戦争が勃発すると対地攻撃機として再度脚光を浴びることとなった。開戦当初は攻撃ヘリコプターAH-1は実戦投入されておらず(1967年配備)、攻撃ヘリコプター的な運用ができるのは高速であるジェット攻撃機よりもレシプロ機であるスカイレイダーが有用であった。

 このため空軍も海軍よりスカイレイダーを借用して運用を開始、地上攻撃の他にも撃墜されたパイロットの救出任務などにも活躍した。海軍では1968年に第一線を退いたもののその使い勝手の良さから米軍ではベトナム戦争終戦まで運用され続けた。ベトナム戦争でのスカイレイダーの損失は海軍が65機(内48機が戦闘損失)、空軍が191機(内150機が戦闘損失)の合計256機である。

 スカイレイダーは米軍以外にも英国、フランス等多くの国で運用されたが1960年代から退役が進み、1970年代にはほとんどの国で退役した。最後まで運用していたのはアフリカのガボン空軍で1985年に退役した。

 

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